第二節 『管子』における一般的な城郭認識
今までに見てきたように『孟子』や『荀子』をはじめとした戦国諸子の文献には、城郭を比喩や警句、議論誘導や比較材料に用いるものが多く見られる。こうした用例は、説得する相手の持っている常識的な城郭認識を、自らの主張に説得力を持たすために利用したものであり、『管子』にも頻見されるものである。そのためこれらの用例から、『管子』が説得して覆すべき戦国後期一般に常識的な城郭観というものを推測することができる。そこで『管子』において城郭が比較の対象として使用されている例を、いくつか挙げてみる。まず、牧民篇には次のように、
城郭溝渠、不足以固守、兵甲彊力、不足以応敵、博地多財、不足以有衆。惟有道者、能備患於未形也。
「城郭溝渠」「兵甲彊力」「博地多財」の三つは、「有道者」である優れた君主の存在よりも重要ではないとしている。次に立政篇では、
(前略)国之所以安危者四、城郭険阻、不足守也。(中略)君之所慎者四、一曰大徳不至仁、不可以授国柄。二曰、見賢不能譲、不可与尊位。三曰、罰避親貴、不可使主兵。四曰、不好本事、不務地利、而軽賦斂、不可与都邑。此四務者、安危之本也。故曰、卿相不得衆、国之危也。大臣不和同、国之危也。兵主不足畏、国之危也。民不懷其産、国之危也。故大徳至仁、則操国得衆。見賢能譲、則大臣和同。罰不避親貴、則威行於鄰敵。好本事、務地利、重賦斂、則民懷其産。
右四固
「城郭険阻」よりも、君主の人事管理能力の方が重要であるとしている。
この二例を見ると、『管子』においての城郭の評価は低いもののように思われ、これは『孟子』の「地の利は人の和に如かず」(公孫丑下篇)として、「城郭完かならず、兵甲多からざるは、国の災に非ざるなり。田野辟かず、貨財聚らざるは、国の害に非ざるなり」(離婁上篇)と、城郭や財力などの物理的経済的問題よりも儒教理念による国内秩序の統一を優先する考え方との共通点を感じさせる。しかし、牧民篇の「不足以~」という表現の用いられ方は、君主の能力が最重要であるが、「城郭溝渠」「兵甲彊力」「博地多財」の価値を全く否定しているわけではない。むしろこの三点が比較の対象として挙げられていることは、この三点が国家の繁栄と存続のための重要な要素であると考えられており、『管子』はそれを自己の主張の説得力強化に利用したのであろう。それを示すように枢言篇では、
国有宝、有器、有用、城郭・険阻・蓄蔵宝也、聖智器也、珠玉末用也。先王重其宝器、而軽其末用。故能為天下。
「城郭・険阻・蓄蔵」は「宝」であり、「珠玉」を「末用」として軽視し、「城郭・険阻・蓄蔵」が国家にとって必要性の高いものとして評価されている。
これらから、『管子』においての城郭は、有能な君主や内政における統治技術よりも重要なものではないが、全く不要なものではなく、むしろ必要なもので、それは「珠玉」のような贅沢品よりも必要性の高いものとして評価されていたことがわかる。しかし乗馬數篇においては、
桓公問管子曰、有虞筴乗馬、已行矣。吾欲主筴乗馬。為之奈何。管子対曰、戦国修其城池之功。故其国常失其地用。王国則以時行也。
いかに城郭の必要性が高いものと認識されていても、民を徴発し農事を妨げてまで城郭に労力を注ぎ込むことは、慢性的な農業生産力の低下を引き起こすものとされ、こうした土木作業は四季の変化に応じて行うべきであるとしている。『管子』には商業などの「末事」を否定はしないまでも、政治的に管理制限し、「本事」である農業を振興して、蓄財による富国強兵を達成する思想が、その根幹を通底している(注40)。そもそも城郭の存在は富国強兵政策の結果として強化されるもので、城郭を強化するために必要な条件は、農業振興による財政強化と、有能な君主による内政の安定である。そのため、城郭の優先順位はこれらのものより低いものと認識されていたようである。これは『墨子』辞過篇に「其の常役を以て城郭を修めれば、則ち民労するも傷まず。其の常正を以て其の租税を収めれば、則ち民費やすも病まず。民の苦しむ所の者は此れに非ざるなり。厚く百姓に作斂するに苦しむ」とあるように、城郭の修築の重要性は、民の生活の負担の範囲内のものであるとする認識と、統治者側の立場と被治者側の立場の違いがあるとはいえ、通じるものがあると思われる。
(注40) 金谷氏前掲書。
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