第五節 『管子』の軍事思想と城郭

 以上に『管子』が想定する、城郭機能についての認識を確認した。そこでは城郭の防衛上の機能が重視されていたが、城郭の防衛上の機能は、当然軍事に関連するものである。そこで、次に『管子』に見られる軍事思想と、城郭との関連について考えてみたい。

 金谷氏は、『管子』の軍事思想を、富国強兵の手段の一環と捉えて、強兵思想としてその特色を以下の八つに挙げている(注50)。


①兵は廃すべからずとするが、また至善は戦わずとして、道義的な立場を持つ。

②計は必ず先ず定まるべしとして、戦前の諸準備を重視する。

③敵に勝ち、天下を定める根本は治民にありとして、農業による富国を本とする。

④兵主(将)、野吏、官長、朝政、あるいは(君)主、相、将、あるいは(兵)士、将、(君)主などの役割分担とその協同を考える。

⑤士について選士と教習を重んじる。

⑥器材の整備充実を特に強調し、それと関連して聚財、論工などを説く。

⑦計数、法度を重んじる。

⑧視聴を深微にせよとして、無形無説の道を重んずる道家的な立場を持つ。


 以上の内、①、②などは『孫子』の「戦わずして人の兵を屈する」(謀攻篇)や、「兵とは国の大事なり」(計篇)や、「夫れ未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり」(計篇)といった思想と合致している。また⑤は、『孫臏兵法』簒卒篇にある士卒の選択と関連している。しかし、その他は『管子』独特の軍事思想が強くあらわれている。それは実戦上の戦闘技術や軍隊の運用方法などよりも、戦争の背景にある武器や兵隊の常態的な管理を重視し、さらにそうした軍事に関する体制を支えるために必要な、内政の安定や生産力増強などの国家の政治経済を基盤にした、軍事思想であることである。これは小匡篇に「内政を作こして軍令に寓す」とあり、軍事と内政を結び付ける思想としてはっきりとあらわれている。『管子』は富国強兵をその最大の目的としている所から、富国に成功すれば、自ら強兵が生まれるとする思想が発生したと考えられる。具体的な例を挙げると参患篇では、


故凡兵有大論。必先論其器、論其士、論其将、論其主。故曰、器濫悪不利者以其士予人也。士不可用者、以其将予人也。将不知兵者、以其主予人也。主不積務於兵者、以其国予人也。故一器成、往夫具、而天下無戦心。二器成、驚夫具、而天下無守城。三器成、游夫具、而天下無聚衆。所謂無戦心者、知戦必不勝、故曰無戦心。所謂無守城者、知城必抜、故曰無守城。所謂無聚衆者、知衆必散、故曰無聚衆。


武器、兵士、将軍、君主がそれぞれに必要な役割分担を常時果たせば、天下の敵は「戦心」を無くし、「守城」が不可能になり、「聚衆」して敵対することができなくなるとする。また、制分篇では、


治者所道富也。而治未必富也。必知富之事、然後能富。富者所道強也。而富未必強也。必知強之数、然後能強。強者所道勝也。而強未必勝也。必知勝之理、然後能勝。勝者所道制也。而勝未必制也。必知制之分、然後能制。是故、治国有器、富国有事、強国有数、勝国有理、制天下有分。


「富」は国家を強くする基盤であり、その上で「数」があり「勝」があり、天下を「制」して「分」することができるとしている(注51)。

 こうした軍事思想を背景にする『管子』に見られる城郭もまた、政治経済の状態を背景とした環境で語られることが多い。権修篇では、


地之守在城。城之守在兵。兵之守在人。人之守在粟。故地不辟、則城不固。有身不治、奚待於人。有人不治、奚待於家。有家不治、奚待於郷。有郷不治、奚待於国。有国不治、奚待於天下。天下者国之本也。国者郷之本也。郷者家之本也。家者人之本也。人者身之本也。身者治之本也。故上不好本事、則末産不禁。末産不禁、則民緩於時事、而軽地利。軽地利、而求田野之辟、倉廩之実、不可得也。


国土の防衛のために必要な条件を遡っていくと、直接的な防御手段である「城」から、「本事」である農業にたどり着き、そのためには農業の振興を阻害する「末産」である商業を禁じなければならないという理論を展開している。八観篇には、


行其田野、視其耕芸、計其農事、而飢飽之国可知也。其耕之不深、芸之不謹、地宜不任、草田多穢、耕者不必肥、荒者不必墝、以人猥計其野、草田多而辟田少者、雖不水旱、飢国之野也。若是而民寡、則不足以守其地。若是而民衆、則国貧民飢。以此過水旱、則衆散而不收。彼民不足以守者、其城不固。民飢者、不可以使戦。衆散而不收、則国為丘墟。故有地君国、而不務耕芸、寄生之君也。故曰、行其田野、視其耕芸、計其農事、而飢飽之国可知也。


農耕地の管理状態の不全による農民の貧困が背景にあると、水害などで農民が逃散すれば同じ土地に戻ってこなくなる状態が生じ、最終的には城の防御能力や戦争能力の低下を招く結果につながるとしている。同じ八観篇では続いて、


入国邑、視宮室、観車馬衣服、而侈儉之国可知也。夫国域大、而田野浅狹者、其野不足以養其民。城域大、而人民寡者、其民不足以守其城。宮営大、而室屋寡者、其室不足以実其宮。室屋衆、而人徒寡者、其人不足以処其室。囷倉寡、而臺榭繁者、其蔵不足以共其費。故曰、主上無積、而宮室美、氓家無積、而衣服修、乗車者飾観望、步行者襍文采、本資少、而末用多者、侈国之俗也。国侈則用費、用費則民貧、民貧則姦智生、姦智生則邪巧作。故姦邪之所生、生於匱不足、匱不足之所生、生於侈、侈之所生、生於毋度。故曰、審度量、節衣服、儉財用、禁侈泰、為国之急也。不通於若計者、不可使用国。故曰、入国邑、視宮室、観車馬衣服、而侈儉之国可知也。


広大な国土や大規模な城郭などよりも、それらを十全に機能させるために必要な、内容面の充実を問題視し、その観察の背景として奢侈の流行による個人消費の拡大によって、公共の財物が蓄えられなくなる状況に注目している。七臣七主篇では、


故設用無度、国家踣。挙事不時、必受其菑。夫倉庫非虚空也。商宦非虚壞也。法令非虚乱也。国家非虚亡也。彼時有春秋、歳有賑凶、政有急緩。政有急緩、故物有軽重。歳有賑凶、故民有羨不足。時有春秋、故榖有貴賤。而上不調徭、故游商得以什伯其本也。百姓之不田、貧富之不斉、皆用此作、城郭不守、兵士不用、皆道此始。


国家の介入による穀物の価格調整を怠り、投機商人の活動を抑制しないと、農民の生活が守られず、貧富の差が拡大し、それが背景となって、城郭を防衛する能力や兵士の戦闘能力が低下するとしている。

 これらの政治経済的背景の特徴とするところは、商業経済と消費文化の発展と、農業の衰退、貧富の差の拡大と人口流出が問題視され、これら社会経済上の現象を政治的に食い止めることができなければ、城郭及び軍隊の維持はなされなくなるというものである。これはつまり、これら社会経済上の問題を政治的に解消していくことが、城郭及び軍隊の強化につながり、富国強兵の達成に前進するものと理解されているのである。そして、こうした主張がなされなければならないということは、以上の社会経済上の問題が現実に表面化の傾向にあったことを示していると判断される。

 このように『管子』において城郭は、「内政を作こして軍令に寓す」という『管子』独特の軍事思想を背景に、城郭の防衛能力を機能させるために必要な政治経済の環境との強い関連の中で用いられていることがわかった。そしてそれは、城郭の防衛機能維持を阻害する、現実に表面化してきた社会経済上の諸問題を政治的に解消して富国強兵に導いていくという文脈の中で展開されるものであった。


(注50) 金谷氏前掲書。

(注51) 郭沫若氏は『管子集校』において、この章の最後の部分に「治国有器、富国有事」とあることから、「治者所道富也」の前に「国者所道治也、而治未必治也。必知器之事、然後能治」の文章があったと推定している。

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