第三章 『荀子』に見られる城郭観

第一節 荀子の事跡と『荀子』

 荀子は名前を況といい、また荀卿、孫卿とも呼ばれる。趙の人である。『史記』孟子荀卿列伝によると、斉の襄王(在位前二八三~前二六三年)の頃、五十歳で初めて斉の稷下に遊学し、列大夫となった。そのとき荀子は稷下の最長老であったため、三度祭酒の役を請け負った。後に讒言にあって、斉を去って楚に赴き、春申君に見出されて、蘭陵の令に就任したが、春申君の殺害事件(前二三八年)の後に罷免され、そのまま蘭陵で晩年を過ごした。

 以上が荀子の事跡であるが、その生没年に関しては諸説あって明らかではない。しかし、以上に示されるように、荀子は戦国後期に活動した人物である。そしてその思想を書き著した文献である『荀子』の内容もまた、戦国後期のものであると考えられている。『荀子』には荀子に先行する孟軻、墨翟、慎到、田駢等の戦国諸子それぞれの思想に、批判を加える非十二子篇があり、また『史記』孟子荀卿列伝で司馬遷は「荀卿は濁世の政にして亡国乱君相属ぎ、大道を遂げずして巫祝に営わされ、禨祥を信じ鄙儒の小拘、荘周等の如き又猾稽にして俗を乱るを嫉む。是に於いて儒墨道徳の行事と興壊を推し、序列して数万言を著して卒す」とあり、『荀子』とその思想が、先行する戦国諸子の思想を集合した上で構築されたものであることは明らかであり、その内容は戦国後期にしか成立し得ないものである。そのため『荀子』は諸子百家の思想を受け収めた古代思想の総合体という評価を受けている。

 それでは『荀子』にあらわれる城郭はどのような性格を持つものであるのだろうか。前章までの仮説を踏まえて、『荀子』の城郭観を考察していきたいと思う。(注24)


(注24) 『荀子』に関しては王先謙『荀子集解』(諸子集成)を参照した。

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