第六話 『不帰の砂漠イルカルラ』 その128
……最後の戦いの最中も、アルノアは行動しなかった。戦場では死んだふりをする敵兵どもに槍を突き刺しながら、もはや戦後処理に相応しい行為が始まっている。アルノアのいる救護所を『新生イルカルラ血盟団』は完全に包囲していた。
「ソルジェよ。ガンダラが、こちらを見ているぞ」
「……ああ。そうだろうな。戦場の流れだけでは、確認することは出来んからな。トロフィーの居場所を、オレたちが告げるべきだろう」
「うむ。猟犬の役目を果たしたことを、告げに行こうではないか。ゼファー」
『らじゃー!』
ゼファーは鮮血のかおりが漂う赤い血場へと目掛けて、ゆっくりと下降していった。ドゥーニア姫と、ガンダラ始めうちの猟兵たちが勢ぞろいしている場所に、ゼファーは着地した。
『ちゃーくちっ!!』
可愛らしいゼファーの声を聞いて、ドゥーニア姫は笑顔になったが、それも一瞬のものだ。指揮官らしい凛然とした表情に戻ると、ゼファーの背から地上に飛び降りたオレにまっすぐな視線を向けてきた。
「……追い詰めているか?」
「ああ。怪しげな動きをする者は、見逃してはいない。アルノアは、あそこの負傷者だらけの救護所に逃げ込んでいる」
「……だろうな。主君を逃すか、隠すつもりがあるのなら、あの騎士らも早死にを選ぶことはなかっただろう」
「そうだ。あの騎士どもは、アルノアから言い渡された役目を果たした。だから、派手に死ぬことを選んだ。自分たちの意地を示すことを選べたのは、他の役目がなかったからだ」
悪い最後じゃない。意地を見せるだけでなく……全戦力を決戦に引きずり込むことで、裏切りや離反者を防止した。アルノアの騎士どもが最も恐れていたのは、若い兵士らの『反乱』さ。
生き残ろうとして知恵を絞れば?……思いついただろう。アルノアを生け捕りにして、ヤツを手土産に『新生イルカルラ血盟団』へと寝返りを申し出るということぐらい。
そうなれば仲間割れは必死。こちらの戦力に与えるダメージは、さっきの圧倒的に不利な突撃よりも、さらに不利な条件であったことは必死だ。
ただのヤケクソの特攻というわけでもない。殲滅を避けられないアルノア騎士どもからすれば、最も合理的な行いではある。こちらの死傷者をわずかにでも増やしたのだからな。全滅必死の兵としては、それ以上の仕事などあるまい。
その事実から逆算すれば、ヤツらは……アルノアをここに匿った。いや、届けた。
「アルノアは、ここに来たかったようだ。砂漠を駆け抜けて、我々の追撃から『逃げられる』とは考えていなかったのさ」
「……ふむ。ここに誰かいるのか?」
「君の方が詳しいんじゃないか?」
「……いいや。そうでもない。メイウェイとの戦いにばかり、気を取られていたからな。暗躍しているかもしれないと踏んではいたが……」
「……息子でもいるのかと考えもしたが、逃亡する者をカバーする動きは最後までなかった。そういうたぐいのものではないのかもしれん。どう思う、ガンダラ?」
「そうですな。おそらく、正しい予想だと。もしも、跡継ぎがいるのなら、自分を囮にして遠ざけるのでは?……アルノア自身はともかく、アルノアの騎士らは冷静さをギリギリのところで保っていた」
「そういった行動を、竜騎士殿は見なかったというわけだ」
「ああ。アルノアはいる。何の目的だったのかは、おそらく、オレたちには及びつかないかもしれないな」
「……どういうことだ?」
「悪意に基づかない行動かもしれない。合理的な行動でなければ、読めないものさ」
「自暴自棄になっての行動?」
「……というかな。悪意よりも、善意のほうが狂気に近いものさ」
「どういうことだ?」
「これ以上、推理しても分からん。直感的なことだし、無意味だ……とにかく、アルノアを拝みに行くとしよう。ヤツの顔を知っているかな?」
「この護衛の戦士たちが、知っているぞ」
ドゥーニア姫は若い巨人族の戦士たちを見る。オレもその若者たちに顔を向けた。若者たちは緊張しながらも、明確な意思を示した。うなずいたよ、縦に巨人族の大きな頭を振るのさ。
「そうか。それで、ドゥーニア姫よ。君も行くか?……直接、ヤツを殺すことで、トロフィー・ハンティングを完成するというのはどうだ?」
「面白い。そうするよ。こちらも猟兵の護衛つきだけじゃなく、腕利きを連れて行く」
「……姫、私も!」
「当然だ。来い、ナックス!」
「はい!」
正直なところナックスは疲れ果てているんだが、ドゥーニア姫は選んだ。そうだ。これは、功労者に奉げる儀式のようなものだ。敵将の―――アルノアの首という『トロフィー』、そいつを誰が獲得するかという栄誉の授与式に過ぎない。
戦いは、もう終わったのさ。
これからするのは、儀式だ。勝利を確定し、誰が歴史に勝者として名を刻むのかを決める、極めて政治的な行いだった。
だからこそ、騎士道を主張しておく。
「ドゥーニア姫よ、抵抗できない負傷者までは死なせるな。名誉を損なうことになる」
「もちろんだ。敵は、十二分に殺したからな。私が『女王』となるのに、十二分な量の生贄だったはずだぞ」
「残酷さと強さと、美しさ……そして、やさしさを帯びることで、真の女王陛下となるだろう。君は、この『メイガーロフ』の女王に最も相応しい女性だよ」
「知っている。自分のことだからな。では、行こうか」
「……ああ」
「私が先行しましょう!」
ナックスが張り切り、巨人族の騎兵と共に我々の先を歩く。オレは猟兵団長の特権として、『メイガーロフ』の女王陛下となられるお方の馬を引いて、敵の地で染まった赤い砂地を歩いていく。
猟兵たちも続いたよ。武装は解かないし、集中力も鈍らせることはない。攻撃される可能性はあるからだ……オレたち猟兵は、連携している。敵が反抗の気配を見せれば、容赦なく殺戮するためにな。
……だが。
救護所についたとき、アルノア軍の負傷者は無抵抗だった。敗北者の怯えた瞳を、こちらに向けてくるばかり。殺されることを恐れている。負傷したとき、死を垣間見ただろうからな。
「抵抗しなければ殺さん。『新生イルカルラ血盟団』の長として、それは保証してやろう」
「……は、はい」
「……ほ、捕虜になります……」
ドゥーニア姫の慈悲に頼り、若者どもは生存を選んだ。それでいい。これだけ素直なら、ハナシは早そうだ。
オレは一人の負傷兵に近づき、右目と左眼でにらみつけながら質問したよ。
「アルノアはどこだ?」
「こ、殺さないで……っ」
「質問に答えろ」
「あ、あっちの……大きなテントの方です……っ。見ました。とても疲れ果てた顔で、あのテントに向かう伯爵の姿を―――」
「―――ぎゃあああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
……オレが振るった暴力にまつわる悲鳴ではない。件のテントからその叫びは聞こえた。そして……猟兵と砂漠の戦士たちの集中と警戒心がそこに向く中、テントの入り口から飛び出してくる人影がいた。
上半身裸で……返り血を浴びている男だ。というか、仮装でもする最中のように濃い化粧をしているな。真っ白くなるまで顔を厚塗りの化粧を施し、口紅をつけていた。
中年の体には化粧を塗りたくろうとした白い指の跡が返り血に混じっている。その指の軌跡は、何らかの紋章を描こうとしていたようにも見えた。どうにもこうにも、分かりやすい言葉で表現するのであれば、狂人だった。目がぎょろりとしているし、口の端にはヨダレが垂れている。
返り血の多さから見て、悲鳴の主を殺した殺人犯はあの男らしいが―――オレは、イヤな予感というものに表情を歪めていた。似ていたからだ。
「は、伯爵……っ!?」
狂人の名は、アルノア伯爵というらしい。そうか、少しばかり納得したよ。『イージュ・マカエル』のしていた化粧に、似ている理由に見当がつく。納得を得たからといって、安心はしない。不気味に思うだけだったがね……。
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