第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その52


 こぼれ落ちた命は体に戻ることはない。砂嵐のなかにうずくまる『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』は、緑色の血だまりを作っている。砂漠の上に染みたそれはどす黒い水たまりにも見えた。


 もはや巨体を動かすための力は残っちゃいない。原始的な闘争本能か、あるいは食欲のために体中を動かそうとしているのは見えたが―――それはもはやうごめき程度のものでしかなく、戦うことはおろか立ち上がることも不可能に見える。


 駆け引きを好むようなモンスターではないだろう。


 偏見かもしれないが、蟲型モンスターに知性は少ない。本能に従うぐらいのことしかやらないだろう。


 ……そう考えてはいるが、過小評価することは悪癖だと理解している。油断はしていない。ヤツがこれまでで見せた最高の動きをするというシナリオを想定しながら、オレはその怪蟲の全身を睨みつけている。


 動きがあれば、即応するさ。


 力尽くの大技か技巧を尽くすことで、未曾有の危機にも勝利する。猟兵は、敵を侮らないものだ。強者が負ける最大の理由は、悪癖なのさ。どんな戦士も悪癖を突かれれば脆い。強いほどに、弱者への警戒心が薄らぐこともあるが……それは明らかに悪癖になる。


 『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』は、とても醜い姿をしていた。巨大な蟲であり、その大きく折れ曲がった脚はバッタやキリギリスをイメージさせる。プレートメイルのような甲殻だ。外骨格というだけじゃなく、肌の上に幾重にも分かれた甲殻の板が走っているらしい。


 醜さを作り出している甲殻の表面は硬く、内側はそれなりにやわらかい。脱皮する度に古い体皮が硬質化して張りついているのかもしれん。それらは板状に体を守っているし、可動性がある。


 その甲殻どもはパーツごとによく動く。荒れた呼吸と痙攣に応じるように、その体は縦にも横にも動いていた。


 巨大で醜く重いが―――比重でいえばヒトよりは軽いのかもしれん。体内に空洞が多いのかもな。あるいは、膨らむのかもしれない。体内に空気を大きく吸い込めば、こいつらは巨大化するのかもしれない。そうなれば?……流砂にだって浮かぶことが出来るかもな。


 比重ってもののおかげで、重たい木の固まりでも水に浮きやがるらしい。蛮族でも知っている古代から伝わる知識だ。重くても、空疎な物体は浮かぶ。流砂を住み処にしているということは、そんな力があるのかもしれん。


 あるいは、あの長い脚で砂に呑まれながらも慌てて走るとか?


 沈みきる前にそこから離脱すれば、流砂の犠牲にならなくてすむのだろうか?もしくは流砂に落ちても這い上がってこれるとか?……ラシードに後から聞いてみるとしよう。


『ぎぎぎぎぎいいいいいいいいい』


 怪蟲が鳴く。牛の頭を三つ分並べたほどのサイズがある頭部が怒りの歌を漏らすのだ。ガチガチガチと、巨大で内向きに湾曲している巨大な牙を叩き合わせながらな。


 緑色の泡が口からこぼれている。呪詛を吐いているわけじゃなく、戦いへの意志を現しているだけだろう。


 生粋の捕食者として、運命はこの醜い生き物に闘志と食欲のみを与えたのだ。『イルカルラ砂漠』の過酷な捕食者は、死に瀕していようがいまいが、戦いと捕食を望む。その点にだけはリスペクトを覚えるのだ。


 だからこそ、安らかな死を与えてやりたくもなる。


 竜太刀の斬撃は深々と怪蟲の肉体構造を破綻させた。血管のようなものとか、あるいは血液を循環するための何かオレの発想にはない仕組みが、ぶっ壊れたのは事実。ヤツはもう長く生きることは難しい。


 オレは左に体を振った。無数の目玉がギョロリと動き、こちらを追尾するように動いたな。シンプルな動作だった。だからこそ、お互いに救いになると思う。


 左への動きはフェイントだった。


 左に身を動かしたと刹那……本命である右の動きを実行する。鎧を着ていないからこその動き……多対多で行われる戦とは異なり、今のオレは一対一という楽な戦いのなかにある。だからこそ使える動作もあるのさ。


 『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』はフェイントに引っかかり、『風』を体にまとわせながら加速したこちらの姿を見失っていた。眼球の動きが衰えていたし、そして半ば切断されかかっている首の動きも悪かったからだろう。


 とにかくお互いにとって、その事実は評価すべきことだった。


 『風隠れ/インビジブル』によって体重を軽減されたまま、砂を軽やかに蹴り飛ばし、ヤツのざらつく甲殻が覆った背中へと跳び乗った。


 体術を使うのさ。ミア・マルー・ストラウスに教えた小柄な者のための技巧、それをオレだって使えるんだよ。まあ、『風隠れ/インビジブル』の加護があってこその動きではあるがな。体重の軽減と、無音。それとフェイントの応用に、体術。色々と駆使している。


 砂がこびりついているざらつく背中だった。脂が分泌されている様子でもなく、それなりの凹凸があるから、『風隠れ/インビジブル』で軽量化した体重の足場にするのは有効だ。


 その大きな背中を瞬時に駆け抜けて……『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』の首もとに近づいていた。


 怪蟲はオレの一瞬の早業に理解が及んでいない。魔術を応用したフェイントってのは、常識外の動きをする。ミアが最強の『暗殺妖精』でいられるのは、体術と『風』を使いこなすからだ。ミアの師の一人であるオレだって、本気になればこんなことも出来る。


 刹那の暗殺技巧は、最後の段階になる。


 竜太刀に絡める指に、怪力を込めた。


 慈悲深さと残酷は紙一重のところがあるものだが……そんなことについての考察をする間も惜しむかのような手早さで、アーレスの融けた竜太刀を放つ。斬首の一刀を叩き込んでいた。


 さっき刈り損ねた首に対しての攻撃は、今度こそ成功していたよ。技巧と鋼の切れ味だけに頼ることはなく―――シアン・ヴァティから学んだ『一瞬の赤熱/ピンポイント・シャープネス』も頼る。


 ……魔術に頼らずに戦ってしまっていたからな。それは、どこかギュスターブ・リコッドの見せた剣技に対しての嫉妬が成せた行動だったのかもしれない。軽んじてはいない。連戦が続いている現状では、魔力をセーブする行為は有益だ。


 だが、戦いは終わった。


 殺すだけだ。


 だからこそ、最小限の魔術も駆使している。


 『風隠れ/インビジブル』と『一瞬の赤熱/ピンポイント・シャープネス』によって強化された体術と竜太刀の斬撃は、今度こそ『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』の歪んで醜く、太い首のことを一瞬で断ち切ってみせた。


 壊れかけていた生命は、その一撃で終わる―――殺した後も油断はしない。断ち切った首を蹴りつけて、ヤツから間合いを取るように砂嵐の空へと身を躍らせる。死後の反射で大暴れするモンスターだっていることはあるからだ。


 7メートルほど離れた場所に着地したオレは、『風隠れ/インビジブル』を解除する。断ち切られた首から緑色の血を吹き出す怪蟲は、一度だけ体を大きくビクリと揺らしたが、その直後には砂の重みにさえ耐えられなくなる。


 砂嵐の向こう側にモンスターの死体は沈み込んでいき、永遠の沈黙は訪れる……。




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