第六話 『不帰の砂漠イルカルラ』 その21
狼煙が消えちまったせいで、きっとこの場所に転がる帝国兵どもの死体は誰にも見つかることもなくなるだろう……砂に埋もれちまうか。侵略者への罰には相応しいが、どこか虚しさも生まれるな。
……だが、気にしているヒマもない。若騎士ロビン・マーデルフに一瞬だけ視線を向けた後で、ゼファーの背に乗った。
戦場で死ぬということは、こういうことなんだよ、マーデルフ。戦場では、命の重さは砂よりも軽いくせに、空に浮かぶことなく醜く地を這いずるのだ。
だからこそ、生き抜きたくもなる。勝利が必要だ、オレたちが多くの仲間を生き残らせるためにはな……。
「ゼファー」
『らじゃー!』
砂漠を走り、ゼファーは空へと帰還する。太陽は空の果てに去ろうとしている。夕焼けが始まろうとしているな……。
「ゼファー。一度、上昇してくれ。アルノア軍の動きを偵察するぞ」
『うん!』
漆黒の鼻先は天空を狙い、翼で空を打ちつけながら高みを目指す。これまでの低空飛行で溜まっていたストレスを解放するみたいに、力強い躍動に満ちた翼で、天高くへと昇る……。
空の上では、青みがかった東の果てと、赤に呑み込まれ始めている西の果てのどちらをも感じられる。『イルカルラ砂漠』は幻想的な輝きと、静寂に包まれていた。激しい戦いが何度も繰り広げられた場所には見えない。
砂漠の本質は、淘汰し呑み込み、隠すことなのかもしれん。砂嵐が一度でも吹き荒めばどんな争いの痕跡も砂の下に隠されてしまうわけだ。砂に呑まれれば、永遠に発見されることもないのかもしれない。
残酷なような、大雑把なような。そんな世界観を砂漠の人々は得られるのかもな。合理的な性格に陶冶されていくのも、分かるような気がするよ。
この荒涼とした世界は、意味を保ち続けることが難しく、欲望に根差す合理的な計算を行うことでのみ、自分を維持し続けられるんじゃないか?……この砂漠を旅していると、感情が乾き果ててしまいそうだ。
……美しい荒涼の世界を見ていると、そんな考えを抱いたよ。空には熱くて寒い風が渦を巻いている。何が何だか分からなくなってしまいそうな空だが、それが砂漠ってヤツなのだろう。
「……おー。アルノア軍は、かなり東に向かっちまっているなぁ……」
どこか呑気なドワーフの声で、ギュスターブ・リコッドは偵察結果を伝えてくれる。オレは不思議な空を観察することを止めて、地上にいる帝国兵士どもの姿を追いかけた。ヤツらは、ギュスターブの報告の通りに、東に向かって邁進している。
「遅れを取り戻そうとしているようだ」
巨人族は静かに予想してくれる。同意見だな。ヤツらはひたすらに東へ向かっている。オレたちの攻撃で、少しばかり休憩出来たようだ。そのおかげで、少し走れもするのだろう。
北西に『新生イルカルラ血盟団』がいないことを、悟ったのか?……いや。きっと、そういう理由ではなく、ただメイウェイ軍を追いかけているだけだろうさ。しかし、ついさっきの話題が頭をよぎる。
盗まれた『古王朝』のアイテム……そいつが何なのかは具体的には分からないが、下手すれば危険な能力を有した品なのかもしれない。『ガッシャーラブル』へと向かっているアルノア軍を見ていると、まるで、その品を目指して走っているように感じてしまう。
あり得ないことだがな。
軍事的な目標よりも、古代のカルトどもの品が優先されるなんてことは、さすがにありはしないことだ。
だが、感情ってのは不思議なものだ。カルトに対する新鮮な興味が、目の前に起きている状況を勝手に色づけしてしまう……。
「……さて。ゼファー、偵察はもう十分だ。また低く飛んでくれ。北西に『新生イルカルラ血盟団』がいるフリだけは続けなくてはならんからな」
『らじゃー!おーりーるっ!!』
空で遊んだ黒き仔竜は地上を目掛けて、まっさかさまだ。
「おおおお!!怖くはないけど、落ちたくないって気持ちになるぞおお!!」
「ハハハ!私は、こういうのは好きだよ、黒竜くん」
「……砂漠の上空は、この時間帯でも冷えているのだな」
三者三様の感想を耳にしながら、地上スレスレまで落下していくゼファーに、ブーツの内側を使って合図を送る。
タイミングは完璧だ。砂漠を熱しながら走る上昇気流にぶつかるように羽ばたきを使うことで、地上3メートル近くまでゼファーは落ちつつも、墜落することなく前進へと軌道を変える。
落下の位置エネルギーを速度に変えて、羽ばたきの軌跡で暴れる風を引き連れていく。砂漠は竜の翼に斬り裂かれたかのように、砂を宙へと放つのだ。まるで、斬り裂かれた戦士の肌から上がる、赤い血潮のようだったよ。
「……いいぞ、ゼファー。素晴らしい加速と軌道だった。きっと、アーレスも喜ぶだろうさ」
『うん。あのしろいやつにも、いまのはできないよねー』
「ククク!……ああ、ルルーシロアにも無理だ。竜騎士の風読みと、竜の感性がなければな。翼の起こす風で、砂漠を斬り裂くことまではやれまい」
『ぼくたち、とってもつよーい!……あいつとつぎにやるときは、かんしょうするねー』
「そうだな。屈服させて、オレたちの『家族』にするぞ」
『……んー』
「イヤか?」
『……ううん。みあのりゅうになるんだもん。やくそくしたんだ。みあは、しろいやつのりゅうきしになる』
「ああ。竜騎士と竜のコンビが、もう一組だ」
しかも、前代未聞の『耐久卵の仔/グレート・ドラゴン』が二匹だ。ミア・マルー・ストラウスと、オレの名は、ストラウス家の伝説として語り継がれることになるだろう。最強の竜が二匹で暴れる……帝国軍に負ける気がしないな。
……砂漠の空で、オレは楽しげな『未来』に思いを馳せつつ、ゼファーに低空飛行による南下を続行させた。
砂丘の影に隠れた飛行は、アルノア軍にこちらの動きを見せることはなかっただろう。アルノア軍は、混乱しつつも進むことになる……時間は稼げた。後は、『新生イルカルラ血盟団』がメイウェイと合流し、『ガッシャーラブル』に立て籠もれば迎撃態勢は完成だ。
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