第四節 『管子』に見られる城郭の機能(二)

 引き続いて『管子』に見られる城郭機能について、城郭の建設と保守管理の方法から検討していきたい。『管子』には城郭の建設や保守管理など、城郭に対する専論とでも言うべき文章が見られる。こうした城郭を専論とする文章は、『墨子』兵技巧書を除けば、戦国諸子の文献にはほとんど見られることのない珍しいものである。しかし『墨子』兵技巧書は守城の現場において、水を入れる甕や炊飯に用いる竈は何歩ごとにいくつ用意するであるとか、門の大きさは何丈であるとか、その門扉には火攻に備えて泥を塗っておくなどの、城郭の具体的整備を説明するものであるが、これに対して『管子』では同じ専論であっても、『墨子』兵技巧書とは全く異なる視点から、城郭を取り扱っている。そこで、次に『管子』に見られる、城郭の建設や保守管理について問題とする文章を検討していきたい。

 城郭の建設に関しては乗馬篇と度地篇に見られる。まず乗馬篇では、


凡立国都、非於大山之下、必於広川之上。高毋近旱、而水用足、下毋近水、而溝防省。因天材、就地利、故城郭不必中規矩、道路不必中凖繩。


国都の建設地点は、特に水利を重視して土地の高低を意識して選択し、その建設地点の「天材」である自然環境と「地利」である地勢の利点を利用した都市建設を説く。そのため、城郭や道路は「規矩」や「凖繩」で計ったように、真っ直ぐで整然としたものを造る必要はなく、その土地の地勢の利便に応じた形状のものでよいとしている。これは『周礼』考工記に、


匠人営国、方九里、旁三門。国中九経九緯、経涂九軌。左祖、右社、面朝、後市。市朝一夫。


とあるような、整然としていて理念的な都市計画とは全く異なり、立地条件に応じた形状でよいとする姿勢は、『管子』の現実的な視点を反映しているものといえる。特に「而して溝防省く」のように、地形を利用すれば工費の節約も可能であると考えている点など、その経済的合理的な性格を示している。実際、中国で発掘される戦国時代の城郭は、地勢を利用したり、増築を重ねたりするなどして、状況によって様々な形をしており、さらに戦国の城郭遺構は河川沿いの台地上に多いことが指摘され(注43)、これらは乗馬篇の内容との一致を示している。また、発掘された城郭と道路は『周礼』考工記の記述にあるほど整然としてはいないが、地形の許す限り直線で構築しようとする志向性が見られる(注44)。こうした状況が、乗馬篇の「故に城郭は必ずしも規矩に中らず、道路は必ずしも凖繩に中らず」という、現実的利害が生じなければ、必ずしも直線への志向性を否定しない態度を示す、「不必」をともなう表現に反映されているものと思われる。次に度地篇を見ると、


昔者、桓公問管仲曰、寡人請問、度地形而為国者、其何如而可。管仲対曰、夷吾之所聞、能為霸王者、蓋天下聖人也。故聖人之処国者、必於不傾之地、而択地利之肥饒者、郷山、左右経水若沢、内為落渠之寫、因大川而注焉。乃以其天材地利之所生、養其人以育六畜。天下之人、皆帰其徳、而恵其義。(中略)内為之城、城外為之郭、郭外為之土閬。地高則溝之、下則隄之。命之曰金城。樹以荊棘上相穡著者、所以為固也。歳修増而毋已、時修増而毋已、福及孫子。此謂人命万世無窮之利。人君之葆守也。臣服之、以尽忠於君、君体之、以臨有天下。故能為天下之民先也。此宰之任、則臣之義也。故善為国者、必先除其五害。人乃終身無患害而孝慈焉。


乗馬篇と同じく、国都建設の地点を水利と土地の高低から判断している。また土地の生産力を意識する経済的視点がある。特に後半部では内城外郭の区分や、排水溝や堤防などの設備について言われるとともに、それらの定期、不定期の保守管理を行うことは「人命万世無窮之利」であるとして、君主の守るべき義務としている。この保守管理について、度地篇では詳しい言及がなされている。


桓公曰、請問備五害之道。管子対曰、除五害、以水為始。請為置水官、令習水者為吏、大夫、大夫佐各一人、率部、校長、官佐各財足。乃取水官左右各一人、使為都匠水工、令之行水道・城郭・堤川・溝池・官府寺舍、及州中当繕治者、給卒財足。令曰、常以秋・歳末之時、閲其民。案人比地、定什伍口数、別男女大小、其不為用者、輒免之、有錮病不可作者、廃之、可省作者半事之、并行以定甲士当被兵之数、上其都。都以臨下、視有余不足之処、輒下水官。水官亦以甲士当被兵之数、与三老・里有司・伍長行里、因父母案行、閲其備水之器。以冬無事之時、籠臿板築各什六、土車什一両、輂什二、食器雨具人有之、錮蔵里中、以給喪器。後常令水官吏与都匠、因三老・里有司・伍長案行之。常以朔日始、出具閲之、取完堅、補弊久、去苦悪。常以冬少事之時、令甲士以更次益薪、積之水旁、州大夫将之、唯毋後時。其積薪也、以事之己、其作土也、以事未起、天地和調、日有長久。以此観之、其利百倍。故常以無事具器、有事用之、水常可制而使毋敗。此謂素有備、而予具者也。


 度地篇では五害(水・旱・風霧雹霜・厲・蟲)を除くことを主題として、特に五害の中で最も被害の大きい水害への対処について論じている。ここでは治水設備の修繕を行う体制をどう構築するかについて論じているが、その中で「都匠水工」という河水工事の担当者が「水道」や「堤川」とともに「城郭」の修築必要箇所を点検している姿が見られる。この修繕体制は、秋と年末に徴兵可能な人民の数を把握するとともに、各家庭にある土木用工具を点検し、農事のない冬に彼らを兵隊として徴発して、治水を始めとする各種土木作業に当たらせるというものである。また、工具の総点検は農事のない冬に行い、その定期点検は毎月管理担当者に行わせ、工具に壊れているものがあればその補給も行っている。その修繕の負担は、基本的に人民の徭役によってまかなわれており、特に「三老・里有司・伍長」などの現地の指導的地位にある人間の役割が大きいことから、その城郭に居住する農民を政府の派遣する官吏が組織化して統率する形を取っている。これらは治水を主題として論じているが、城郭の管理に関しても同様の修繕体制があったことは、問篇の城郭の保守管理についての記述から推測できる(注45)。


工之巧、出足以利軍伍、処可以修城郭補守備者幾何人。


 ここでは、徴兵対象の技術者が平時にあっては城郭の補修作業を担当するものとして把握されている。城郭の修築も各城郭に居住する住民を、政府の主導によって組織化し、その修復工事に当たらせていたと考えられる。それは問篇の次の記述からも推察される。


築城郭、修牆閈、絶通道、阨門闕、深溝防、以益人之地守者何所也。


 その土地の守備防御に効果的なものが何であるのかを、政府が確認させるということは、その防衛強化もまた、政府の主導によって行われたものと考えられる。また、この部分の解説になると思われる部分(注46)では、


若夫城郭之厚薄、溝壑之浅深、門閭之尊卑、宜修而不修者、上必幾之。


こうした城郭の点検とその適当な補修を怠った担当者がいた場合、君主は必ずその責任を追及する必要があるとし、この解説部分の著述者が、城郭の管理は国家の管理下においてなされていると認識していたことを確認することができる。

 このような城郭管理に関する民と国家の関係は、『春秋』や『春秋左氏伝』にも軍隊や夫役による、城郭建造の様子に見られ、春秋期から存在する関係であった(注47)。

 度地篇では、これらの補修工事は農業の妨げにならないよう、農事のない冬に行うよう配慮されていた。これは乗馬數篇の「管子対えて曰く、戦国は其の城池の功を修む。故に其の国は常に其の地用を失う。王国は則ち時を以て行うなり」を具体的に表現したものである。これらは時令思想と関連していると見られる。時令思想とは四季のような自然界の動きと人間の行動には必然的な関係があると考え、それを政治的な立場から政令として整理したものである。この時令の完備した形は『呂氏春秋』の十二紀に見られ、金谷氏は『管子』の時令思想はその過渡的な形態であるとしている(注48)。度地篇ではさらに続いて、四季に応じた土木工事の運用を以下のように説明する。


桓公曰、当何時作之。管子曰、当春三月、天地乾燥、水糾列之時也。山川涸落、天気下地気上、万物交通。故事已、新事未起、草木荑生可食、寒暑調日夜分。分之後、夜日益短、昼日益長。利以作土功之事、土乃益剛。令甲士作隄大水之旁、大其下、小其上、隨水而行。地有不生草者、必為之囊、大者為之隄、小者為之防。夾水四週、禾稼不傷。歳埤増之、樹以荊棘、以固其地、襍之以栢楊、以備決水。民得其饒、是謂流膏。令下貧守之、往往而為界、可以無敗。当夏三月、天地気壯、大暑至、万物栄華。利以疾茗殺草薉、使令不欲擾。命欲不長。不利作土功之事、妨農焉。利皆耗十分之五、土功不成。当秋三月、山川百泉涌降雨下、山水出、海路距、雨露屬、天地湊泊。利以疾作収斂、毋留。一日把、百日餔。民毋男女、皆行於野。不利作土功之事、濡湿日生、土弱難成。利耗什分之六、土工之事亦不立当。当冬三月、天地閉蔵、暴雨止、大寒起、万物実熟。利以填塞空郄、繕辺城、塗郭術、平度量、正権衡、虚牢獄、実廩倉。君修楽、与神明相望。凡一年之事畢矣。挙有功、賞賢、罰有罪、遷有司之吏而第之。不利作土工之事。利耗什分之七、土剛不立。昼日益短、而夜日益長。利以作室、不利以作堂。


 それによると、土木作業は農繁期である夏、秋を避け、冬には修築工事を行い、城郭の修築もこの時期に行っている。堤防などの本格的な土木工事は、冬至を過ぎて日照時間が長くなりだし、気候も暖かになって農事もない春に行うのがよいとしている。この度地篇に見られる城郭であるが、以上に見るように、それは治水と密接な関係にあったことが理解される。おそらく城郭も堤防も建材には土を用いており、その建築方法は似通ったものであり、土木工事の一環として城郭も堤防も同じ官吏が担当することが自然であったためと考えられる。

 その関係を裏付けるように、『呂氏春秋』紀部孟夏篇には「冬令を行えば、則ち草木早く枯れ、後に乃ち大水し、其の城郭を敗る」とあるように、城郭と水害との関連があることを示している。また『史記』夏本紀には禹の治水説話に関連して、その父である鯀は治水に失敗したとしているが、この鯀には『呂氏春秋』覧部君守篇に「夏の鯀、城を作る」、また『淮南子』原道訓に「昔者、夏の鯀三仭の城を作り、諸夏之に背く。海外狡心あり。禹天下の叛くを知りて、乃ち城を壊ち、池を平らかにす」というように築城説話があり、さらに『太平御覧』巻一九三に引く『呉越春秋』の逸文には「鯀、城を築いて以て君を衛り、郭を造りて以て人を居らしむ。此れ城郭の始めなり」と、こちらは城郭起源説話として、最初に城郭を築いたのは鯀としている。これらからは古代にあって治水と城郭を関連的なものとして捉える傾向があったことを推察させる。また『管子』軽重戊篇においても「夏人の王、二十虻を鑿ち、十七湛を渫い、三江を疏し、五湖を鑿ち、四涇の水を道き、九州の高きを商り、以て九藪を治む。民乃ち城郭・門閭・室屋の築を知り、而して天下之に化す」とあって、夏は治水を行うとともに、城郭をはじめとする建築技術一般を天下に広めた王朝であったとしており、これは治水と城郭の密接な関係を示している。

 これらから古代の城郭の存在は、防衛上の機能や居住区分機能だけでなく、水害対策のような民生上の機能も果たすと認識されていたことを想像させる(注49)。少なくとも『管子』においては、度地篇の主題が五害を治めて、民の生活を安定させ、国家統治を円滑に進める点にあることから、治水のような民生上の土木工事と同様の民生面での何らかの効果が、城郭に期待されていたとは言えよう。さらにその管理は治水事業と同様に、国家の管理下で行われていた。


(注43) 五井氏、佐原氏前掲書。

(注44) 佐原氏前掲書。

(注45) 問篇に関して宇都宮淸吉氏は「管子問篇試論」(宇都宮淸吉『中国古代中世史研究』創文社 一九七九収録)において、その内容は春秋晩期から戦国時代の中央集権体制が構築されるまでの間の、過渡的状況示すものとして貴重な史料であると考えている。その内容から金谷氏、羅氏も戦国時代の状況を反映するものとしている。

(注46) 宇都宮氏前掲書。

(注47) 五井氏は「中国古代階級闘争史試論―春秋・戦国期の城郭造営をめぐって―」(五井氏前掲書収録)で、春秋期から戦国期の城郭造営の際の労働力とその調達方法について検討している。

(注48) 金谷氏前掲書。

(注49) 藤田勝久氏も城郭都市の発達と水利の密接な関係を指摘している。藤田勝久「中国古代社会と水利問題」(『殷周秦漢時代史の基本問題』汲古書院 二〇〇一収録)

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