第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その53
……勝利を実感しても視線は外さない。オレは『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』から距離を取るようにして後ずさりしながら、右へと歩く。癖として身につけておきたい動きだった。
もしも、倒したと思い込んでいる敵が不意に動いたら?……竜太刀による強打で迎撃してやるために、竜太刀を握った右腕を敵の死体から引くようにしておくべきだ。普段から癖づけることが大切だし、実戦こそが最高の練習の場でもある。
知識を経験値で裏打ちすることで、猟兵の哲学を体に染み込ませるのさ。防御と警戒と反撃の用意を継続しながらも、オレはモンスターの死体を視野に収めつつ―――さらに生きている敵の姿をも睨みつけた。
死体の先に生きた怪蟲がいる。砂嵐越しに、その巨大なモンスターの影があった。三匹目の『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』だ。
ゼファーとギュスターブ・リコッドが倒した一匹目、オレが倒した二匹目……そして、我が妻にして猟兵であるカミラ・ブリーズが向かっていたのが三匹目だった。
カミラ・ブリーズは凜然とした貌になり、アメジスト色の瞳でモンスターを睨みつけている。敵は不動だった。原始的な蟲型モンスターには、警戒心や恐怖はない。ましてヒトに対して威嚇をしてくるようなコミュニケーション能力などもないさ。
……野生の獣の多くは威嚇はしない。ただ沈黙して備えることはあったとしても、また同種に対しては独特の威嚇の歌を使ったとしても……ヒトに威嚇をするという行動は、ヒトに慣れた家畜だけの特徴だ。
蟲型モンスターのような原始的な食欲や攻撃性のみを持つモンスターにとって、威嚇はない。待つこともしないかもな。コイツらはシンプルで、即応的なんだよ。
だからこそ、ラシードは『速攻』を最良の手段としてオレたちに紹介してくれたのだろう。そのラシードだが、今は驚きをもってその動きを止めていた。
「……『ガオルネイシャー』を、封じている……っ!?」
「……どうやっているんだろうかね。あのレディーの『力』なのだろうが……?」
マルケス・アインウルフも不思議そうだったな。
まあ、仕方のないことかもしれん。オレとて大陸のあちこちを回ったものだが、『吸血鬼』と出会ったことはカミラの件のみだ。世界で最も希少な存在の一つであるのが、『聖なる呪われた娘』……『吸血鬼』、カミラ・ブリーズだった。
第五属性、『闇』。
『吸血鬼』に許されたその特別な魔力を、ラシードもアインウルフも熟知してはいない。オレも完全には把握しちゃいないし、カミラ自身もそうだろう。だが、この術は知っている。『影縛り/シャドウ・バインド』。二年前、オレも性悪『吸血鬼』に喰らったことがあるからな……。
砂嵐に塗りつぶされそうな視界の先にあったのは、『闇』の魔力によって縛り上げられたモンスターの姿だ。蠢く枯れ木の枝……そう形容したくなる『闇』色の魔力が、『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』を縛り上げていた。
蟲型モンスターはカミラを威嚇するために動かないわけでもなく、攻撃を準備するための不動の構えを取っているわけでもなく―――ただ単純に圧倒的な魔力の前に動けないでいるだけのことだった。
「……ふ、ふふふ。わ、『私』、やりました……っ。『吸血鬼』の『力』……『闇』の『力』を、また一つ、手に入れた気がします」
素の口調に戻りながら、砂漠に立つカミラ・ブリーズは両手を大きく広げる。『影縛り/シャドウ・バインド』は『吸血鬼』の美しい白い手と指に服従していた。『闇』が蠢き、『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』のことを絞り上げるように締めつける。
セクシーな指が動く。
獲物を握りつぶすような、殺意を体現する指の動きだ。『闇』はより枝分かれしながら伸びていき、蟲型モンスターの巨体を締め、鎧のように硬い甲殻にすら亀裂を刻んでいく。
『ぎぎいいいいいいいいいいいいいいいいいい――――』
悲鳴じゃない。ただ、捻られて絞られた体から、空気が無理やりに排出されただけの、感情のない無色の音に過ぎん。いや、緑色の音だったな。ヒビ割れた甲殻からは、音と共に緑色をしている蟲型モンスターの血液が噴き出しているからだ。
……大したものだ。
成長している。
『ヴァルガロフ』で得た経験値は、カミラ・ブリーズに『吸血鬼』としての力を磨かせているのだ。医術の腕を磨いただけではない。血を操る力だけでなく、『闇』を統べる才能を研いだのさ。
白くてセクシーな白い牙が見える。銀月を連想させる牙の輝きと、自信に溢れたその微笑みはゾッとするほどの魅力が宿っていた。愛らしいオレのカミラ・ブリーズのもう一つの姿、力強い魔力の主……『吸血鬼』、カミラ・ブリーズ。
「……このまま、切り裂ければ……完成なんすけど。で、でも。ちょっと、力不足じゃあるっすね……ッ」
巨大なモンスターを縛るだけでも大技だからな。ねじ切るように裂くのは、さすがにムチャがあるのかもしれん。『闇』を細めて鋭さを生むことは、切れ味を増すが拘束の力を緩める可能性もある。
それに、大出力の魔術において、そこまで繊細な魔力の操作を行えるほどには、カミラの経験値と技巧はまだ足りないものだ。
ああ、オレも参加したいな。カミラの細い腕に、蛮族の腕を絡めるようにして。あの美しい金色の髪に鼻を埋めながら、踊りをリードする紳士のように魔術の構成を導いてやりたい。
オレならばそれも可能だが……それではカミラの練習にはならんのも事実だ。合体させる技巧でオレが主導する形では、カミラの経験値にはならない。今のオレは師匠が弟子にするタイプの意地悪をしている。あえて手伝わないことを選んでいるのさ。
……見せて欲しいのは、創意と工夫。
どうすべきだ?……カミラ、自分で気づいて行動してくれ。未熟さを補う手段は、現実的には一つだけだぞ。
カミラは汗ばみ、集中力と魔力を維持させているが、ジリ貧だ。ヒトを縛るのではなく、小山のようなモンスターを拘束することは骨が折れる行いだ。時間をかけるほど、カミラは無意味に消耗する。
……形のいい眉がキュッと近寄り、多少の口惜しさに唇を閉じる。そして、カミラは猟兵にとって最も大切な要素の一つでもある、『状況判断』を行った。現状でベストな道は、一つだけだった。
「―――ラシードさん!!援護をして下さいっす!!自分が、コイツの動きを止めている間に、仕留めて下さい!!」
「うむ!心得たぞ、カミラ殿!!」
ラシードが走り、砂嵐の宙へと跳躍する。ラシードほどの戦士には、おそろしく簡単な作業だった。動きを止められた『ガオルネイシャー/醜い砂漠の怪蟲』の頭部を、巨人族の剛力が込められた槍の強打で破壊するなんてことはな。
……戦いは終わる。カミラは、少し口惜しそうにしているが、その瞳を自分が相手していたモンスターからは放さない。それでいい。現状ではベストのことをした。一定の満足と研磨すべき課題を見つけ、そして状況判断力を磨けた。
今日のトコロは、それでいいのさ。
カミラにとってはこの勝利は、心の底から満足することは出来ないものだが、成長の最中にある彼女にはベストの結果だと確信をもって判断することができるものだ。
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