第三節 『孟子』の城郭観と儒家の都市理論

 以上から『孟子』の城郭観は、「地利不如人和」という思想に影響されるのを特徴とし、「人和」を最大の目標とするために、城郭に対しては強い関心を抱かず、防衛上の価値も重視していなかったことがわかる。しかし一方で、文明面においての城郭の存在そのものは当然の前提としており、「人和」という目的のためであれば、その利用を図ることも厭わなかったようである。

 陳力氏は儒家の都市理論を検討し、『儒家の都市理論は、「仁政」「徳治」を核心とし、「礼」の秩序はその表層のあらわれであり、形而上学的な特徴のある都市理論』であり、そのため「儒家の学者は城郭の軍事的機能に対して否定的な態度をもっていた」として、こうした傾向は儒家の都市理論全般に見られる傾向であると結論付けている(注16)。実際『論語』において城郭の防衛機能は一切問題とされておらず、その関心は儒家集団成立当初の春秋晩期から低いものであったことが窺われる。

 この傾向は『孟子』にも顕著にあらわれている。「人和」による統治の達成、つまり「仁政」「徳治」による「礼」秩序の形成という儒家の最終目標と比較すれば、城郭の防衛上の機能は二義的なものに過ぎなかったのであろう。そもそも『孟子』の主張する「王道」が達成されれば、全ての人民が「王者」になびき、戦うまでもなく天下は治まって、戦争はなくなるとされている。城郭の防衛上の機能について問題にしなければならないこと事態が、儒家の理想の現実における挫折を示すものでしかないのである。

 しかし、『孟子』において「人和」の重要性を主張するのに、わざわざ儒家が議論の対象として避けている城郭の軍事的機能を引き合いに出して説得していることに疑問を覚える。そして梁恵王下篇の滕文公との問答にあっては、次善の策とはいえ城郭強化策以外に講じられる手段のない状況が示されてしまう。こうした儒家の理想と反する状況は、いかなる事情によるものであろうか。

 想像されるのは、孟子の活動した時代に、孟子の説得する相手が重要であると考えているもの、つまり孟子が問題があると感じている、当該時代の王公大夫の意識を改めさせるための、弁論技術であったと考えられる。孟子の説得すべき相手は、梁恵王上篇に、


孟子見梁恵王、王曰叟不遠千里而来、亦将有以利吾国乎。孟子対曰、王何必曰利、亦有仁義而已矣。


とあるように、「利」を求める為政者であり、そんな彼らを「仁義」の側に引き寄せ、儒家理念による統治の達成された、「王道」を実現することが孟子の最終目標であった。城郭の軍事機能は、まさに「利」の範疇に含まれる問題である。この城郭の軍事機能を問題とする意識が、説得対象の基本的認識として広まっていたならば、城郭の軍事的機能への関心が低い、もしくは低くなければならない儒家であっても、それを問題として扱わないわけにはいかなくなるだろう。

 『孟子』に見られる城郭の記述は現実の時代の要請のもとに、城郭の軍事機能に関する問題を否定論としてではあるにしろ、展開せざるを得なくなった状況をあらわしている。そして、そうした否定論すら、現実の前に展開しきれなくなった状況が、梁恵王下篇の滕文公との問答にあらわれていると考えられる。


(注16) 陳氏前掲論文。

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