第二節 『墨子』に見られる城郭観

 『墨子』はその思想の根幹を為す、「兼愛」を支える思想として「非攻」の考え方を持ち、その実践のための専守防衛の守城技術を、備城門篇以下の「兵技巧書」と呼ばれる、一連の文章に書き記している。しかし、意外に兵技巧書以外の諸篇での城郭を問題とする記述はあまり多くない。それらを挙げると、七患篇、辞過篇、兼愛中篇、非攻中篇、非攻下篇、節用上篇、節葬下篇、天志下篇と、兵技巧書以外の五十一篇から欠けている八篇を抜いた、四十三篇中の八篇に過ぎない。前節で述べたように『墨子』は『孟子』と異なり、二百年に及ぶ墨家の活動の中で蓄積された思想をまとめたものであり、篇ごとにその成立時期の異なることが指摘されている。そこで以上に挙げた史料を、成立年代の相対的に古いとされる順から検討し『墨子』の城郭観を時期別に整理してみる。

 まず、最も古い成立とされる兼愛上篇、非攻上篇には城郭に関する内容は見られない。次いで古いとされる兼愛中篇、非攻中篇を見てみる。


今天下之士君子曰、然、乃若兼則善矣。雖然、天下之難物于故也。子墨子言曰、天下之士君子、特不識其利弁其害故也。今若夫攻城野戦、殺身為名、此天下百姓之所皆難也。苟君説之、則士衆能為之。况於兼相愛交相利、則与此異。(兼愛中篇)


今攻三里之城、七里之郭、攻此不用鋭、且無殺、而徒得此然也。殺人多必数於万、寡必数於千、然後三里之城、七里之郭且可得也。今万乗之国虚城数於千、不勝而入、広衍数於万、不勝而辟。然則土地者所有余也。王民者所不足也。今尽王民之死、厳下上之患、以争虚城。則是棄所不足、而重所有余也。為政若此、非国之務者也。(非攻中篇)


 すると、その内容は守城にはなく、戦争において攻城戦を行ったときの民への負担と疲弊についてのものであることがわかる。これは城郭が戦争時に攻撃の対象となるという常識的な認識を示すだけで、その扱いはいかにも軽い。またこれらは戦争を起こす側の視点から戦争行為を非難している。次に古いとされる節用上篇の記述を見てみると、


今天下為政者、其所以寡人之道多、其使民労、其籍斂厚、民財不足、凍餓死者、不可勝数也。且大人唯毋興師以攻伐鄰国、久者終年、速者数月、男女久不相見、此所以寡人之道也。与居処不安、飲食不時、作疾病死者、有与侵就援槖、攻城野戦死者、不可勝数。此不今為政者、所以寡人之道、数術而起与。聖人為政特無此、不聖人為政、其所以衆人之道、亦数術而起与。故子墨子曰、去無用之費、聖王之道、天下之大利也。


ここでも、兼愛中篇、非攻中篇の扱いと同様のものであることがわかる。

 これに対して七患篇、辞過篇、非攻下篇、節葬下篇、天志下篇の比較的新しいとされる部類は、守る側、戦争を強いられる側の視点から城郭が取り扱われ、『墨子』の城郭観と呼べるものが確認できるようになる。

 まず七患篇には、


子墨子曰、国有七患。七患者何。城郭溝池不可守、而治宮室、一患也。辺国至境、四鄰莫救、二患也。先尽民力於無用之功、賞賜無能之人、民力尽於無用、財宝虚於侍客、三患也。仕者持祿、游者憂交、君修法討臣、臣懾而不敢拂、四患也。君自以為聖智、而不問事、自以為安彊、而無守備、四鄰謀之不知戒、五患也。所信不忠、所忠不信、六患也。畜種菽粟、不足以食之、大臣不足以事之、賞賜不能喜、誅罰不能威、七患也。以七患居国、必無社稷、以七患守城、敵至国傾。七患之所当、国必有殃。


国家の患うべき七つの事の一番目に、城郭や城濠の整備がなされず、宮殿などの施設を修理することの害を置き、城郭の重要度についての高い意識を示す。また、この内容からは、外交、内政、食料の備蓄、財政の浪費などの総合的な安全保障意識が見られる。特に七患篇では続いて、


故倉無備粟、不可以待凶饑。庫無備兵、雖有義不能征無義。城郭不備全、不可以自守。心無備慮、不可以応卒。是若慶忌無去之心不能軽出。夫桀無待湯之備、故放。紂無待武之備、故殺。桀紂貴為天子、富有天下、然而皆滅亡於百里之君者、何也。有富貴而不為備也。故備者、国之重也。食者、国之宝也。兵者、国之爪也。城者、所以自守也。此三者、国之具也。


とあるように、この安全保障の問題を食糧備蓄や兵器の備え、城郭の整備などの考え方に反映させている。このような安全保障を重視する意識は、節葬下篇にも見られ、


是故昔者聖王既没、天下失義、諸侯力征、南有楚越之王、而北有斉晋之君。此皆砥礪其卒伍、以攻伐并兼、為政於天下。是故凡大国之所以不攻小国者、積委多、城郭修、上下調和、是故大国不嗜攻之。無積委、城郭不修、上下不調和、是故大国嗜攻之。今唯無以厚葬久喪者為政、国家必貧、人民必寡、刑政必乱。若苟貧、是無以為積委也。若苟寡、是修城郭溝渠者寡也。若苟乱、是出戦不克、入守不固。此求禁止大国之攻小国也、而既已不可矣。


食糧と資材の備蓄、城郭の整備、内政の安定が、国家の安全保障に直結し、豪華な葬儀による浪費や長い服喪期間は、防衛体制を損なうものとして認識されている。次に非攻下篇では、


今若有能信交、先利天下諸侯者、大国之不義也、則同憂之、大国之攻小国也、則同救之、小国城郭之不全也、必使修之、布粟之絶、則委之、幣帛不足、則共之。以此交大国、則小国之君説。人労我逸、則我甲兵強。寛以恵、緩易急、民必移。易攻伐以治我国、攻必倍。量我師挙之費、以諍諸侯之斃、則必可得而厚利焉。督以正、義其名、必務寛吾衆、信吾師、以此援諸侯之師、則天下無敵矣。


と、小国の安全保障への大国の援助を勧めているが、その中にも戦争時の援軍派遣とともに、城郭の補修や食料の援助などが安全保障の枠組みに含まれている。また辞過篇には、


以其常役修城郭、則民労而不傷。以其常正収其租税、則民費而不病。民所苦者非此也。苦於厚作斂於百姓。


と、人民の生活を損ねない程度であるならば、城郭補修のための徭役は人民の納得を得られる公共事業として受け入れられていたことを示し、安全保障の問題が君民一体の利害と考えられていたことがわかる。

 また非攻下篇、天志下篇は、戦争惨禍の被害について述べたものがある。


今王公大人、天下之諸侯、則不然。将必皆差論其爪牙之士、列其舟車之卒伍、於此為堅甲利兵、以往攻伐無罪之国。入其国家辺境、芟刈其禾稼、斬其樹木、墜其城郭、以湮其溝池、攘殺其牲牷、燔潰其祖廟、勁殺其万民、覆其老弱、遷其重器。(非攻下篇)


今氏大国之君、寛然曰、吾処大国而不攻小国、吾何以為大哉。是以差論爪牙之士、比列其舟車之卒伍、以攻伐無罪之国。入其溝境、刈其禾稼、斬其樹木、殘其城郭、以抑其溝池、焚燒其祖廟、攘殺其犧牷。(天志下篇)


 城郭溝池の破壊が、食料や資源の略奪や住民の虐殺はもとより、祖廟の破壊や祭祀に必要な重器の強奪などの、都市の精神的支柱に対する被害とも同列に扱われている。先に引用した『孟子』梁恵王下篇で孟子は、滕の文公に城郭強化の作業を通しての人心の一統を主張していた。城郭の建設、修築は都市住民の労苦をともにしての共同作業であり、そこから城郭に対する、何かしらの感情が生じたとしても不思議ではない。城郭は、単なる安全保障のための道具ではなく、その破壊によって人々に何かしらの精神的打撃を与えるものであり、同時にその建設や修築作業によって人々の精神的支柱にもなったようである。

 以上から『墨子』の成立の早い篇では、城郭の存在をそれほど注視せず、議論にすら含まれていなかったことがわかる。ところが、城郭の防御施設としての安全保障機能を強く意識し、また都市住民の精神的支柱としての機能も推察される城郭観が、『墨子』の成書の遅れる篇に出現してきた。では、何故このような状態が発生したのだろうか。次に『孟子』との比較でその理由を検討してみたい。

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