第五章 『管子』に見られる城郭観

第一節 『管子』の史料的扱いについて

 『管子』はその名の示すとおり、古くは春秋時代の斉の桓公に宰相として仕えた管仲の著作として伝えられてきたものである。しかし、その書中には多く管仲の時代より後代の出来事や思想が記されており、近来の研究では戦国時代後期から秦漢にかけて、管仲の偉業を敬慕する斉で活動する後学の者たちが、その政策を伝承する、もしくは自らの論説を管仲に仮託して展開するなどしたものであるとしている(注34)。事実、その文献としての存在は『荘子』至楽篇に「昔者管子の言有り、丘は甚だ之を善とす」と示されており、また『韓非子』においては、難三篇に『管子』権修篇とほぼ同文の「管子曰く、其の可を見て、之を説ぶこと証有り、其の不可を見て、之を悪むこと形有り。賞罰見る所に信ならば、見ざる所と雖も、其れ敢て之を為さんや。其の可を見れども、之を説ぶこと証無く、見其の不可を見れども、之を悪むこと形無し。賞罰見る所に信ならずして、見ざる所の外を求めるも、得る可からざるなり」や、『管子』牧民篇とほぼ同文の「管子曰く、室に言えば室に満ち、堂に言えば堂に満つ。是れ天下の王を謂うと」などが見られることから、『管子』という文献が戦国末には存在していたことが確認でき、また『史記』管晏列伝においては「太史公曰く、吾れ管氏の牧民・山高・乗馬・軽重・九府及び晏子春秋を読む。詳らか哉其の之を言うや」と、司馬遷が牧民などの『管子』の数篇を読んだという記事もあり、前漢時代には広く読まれたものであるらしく、古くから『管子』という文献が存在したことは確実である。さらに一九七二年に前漢墓から出土した銀雀山漢簡の中の「王兵」と名付けられた竹簡兵書に、現行『管子』の七法篇などと重複する文章が発見されており、出土資料からも『管子』の文章に戦国時代のものが含まれていることは裏付けらている。

 しかしその内容に関しては、政治、法令、時令、制度、経済、軍事、外交、教育などの各方面にわたり、またその思想も儒家、道家、法家、兵家などが雑多に混在しており、相矛盾する記載も多い。統治者の立場から富国強兵を目指す主張であることにはまとまりがあるが、文章の体裁などで首尾一貫したひとつの文献としてのまとまりは見られない(注35)。またその諸篇の成立、分類、編成過程も不明な点が多く、ひとつの篇にあっても内容の新旧や矛盾が入り混じるなどしている。そのため『管子』は、戦国秦漢の間に成立した寄せ集めの文献であるとされ、その使用したい部分の内容の成立した時代を確定すれば、適宜その文章を切り取って利用できる史料であるとされてきた。このため『管子』の各篇ごとの注目すべき内容を検討する研究が多く現れたが、原宗子氏はこうした『管子』各篇の関連性と全体の統一原理を明らかにしない状態での、『管子』の安易な利用には懐疑を示している(注36)。

 さて、以上に示されるように、『管子』を史料とする研究の困難さが理解できる。しかし本稿での問題は戦国時代の諸子文献にあらわれる城郭観である。『管子』の成立年代に関しては諸説紛々し、決論の出るには至らない問題があるが(注37)、そのどの説を採用するにしろ、『管子』が戦国時代の社会状況の強い影響下に、戦国後期にはその原型が誕生したものであることは疑いない。特に『管子』は具体的な富国強兵論を説く立場から、現実的な理論展開を行うことに特徴がある。戦国時代の城郭は形而下の現実的な物理的存在であるため、当然『管子』における城郭への関心は、自らが展開する形而上の思想的立場の影響を受けやすい儒家などに比べて高く、また、他の諸子文献には見られない城郭に関する記述や問題が含まれており、城郭に関して検討すべき要素は非常に多いものがある。このような状況から陳力氏は『管子』を「中国古代においてもっとも古い都市論の専門著作だといっても過言ではないと思う」と述べており(注38)、『管子』そのものは史料としての問題を多く含むが、戦国時代の城郭を検討するには必要不可欠な史料であると思われる。そこで『管子』の各所に見られる城郭に関する記述からその城郭観を検討し、前章に問題として提示した戦国後期の城郭を取り巻く環境について考察していきたい。(注39)


(注34) 羅根沢『管子探原』(太平書局 一九六六)、金谷治『管子の研究』岩波書店 一九八七)

(注35) 金谷氏前掲書。

(注36) 原宗子『古代中国の開発と環境―「管子」地員篇の研究―』(研文出版 一九九四)

(注37) 羅氏、金谷氏前掲書など。また『管子』の先行研究とその研究状況については、原宗子「『管子』研究の現状と課題」(原氏前掲書収録)に詳しい。

(注38) 陳氏前掲論文。

(注39) 『管子』の引用に関しては、房玄齢注『管子』(二十二子)を底本に、郭沫若『管子集校』(『郭沫若全集 歴史編 第五・六・七・八巻』人民出版社 一九八四~一九八五収録)を参照して適宜字句を改めた。ただし改訂箇所が多数にわたるため、それらについて一々注記はしなかった。

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