第六話 『不帰の砂漠イルカルラ』 その88
……マルケス・アインウルフ。その伝説はオレなんかよりも、その部下であった彼らの方が知っていた。
唐突に現れたマルケスに、古強者たちは敬礼で応える。歓喜の声は出さない。敬意は示すものの、状況についていけないようだ。
当然だ。マルケス・アインウルフはグラーセス王国の捕虜として捕まっているはずなんだからな。いきなり現れても、戸惑いが強い……だから、お前がいくらこの軍勢を指揮できるからといって―――。
「―――まずは宣言しておこう!!私は、諸君らと同じく、すでに帝国と敵対することを選んだ!!今の帝国は、私が仕える価値を持っていた、かつての帝国とは全くの別物だ!!亜人種の戦友たちを排除し、その家族までも拒絶した!!そして、今では君たちのことまで拒絶している!!」
「……しょ、将軍っ」
「わ、我々は、ど、どうすべきなのでしょうか!?」
……古強者たちはその答えさえも見失いかけている。もはや、アルノアの軍勢が見えているというのにな。
マルケスは戦士たちを見まわしながら、大声で断言する。
「敵を打ち砕き、勝利するッ!!」
「……っ!!」
「……ッ!!」
「私の軍が、殺意を向けられたとき、このままでは敗北しか訪れないとき!!為すべきことなど、ただの一つだッ!!
シンプルな答えだったが、たしかに道理だ。もはや個人の哲学や信念など、意味がないほどの窮状だ。こちらの窮状を敵は理解しているさ……何人か、あっちに逃がしちまったんだからな。
好機だと考え、殺意倍増でやって来ているんだよ。
ここから先は生存競争になる。多くが死ぬこと前提の極めて不利な戦いに。迷いなど意味がない。ただ死の確率を高めることにしかならない。
「私は、いつだって諸君らに勝利をもたらして来ただろうッ!!その事実を、忘れたとは言わさないぞッ!!」
「……そうだ」
「……オレたちが、負けるか」
「アインウルフさまもいる……ッ」
「負けたことなど、なかった!!」
古強者たちの目が、闘志を思い出すのが分かる。古強者だ……全盛期からは遠いが、それでも十分な強さは、まだ宿していた。それを、オレは知っている。見たからな、『ラーシャール』での見事な戦いを……!?
「……ぐぅッ」
メイウェイが動きやがる。せっかく、傷口が固まりかけているというのにな。
「おい、動くな……傷口が開けば、今度は死ぬかもしれんぞ」
「……惜しむような命ではないが、閣下を見ていたら、死ぬ気が失せてはいる……ッ。状況は呑み込めんところもあるが……私が、この軍勢を長として……できる、最後にして唯一の仕事をさせろ」
「……わかった。やれ。傷口が裂けたら、腹に手を突っ込んでも縫ってやる」
ニヤリと笑う。冷静で知的なランドロウ・メイウェイではない。ただの衝動に全てを委ねた男の顔をしていたよ。
ふらつく体をオレは支えてやった。メイウェイは、オレの肩を抱き寄せるように腕へ力を込めながら、立ち上がる。牙を見せつけ、余裕を演じた。必要なことだった、仲間の戦士たちが、この男のことを見つめていたからだ。
心配させてはならんのだ。
指揮官であるのなら、敗北も泣き言も要らない。マルケス・アインウルフの行動は、シンプルだが……正しかったよ。
「私たちは、勝てるぞッッッ!!!」
ランドロウ・メイウェイは狂気じみた笑い顔を作りながら、仲間にそう伝えていた。大声を張り上げたせいで、わずかに出血が強まるが……やらせてやるさ。
命を捨ててでも、勝たせてやりたいんだろうからな。それが、もはや今宵、戦力として死んだお前に出来る、唯一の仲間たちへの援護だということを、オレは理解している。
「アインウルフ将軍閣下が戻られたッ!!何ら、心配することなどないッ!!私たちの使う組織哲学は、戦略は、戦術は……いついかなるときも、閣下のそれを忘れてなどいないッ!!だからこそ、私たちは誰にも負けなかったのだッッッ!!!アインウルフ将軍閣下あああッッッ!!!」
口と腹の傷から血を吹きながら、ランドロウ・メイウェイは歌っていた。手負いの獣が見せる、驚異的な命の輝きを見せている……燃え尽きる直前だからこそ、荒々しく在れるものだ、戦士という生き物は。
マルケス・アインウルフは馬に乗ったまま部下を見た。そして、訊くのだ。儀式を成すためにな。
「……なんだ、ランドロウ!!」
「貴方の軍隊を……ッ。お返しいたしますッ!!閣下より預かっていた、貴方の軍隊を……だから、だから、将軍閣下あああッッッ!!!我々に、勝利をおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
「当然だああああああああああああッッッ!!!騎兵たちよ鋼を掲げろッッッ!!!我らこそ、無敗の帝国軍第六師団ッ!!雷の如き神馬の軍団ッ!!『ゲブレイジス』だッッッ!!!我らが鋭さを、今ここに示すぞおおおおおおおおおッッッ!!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
「第六師団万歳いいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!」
「『ゲブレイジス』が戻ったぞおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
歌が終わり……静けさと共に、背筋に悪寒がするほどの集中力を感じ取る。静かに落ち着いているが、目は狼のように爛々と輝いている。
これが、『本物の帝国軍第六師団』かよ。もしも、グラーセス王国に、こいつらとイーライ・モルドーがそろって来ていたらと思うと……笑えんな。顔が引きつる。負けていたぞ、グラーセス王国はなッ。
マルケス・アインウルフが負け惜しみを言った理由が分かる。完全な第六師団を、あいつは持っていなかったんだからな……ッ。
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