第三節 『管子』に見られる城郭の機能(一)

 以上に『管子』における城郭の一般的な認識を見てみた。その上で、次に『管子』の認識する城郭の機能について見てみたい。

 まず、確認される機能は、先に挙げた牧民篇と立政篇に見られるように、「守」という防衛上の城郭の機能が重要視されていた。こうした認識は、権修篇「地之守在城。城之守在兵。兵之守在人。人之守在粟。故地不辟、則城不固」や、七臣七主篇「百姓之不田、貧富之不斉、皆用此作、城郭不守、兵士不用、皆道此始」など散見され、また「固」という表現も用いられ、八観篇「彼民不足以守者、其城不固」や、小問篇「公曰、攻取之数何如。管子対曰、毁其備、散其積、奪之食、則無固城矣」など、城郭に防衛上の機能を求める認識が強くあらわれている。こうした認識は『墨子』や『韓非子』の城郭観でも多く見られたもので、一般に重要視される城郭機能であった。また、以上に上げた引用から、城郭の防衛機能は食料、資材の備蓄と切り離せない関係であったことがわかり、これも『墨子』や『韓非子』の城郭観と一致するものである。さらにこうした認識は派生して、警句として慣用的に用いられるようになっている。事語篇と軽重甲篇を見てみると、


管子対曰、佚田之言非也。彼善為国者、壤辟挙、則民留処。倉廩実、則知礼節。且無委致囲、城脆致衝。夫不定内、不可以持天下。佚田之言非也。(事語篇)


故君請、縞素而就士室、朝功臣・世家・遷封食邑、積余蔵羨、跱蓄之家曰、城脆致衝、無委致囲、天下有慮、斉独不与其謀。子大夫有五榖菽粟者、勿敢左右。(軽重甲篇)


「無委致囲」と「城脆致衝」の二句が順不同ながら同様に用いられている。ともに二句の用いられる前後の文章との因果関係が薄いことから判断して、慣用的な警句であったものと考えられる。何らかの失策によって到達する最悪の事態を「無委致囲」「城脆致衝」と呼んでいるだけで、そこに具体的な状況が示されるわけではないが、こうした慣用的な警句が用いられることの背景には、城郭の防衛上の機能が広く人々に認識され説得力を持っていたためであると考えられる。

 さらに『管子』では、城郭に防衛上の機能だけでなく、住民管理の機能を期待する認識が示されている。禁蔵篇では、


夫善牧民者、非以城郭也。輔之以什、司之以伍。伍無非其人、人無非其里、里無非其家。故奔亡者無所匿、遷徙者無所容、不求而約、不召而来。故民無流亡之意、吏無備追之憂。


城郭に住民管理の機能を期待する意識が存在し、それを否定した上で、什伍制のような住民管理制度の有効性を強調している。城郭に住民管理の機能を期待する認識は八観篇にも見られる。


大城不可以不完。周郭不可以外通。里域不可以横通。閭閈不可以毋闔。宮垣關閉不可以不備。故大城不完、則乱賊之人謀。郭周外通、則姦遁踰越者作。里域横通、則攘奪竊盜者不止。閭閈無闔、外内交通、則男女無別。宮垣不備、關閉不固、雖有良貨、不能守也。故形勢不得為非、則姦邪之人慤愿。禁罰威厳、則簡慢之人整斉。憲令著明、則蠻夷之人不敢犯。賞慶信必、則有功者勧。教訓習俗者衆、則君民化変、而不自知也。是故、明君在上位、刑省罰寡。非可刑而不刑、非可罰而不罰也。明君者閉其門、塞其塗、弇其迹、使民母由接於淫非之地。是以、民之道正行善也、若性然。故刑省罰寡、而民以治矣。


 ここでは完璧な城郭の造営を、君主が権力を確立して、法制・禁令によって「姦邪」「簡慢」「蛮夷」の行いを正し、その侵入を防ぐことの比喩として用いている。城郭を始めとする居住地域の囲いは、その出入を管理することによって治安維持機能の役割を果たすものとして認識されている。この機能は統治者側にとって重要な機能であったと思われる。こうした城郭の機能は、古くから指摘されてきたことであり、所謂「内城外郭」の「内城」に君主が居住し、「外郭」に民が居住する区分があった。さらに戦国時代の諸国間の抗争激化に伴う防衛強化の中で、城市は要塞化され、その中に居住する住民もまた戦闘員として利用するために、什伍制のような居住編成の必要性が発生したとする説も見られる(注41)。しかし城郭の住民管理機能に対する認識は、他の戦国諸子の文献にはあまり見られない(注42)。これはやはり、思想としての純化がなされればなされるほど、現実一般の常識的な事柄に対する意識の低下を招くことに原因があるのだろう。しかし『管子』は、その主題が富国強兵という現実的具体的目標であり、その主題に関連する雑多な知識を集約した文献としての性格が強い。その雑多性の故に、他の戦国諸子に見られない、城郭機能に対する認識が見られるものと考えられる。しかし、こうした城郭機能が『管子』においても付属的なものとしてしか考えられていなかったのは、禁蔵篇、八観篇ともに、比較や比喩の文脈で用いられることから明らかである。それよりもむしろ、什伍制や君主の法制・禁令の完璧な運営を重要視していることは、『孟子』や『荀子』であれば「仁義」や「礼」による「王道」、『墨子』であれば「尚同」「尚賢」、『韓非子』であれば「法術」と、それぞれの理想的統治方法を最上に置くことと性格上同一である。そもそも住民管理という城郭機能は、その存在が物理的なものであるが故に、それぞれの理想的統治体制が達成されてはじめて、十全にその機能を果たすものであるから、その機能を意識する必要性はかなり低い。そのため戦国諸子がその機能について意識的に言及するということはほとんど見られなかったのだろう。しかし『管子』においてその機能が、肯定的ではないとはいえ見られることは、『管子』の視野が現実的なものに向けられる傾向が強く、さらにそれが統治者側の視点からのものであったためであろう。

 これらから『管子』に見られる城郭機能への認識は、防衛上の機能に関するものが最も一般的なものであることは、他の戦国諸子と同一であることがわかった。ただし、『管子』においては一部に城郭の住民管理機能への認識が見られた。この機能に対する関心は薄いものといえ、他の戦国諸子にも見られないものである。防衛上の問題は国家存続に対する直接的問題であり、その大半が政治的国家論を唱える戦国諸子にとっては、程度の差はあれ避けられない問題であったが、住民管理のような統治制度上の二義的な問題に関しての認識は、諸子一般に意識の低いものとならざるを得なかったようである。


(注41) 五井氏前掲書。

(注42) 『韓非子』五蠧篇では「故父母之愛、不足以教子。必待州部之厳刑者、民固驕於愛、聴於威矣。故十仞之城、楼季弗能踰者峭也。千仞之山、跛牂昜牧者夷也。故明王峭其法、而厳其刑也」と、「十仞之城」を法律、刑罰の厳格な施行の比喩として用いている。しかし、この文脈上の用いられ方を考えると、城郭の住民管理機能についての自覚的な意識は薄いものと判断される。

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