第六話 『不帰の砂漠イルカルラ』 その121


 風のにおいが変わる。戦場を染める赤い血のにおいに混じり、より錆びた鉄へ近い香りだったよ。砂漠が怒りを帯びた歌と共に、暴れ始めようとしていた。今日の砂嵐は南西から来るようだな。


 熱く燃える『イルカルラ砂漠』の砂が熱されて、風が生まれた。涼やかな北東へと目掛けて動き始めているわけだ。


 アルノア軍の兵士どものはるか後方で、赤みを帯びた砂の瀑布が動いている……脚もとに砂を帯びた風が、さざ波のように走った。


「……来ます」


 ナックスが語る。瞬きしている馬に乗ったまま、彼は槍を持つ指に強い力を込めた。脚の調子は良さそうだな。だが、もちろん死力を尽くすことになる。この戦場では、もう体力の万全な者は誰一人としていない。


 ……単純な突破力の勝負となる。怯むことなく、前進を続けることが勝利の鍵だ。だからこそ、ドゥーニア姫まで最前線に出る。彼女のカリスマと、彼女への忠誠心が、彼女の元へと砂漠の戦士たちを導くことになるのだから。


 それに、彼女もまた『イルカルラ砂漠』における最強の戦士の一人だ。指揮官であることを選び続けて来たが、その腕っぷしもまた十分な武器だ。


 巻き上げられた砂が、雨のように空から降り始める。風と砂粒がこすれ合い、空虚な宙を引っかくような音を立てている。空が、かき混ぜられる音だ。


『……くる……っ』


 ゼファーがつぶやいた直後に、強い突風が戦場を吹き抜ける。空から舞い落ちる砂と、地上から吹きあげられる砂が融けて、口元と鼻を覆いたくなる密度の砂塵が宙を舞い始めていた。


 ……羊毛のマントが役に立つな。口と鼻の穴を、マントでふさぐ。猟兵女子たちはバンダナで口元を覆っていたよ。暑くて、もごもごしちまうが、砂を吸い込むよりはマシだった。


「……砂っぽいな」


 リエルは素直に現実を評価した。忌々しそうに翡翠色の宝石眼を細めていた。目も細めるようにしている。長いまつげの向こう側で、砂が混じった『イルカルラ砂漠』の大気をにらむ。


「まだまだ強くなるぞ。音もやかましくなる。なかなか、この土地でしか味わえない音じゃないか?」


 長い羊毛の布をその顔に巻き付けながら、ドゥーニア姫はオレのエルフさんに告げていた。


「私は、砂漠は初めてだが……砂漠は大陸にはあちこちにあるようだぞ」


「ほう。そうか。ならば、きっと似た風が暴れるのだろうが……この土地ほどに、血の香りがする砂嵐にはなるまい!」


 この砂漠は闘争の歴史で飾られている。なんとも血なまぐさい場所だからな。それに、今日これからも血に染まることになる。たしかに、『イルカルラ砂漠』ほどに血が似合う砂漠はないのかもしれんな。


 口元を隠したドゥーニア姫は、獣のように鋭い貌になっていた。理性的な策略家でもあるが、砂漠でメイウェイの軍勢を翻弄してきた戦士の一人。戦略を練る知性を捨てて、ただ襲撃者の貌を浮かべることも似合っていた。


 砂に隠れる獣の襲撃。ここから先は、もはや戦術などいらない。獣じみた行為で事が足りる時間だ。敵陣目掛けて突撃して、片っ端から殺して回るだけのこと。なんてシンプルなことか。


 この突撃の威力を作るのは、ただひたすら前に行く意志と―――騎兵の数だ。こちらはアルノア軍の騎兵どもの大半を仕留め、敵に残っているのは遠征と連戦で疲れ果てたベテランとその馬だけだ。


 まして、砂風に紛れて動き始めた敵の騎兵どもは、ゆっくりと後退し始めていた。アルノアは騎兵ども脚を借りて逃げるつもりだろうが……騎馬という重量のある肉にカタマリが減ってしまうのであれば、こちらの突撃はより容易くなる。


「……逃げようとしているでありますな」


「不利なことを悟っているんですね」


「……でも、弓兵どもは……動いていないっすよ」


「ウフフ。身勝手な男なのね。アルノアという伯爵さまは。味方を盾にするつもりですわ」


「……自分、そういうの、嫌いっす」


「何であれ、ドゥーニア姫の名のもとに蹴散らすのみですな」


「うむ。逃げたいのならば、逃げてみればいいのだ。私とソルジェとゼファーが、絶対に逃すことはない」


「……弓兵を残してくれるのは、我々としても有益なことですよ。アルノアになびく敵兵をこの場で殲滅しておけば、戦後に逆らおうとする者も減るでしょうからな」


「イエス。ここは、殺しに徹する時間でありますな。騎兵の重量で、蹴散らしてやるであります」


「シンプルな突撃ならば、砂嵐の目隠しを気にする必要もありませんね」


「馬を並べて突撃し、目の前の帝国兵を殺していくだけですものね。ウフフ。とても、楽し気な任務です……リングマスター」


「なんだい、レイチェル」


「この戦で、最も多く殺した猟兵になったら、私にボーナスを」


「……くくく!いいな、そういうのもあれば盛り上がるか。いいぜ、一番殺したヤツに、オレがポケットマネーで賞金を出す」


「ウフフ。戦う喜びが増えて、うれしいですわ」




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