第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その91


『それじゃあ、いくよー!!』


「ああ。頼むぜ、ゼファー」


『らじゃー!!』


 ゼファーは翼をゆっくりと持ち上げる。風のにおいを嗅ぎ分けながら、砂丘を駆けていく。その加速は鋭くはない。ドゥーニア姫に気を使っているのさ。背中を揺らさないように走ったゼファーは、やさしげに脚爪で砂漠を蹴った。


 空に浮かぶ。竜のいるべき場所へと戻ったよ。


「お、おお!!」


 砂漠の戦姫が驚きの声をあげる。初めての空だ。彼女にとっては最高の体験になっているだろう。


「空にようこそ、ドゥーニア姫」


「ああ……跳びはねているときみたいに落ち着かないかと思ったが、竜の背中は安定しているんだな。馬よりも、はるかに……空か」


「気に入っただろ?」


「ああ!とても、楽しいところだ。風が強くて、どこまでも『イルカルラ砂漠』が見渡せる」


『もっと、たかくとぶよー?どぅーにあ、へいきー?』


「大丈夫だ。もっと、高く飛んでくれ。あまり揺らさないようにな」


「ゼファーは騎士道を心得ている。女性にはやさしいんだぜ」


『そーだよー。がるーなのりゅうは、おんなのひとにやさしいんだよ!……ゆーっくり、たかいところにいくねっ』


 声を小さくしながら、ゼファーは大きな旋回を使っていく。緩やかな上昇の螺旋は、『イルカルラ砂漠』の真っ青な高みへと向かう。


「吸い込まれるような空とは言うが……実際に空を飛ぶと、くらくらしないんだな」


 地上にいて空を見あげたときには、空と大地が回ってしまうように感じるヤツは少なくない。とても一般的な感覚だ。空に落っこちてしまうような感覚とか、色々な言葉でヒトはそれを語る。


 だが、竜に乗って空を飛ぶときには、そういう感覚はないものだ。もちろん、酔っ払ってしまうヤツもいるが……竜の重心にきちんと乗り、進むべき空の先を射貫くように見つめることが出来れば、空に酔うことはないのだ。


 吸い込まれることはないさ。竜とその乗り手は、空の支配者だ。行くべきところに自らの意志で進むことになる。それは受動的ではなく、能動的なことなんだよ。ドゥーニア姫は、空に呑まれない。空を見据える度胸がある。砂漠の戦姫らしい気高さと言えるな。


「君には、竜乗りの才能があるぞ、ドゥーニア姫」


「そうか?そうなら嬉しいな。何にでも優れていることは誇らしい。空を飛ぶ才能があるのか……竜よ、私のものにならないか?」


『ぼくは、『どーじぇ』のりゅうだから、だめだよ』


「ハハハ!そうだろうな。気にするな、竜のゼファーよ。今のは冗談だ」


「当然だ。竜騎士の前で、竜を勧誘するなんてな」


「すまない。少し無礼だったか?……育ちが良すぎて、欲しいモノには、つい正直になってな」


「育ちが良すぎるか。たしかに、大臣の娘なら、反論できんな」


「気を悪くするなよ、ソルジェ・ストラウス」


「ゼファーを欲しいと感じてくれたならば、オレにとっては光栄なことでもある。絶対に誰にもやりはしないが……ゼファーの偉大さを評価されたことなのだからな!偉いぞ、ゼファー!砂漠の姫に褒められたぞ!!」


『えへへ!ほめられたー!!』


「良かったっすね、ゼファーちゃん!」


『うん!!』


「……竜とは可愛らしいところがあるものだな」


「分かってくれるか」


「食いつくな。あまり、分かってもらえていないのか、ゼファーの愛らしさが?」


「女性にはモテるぞ、オレのゼファーは」


 ガルーナの竜は騎士道を尊び、紳士であるべきという教えをゼファーは全うしているからな。砂漠の姫の心も掴めるのも、当然のことだ。


「ゼファーちゃん、たしかに女の人にモテてるっすね」


『えへへ!う゛ぇりいは、うしをぷれぜんとしてくれたよー』


「私もそのうち、何かを捧げてやるとしようか」


「肉にしてやるといい。ゼファーは、肉が大好きなんだ」


「竜のイメージには合う好物だな。ヒツジの肉をやる……この戦が片付けばな」


『たのしみにしてるね!どぅーにあ!』


「ああ。楽しみにしておけ。とびっきり美しく、美味しいヒツジを食べさせてやる。だから、もっと速く飛んでもいいぞ、ゼファー!!」


『おっけー!!』


 漆黒の翼が空を突くように広がった。力強い羽ばたきによって、ゼファーは砂漠の空を貫いた。熱気をはらんでまとわりついてくる風を、一気に突き抜ける感覚は心地よいものだ―――ドゥーニア姫も気に入ってくれたのだろうな。


「おおおお!!いいぞ、ゼファー!!なかなかいい速さだ!!」


「そうだ。この世で最も速く飛ぶことが出来るのが、竜だ」


「気に入った。なるほど……空を自在に飛べる……ヒトを羨ましく思うことは、私には少ないんだが……こればかりは、そなたが羨ましくなるぞ、竜騎士殿よ」


「空と竜の魅力に気づいてくれて良かったよ。怖がって、この素晴らしさになかなか気づかない者もいる」


「色々な者がいるものだからな。少なくとも、私は惚れたぞ。竜と、竜が導いてくれる、このどこまでも広い青のことがな!!」


 ドゥーニア姫は蒼穹を見上げるように体を反らせていた。両腕を大きく広げて、空を抱きしめようとする。きっと、彼女は自由を愛している女性なのだろう。そうでなければ、空にこれほど早く馴染むことはないのかもしれない。




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