第二節 『韓非子』の城郭観
『韓非子』の城郭観は、小国の立場から防衛問題や外交関係に関係させる意識が強い。『韓非子』には韓非が自己の思想構築のための材料として集めたと思われる説話が多く載っているが、その中で城郭の登場する説話を見ると、『韓非子』の城郭観の方向性は明らかである。以下に引用してみる。
①説林下篇
靖郭君将城薛、客多以諫者。靖郭君謂謁者曰、毋為客通。斉人有請見者、曰、臣請三言而已、過三言臣請烹。靖郭君因見之。客趨進曰、海大魚。因反走。靖郭君曰、請聞其說。客曰、臣不敢以死為戲。靖郭君曰、願為寡人言之。答曰、君聞大魚乎、網不能止、繳不能絓也、蕩而失水、螻蟻得意焉、今夫斉亦君之海也、君長有斉、奚以薛為、君失斉、雖隆薛城至於天、猶無益也。靖郭君曰、善。乃輟不城薛。
②説林下篇
荊王弟在秦、秦不出也。中射之士曰、資臣百金、臣能出之。因載百金之晋、見叔向曰、荊王弟在秦、秦不出也。請以百金委。叔向受金而以見之晋平公。曰、可以城壺丘矣。平公曰、何也。対曰、荊王弟在秦、秦不出也。是秦悪荊也、必不敢禁我城壺丘、若禁之、我曰、為我出荊王之弟、吾不城也。彼如出之可以徳荊、彼不出、是卒悪也。必不敢禁我城壺丘矣。公曰、善。乃城壺丘、謂秦公曰、為我出荊王之弟、吾不城也。秦因出之。荊王大說、以鍊金百鎰遺晋。
③外儲説左上篇
鄭簡公謂子産曰、国小迫於荊・晋之間、今城郭不完、兵甲不備、不可以待不虞。子産曰、臣閉其外也已遠矣、而守其内也已固矣、雖小国猶不危之也、君其勿憂。是以没簡公身無患。
①、②は、城郭の軍事的価値を外交上に利用する政略であり、③は城郭・兵甲の不備を外交上のリスクとして捉えており、①、②、③はともに城郭の存在が外交関係と密接に関わっているとの認識に立っていることがわかる。特に①、③に関しては小国の立場からの、②に関しても外交的に不利な立場からの視点であり、『韓非子』のこれらの説話に対する関心の方向性が窺われる。これらは前節に挙げた、韓という小国で成立した『韓非子』の成立環境を反映した城郭観であると思われる。
こうした城郭観を基本として、『韓非子』では存韓篇と五蠧篇において、具体的な城郭論を述べている。まず存韓篇では、
夫韓小国也。而以応天下四擊、主辱臣苦、上下相与同憂久矣。修守備、戒強敵、有蓄積、築城池以守固。今伐韓未可一年而滅、抜一城而退、則権軽於天下、天下摧我兵矣。韓叛則魏応之、趙據斉以為原、如此、則以韓、魏資趙假斉以固其従、而以与争強、趙之福而秦之禍也。
とあって、秦に対して韓は小国であるが、警戒態勢を敷いて、城郭城濠の修築、食糧の備蓄などの防備を整えて、単独でも秦に抵抗して一定期間、秦の軍隊を釘付けにする状態を作り出すことができれば、秦以外の国にとって有利な状態が生まれ、その形勢を利用して外交を展開し、諸国を合従に加えて、秦に対抗する国際勢力が誕生すれば、秦も韓を滅ぼすことはできなくなるとしている。これは秦に打ち勝つことよりも、秦の外交上の戦争リスクを高めることで、小国韓の存立を図ることが目的の方策であると判断される。また五蠧篇では、
故周去秦為従、朞年而挙、衛離魏為衡、半歳而亡。是周滅於従、衛亡於衡也。使周・衛緩其従衡之計、而厳其境内之治、明其法禁、必其賞罰、尽其地力、以多其積、致其民死、以堅其城守、天下得其地則其利少、攻其国則其傷大、万乗之国、莫敢自頓於堅城之下、而使強敵裁其弊也。此必不亡之術也。舎必不亡之術、而道必滅之事、治国者之過也。智困於外、而政乱於内、則亡不可振也。
とあり、合従連衡を否定して、その失敗の具体例を周と衛の滅亡に求め、この二国がどのような方策を用いれば滅ぼされずに済んだかを述べている。その方策は、合従連衡の外交政策よりも、国内政治を厳正に行い、法律禁制を明らかにし、賞罰を確実にし、農業生産を最大限に引き出し、そうして食料・資材・財貨などを蓄え、人民が逃亡せずに決死の覚悟で戦い、その城を堅守すれば、大国もその攻略の困難と、たとえ勝利してもその得るところの少なさを悟って、小国への攻撃を取り止めるようになるとするものである。存韓篇と比較すると、一見には存韓篇と異なって外交を軽視する姿勢に見えるが、「其の従衡の計を緩くし」とあるように、外交を完全に否定するのではなく、その前に国内統治と防衛体制を完備することが先決であると述べているのであって、その方策は存韓篇のものとほとんど一致している。そして『韓非子』は、こうした自衛力を高めて大国を退ける方法を「不亡の術」と呼んでいた。
以上に見るように『韓非子』の城郭観は、自衛能力の強化によって大国の戦争リスクを高めて大国の侵攻を防ぎ、小国の存立を図るために必要不可欠な防衛上の手段として、城郭を認識するものであった。こうした城郭観は、『墨子』節葬下篇の「是の故に凡そ大国の小国を攻めざる所以の者は、積委多く、城郭修まり、上下調和すればなり。是の故に大国之を攻めるを嗜まず」という認識と同様のものである。また五蠧篇にあるように、城郭の修築、食料・資材の備蓄、外交関係の問題を一体化して、総合的な安全保障を考える視点(注30)は『墨子』七患篇に見られるものである。節葬下篇、七患篇ともに『墨子』の後期成立部分であるが、この『墨子』後期成立部分と『韓非子』との城郭観の共有は、同様の環境を背景としているものと考えられる。つまり、戦国後期の戦争の大規模化にともなって、城郭の修築、食料・資材の備蓄、良好な外交関係の維持など、総合的安全保障体制を構築する必要性に迫られた社会状況にあったのであろう。
韓非は荀子に学び、その性悪説、合理主義的自然観の影響を受けていた。前章に見たように、荀子は合理主義的自然観を行使しつつも、その基本姿勢はあくまで儒家であり、自己の理論展開上において現実との折り合いが要求され、その妥協が可能な範囲においてのみ、自己の儒家理論が現実上の問題に対応可能であるという姿勢を提示して、その説得性を増すことを図っていた。そのため「礼」の実現による「兵勁城固」の達成という、実効性は不明であるが、君主の要求する富国強兵志向に対応した独特の城郭観を示した。しかし、儒家ではない韓非においては、その合理主義的自然観を儒家理論と対応させる必要性から免れ、現実に存在する城郭そのものの問題と、その活用を模索した結果、城郭の修築、食料・資材の備蓄、外交関係の問題を一体化して、総合的な安全保障を考える、現実的実効性の高い城郭観に至ったものと思われる。そしてそれは「利」という現実的実効性を重視する『墨子』の城郭観に近いものとなったのである。
(注30) 亡徴篇にも「無地固、城郭悪、無畜積、財物寡、無守戦之備、而軽攻伐者、可亡也」とある。
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