第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その42


 眼帯を外して左眼をまばたきさせる。『赤い糸』を追いかけることにしたよ。『赤い糸』はか細く薄いが……それでも、追跡するには不便というほどではない。


 だが、アインウルフは同じ帝国人と思しき人物に対して思い入れがあるようだった。当然のことではあるな。死せる男のもとへと座り、紳士の指が男の見開かれた瞳を閉じてやるのさ。


「女神イースの慈悲のもとに、苦しみを忘れて眠るがいい」


 イース教の信者たちの好きな言葉である『慈悲』、帝国人の兵士にとっては、死後にその恵みが与えられることは幸いなことなのだろう。冥福を祈られたからといって、言葉だけでは呪いは消え去らない。


 世界への未練と、訪れた結末への不満は、『赤い糸』が消え去らないことで証明されるような気がした。コイツは、やはりアインウルフの直接的な部下であった過去はないのかもしれないな。元・部下であるのならば……アインウルフの弔いの言葉は、もっとこの恨みから編まれた『呪いの糸』を薄めてしまったのではないかと考える。


「……アインウルフ。弔いに時間をかけたいか?」


「……いいや。生きている方を優先すべきだろう。それに。彼の名前を知ってから、埋めてやろうと思う。今は、これで十分だろう」


 死後硬直したまま見開かれた瞳は、イース教徒の慈悲によって閉じられていた。


「慈悲に包まれて眠るといい。帝国の兵士よ……」


 ……帝国人を憎む感情は今も昔も色褪せはしないが、この男を哀れに感じなくもない。古傷の多い体と鍛え上げられた体は、勇敢な戦士であり誇るに足る経歴を持っていることの証だった。


 この男が、メイウェイの『忠実な部下』だというのならば、弔いのためにすべきことはメイウェイを安全な場所へと連れ出してやることだろう。


「……彼を殺した人物を追いかける。この先の通路から『彼女』は外に出た。『彼女』がメイウェイにとってリスクとなる人物なのかは分からんが、おそらくメイウェイと合流しているだろう」


「『彼女』を追えば、メイウェイにたどり着くってことっすね!」


「そういうことだ。皆、オレについて来てくれ」


「はい!」


「了解だぜ、サー・ストラウス」


 呪いを垂らす止まった心臓のあたりに一瞥をくれてやったあとで、呪われた女を追いかけるために脚を動かし始めた。


 この場所は細い通路のあいだに作られた、やや広い空間。何度も折れ曲がった通路の途中に作られた部屋……戦士が配置して、侵入してきた敵を左右から襲いかかるための場所。死んだ戦士を捨て置くには、けっして悪くない場所だ。戦士で在ったことの証明の一つになるだろう。


 狭い通路のなかを進んだ。罠の気配を探りながらな。実戦では気を抜かない。狭い穴だからこそ、上下左右と前、全ての方向を一度に見つめつつ罠を探れる。罠使いにとってこういう狭いルートは『狙い目』でもありから、気を抜けないのさ。


 『狙い目』となる理由は明白だ。


 『必ず通過する場所』。


 やたらと罠を配置することは、時間のムダだし効率も悪いものだ。しかし、『必ず通過してくれる場所』ならばどうだ?……罠を仕掛けておいても、悪くないと感じるさ。


 もちろん、メイウェイ一行が素早い離脱を心がけていたことを考えると、『彼女』も罠を仕掛ける時間は無かっただろう。床には、まだ乾ききらない秘薬の痕跡があった。動揺しながらも、『彼女』はこの通路を通り抜けた。


 仲間との合流を考えて、体についた血を消し去ろうとしたのか?……あるいは血止めの霊薬を使うことで、新鮮な返り血をまっ黒に固めようとしたのかもしれない。固まった血の跡ならば、新鮮な返り血だとは認識されないさ。


 それに、『ザシュガン砦』での戦いを経て、若手の騎士たちに裏切られて身柄を拘束された。その状況をメイウェイたちと突破したというのなら、彼女も返り血や手傷は負っていたさ。


 床に転がる霊薬の空瓶と、そこらに点々とつながる薬液の滴は、慌てながらも冷静さを求めて、仲間との合流するために『身繕い』をしていた証になる。『彼女』は、なかなかクレバーらしいぜ。


 ……ああ、オレは『彼女』を責めるつもりはない。


 騎士ってのは女性に甘いところがあるからだ。竜騎士さんも、もちろん同じことだしな。それに、彼女は自分たちを守ろうと必死だっただけだろう。背後から仲間を襲うこともなく、正面から挑んだことを、オレは評価しているんだ。


 卑怯者ではない。


 ただの『サバイバー』だ。


 混沌とした状況に置かれて、誰も彼もを信じ切れるほどには、ヒトってのは強い存在ではない。


 『彼女』の選択は、やさしさと寛容さに満ちたものなどではなかったが……それでも一種の合理的な予防策ではあったのさ。泣きながら、この場所で薬瓶を捨てて、メイウェイたちと合流する前には泣き止んでいたかもな。


 生き抜くための覚悟を決めた女ってのは、強いものだ。


 色々な強い女を知っているからな。オレは、『彼女』が仲間を殺してでも自分やメイウェイたちを守ろうとしていたのだと予想する。戦場ってのは混沌としているからな。『彼女』がオレの思うとおりの理由のままに行動したのだとすれば、責められるほどの罪とは思わない。


 むろん。全ての者がそれを納得することはないだろうがな―――とくに殺されたあの男と、あの男を大切に思ってやれるヤツにとってはな。だが、そこはオレの『正義』の範疇からは逸脱している部分だ。


「……明かりが、見えるっす!」


 カミラの声が暗い道をムシみたいに進んでいた我々の耳に届く。何度かの曲がり角を、罠が仕掛けられちゃいないかと考えながら通り抜けた先には、天井からわずかながらの光が注ぐ空間があった。


「あそこが出口かな、サー・ストラウス?」


「おそらくな」


「……ソルジェ・ストラウスの言葉の通りか。君は、やはりスゴい戦士のようだ」


「ククク!……まあな。グラーセスでは、教えてやった通りには有能だぞ」


「そうだね。いつか、また戦ってみたいところだ」


「……手合わせはしてやるよ。お前の傷が、完治したらな」


「ほとんど治っている」


「若くないんだ。無理はするものじゃない」


「……そう言われると、かえってムチャしたくなるものだ。気持ちを分かってくれるだろう?私より年上のラシード」


「……まあ、な」


 古強者たちの気持ちも分からないわけじゃない。年寄り扱いされて喜ぶ戦士は、あまり戦場に転がっているものではないのだ。


 ……謝る気も起きはしないがな。ケガ人のムチャを許容することは、そいつの死を招くことに直結する。マルケス・アインウルフには、まだ死んでもらっては困るんだ。


 通路を歩いたあとで……上から光がこぼれる場所にたどり着く。そこは、どうやら古井戸の一種らしい。足下はわずかに湿った砂だ……ブーツがズボリと沈みそうになる。オレよりはるかに体重が軽い『彼女』であってもそうらしい。


「お。その足跡が、『犯人』のだな!」


 ギュスターブ・リコッドは井戸の底に残った深い足跡を見つめながら語る。


「小さな足の大きさだ。ドワーフだとすれば、モテねえだろう」


 ドワーフ族は他の種族と異なって、大柄な女性を好みがちな傾向が強い。美的な価値観ってのは、本当に文化圏によって異なるものだと思い知らせてくれる事実の一つだ。


 首を動かして、上を見る。井戸の上には小さな小屋があるようだ。崩落して空とつながってしまっている天井が見えた。


 『彼女』は上から仲間にロープを垂らしてもらっていたのだろう、井戸の側面をよじ登った痕跡はあるが、それはブーツを使った痕跡だった。


 鉄靴の底で削られた痕跡は、間隔が狭い、フリークライミングじゃなく、ロープで引き上げられたながら素早く登ったわけだ。『彼女』はメイウェイたちと合流したのだろう。


 追いかけて、見つけよう。


 『彼女』の罪を裁くためではなく、『自由同盟』へのメリットのためにだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る