第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その43


「……カミラ。頼めるか」


「はい!『闇の翼よ』ッ!!』


 やわらかく温かな影が、井戸の底にいるオレたちを抱きしめていく。踊る『闇』は視界の全てを呑み込んで、体の重さを奪っていくのさ。そして視点が分かれる。無数の『コウモリ』へと化けたオレたちは、小さな羽ばたきの音を井戸の底に響かせながら光を求めて宙を舞う。


『……これは、どういう状態なんだ……?』


『……『闇』属性魔術さ』


『第五属性!?……失われた属性の一つを……いやヒトには許されていない力を、彼女は行使することが可能なのか!?』


 アインウルフは常識的な驚愕をしていた。第五属性『闇』、本来はヒトには許されていないはずの力。『吸血鬼』としての呪いを継承したカミラ・ブリーズだからこそ使えることが可能となっているものだ。


 ……『吸血鬼』という存在は、あまりにも希少だ。オレも大陸中を旅して回ったが、9年間で遭遇することがあったのは、たったの一度だけだった。カミラの故郷の村を征服していた、『吸血鬼』のクソ女ただ一人だけ。


『君たちは、本当に何者なのか分からないね。竜を操り空を飛び……ヒトには禁断とされる属性さえも使いこなす……』


『サー・ストラウスとその仲間たちに常識なんて通じないってのは、グラーセス王国人だけが思うことじゃないようだ』


『非常識なことを誇ろうじゃないか。そいつは特別な存在ということだ。『魔王』が愛する女として、これほど相応しい才能はないんだからな』


『えへへ。ソルジェさま、ありがとうございますっす』


 オレの『聖なる呪われた娘』は、『コウモリ』の群れと化けて深い井戸からの脱出を終える。『コウモリ』が床に映る影へと戻り、広がった影が跳びはねるようにして踊るんだ。そうして、オレたちはヒトの形状を取り戻す。


「……興味深い体験だった。竜に乗るのも、自分が自分でなくなるということも」


「同意見だぜ、アインウルフ。オレも、ちょっと体がフワフワしちまっているな」


 グラーセス王国人はそうつぶやくと、その場でドドド!と興奮してる馬みたいに素早くて荒れた足踏みをしていた。


 地面を確かめているのさ。空を飛ぶことに慣れていない者は、飛行の時間が終わったなら、地面との絆を求めたがるものだ。石畳がドワーフの体重に踏みつけられて、小気味よい音を立てて鳴っていたよ。


「良かった。脚、戻ってる!」


「自分の術の影響で、脚が無くなったりしませんっすよ?」


「そうだろうけど。ちょっと驚いたんだぜ、カミラ姐さん」


 ……まあ、『コウモリ』に分かれて飛ぶなんて経験は、そう出来るようなものじゃないからな……しかし、カミラにまた『コウモリ』の力を使わせてしまった。オレは胸元を開けると、可愛いポニーテールを撫でるのさ。


「栄養補給しておけ」


「……はい。いただきます、ソルジェさま」


 アメジスト色の瞳が蠱惑的なかがやきを放つ。笑顔と共に開かれた小さな口はセクシーだった。官能的な白さをもった、大きくて尖った牙にオレは首筋を捧げるのさ。


 身をかがめたオレの首に、愛する妻の細腕が絡みついた。背伸びしながら『吸血鬼』はカプリとオレの首に歯を立てる。セクシーな痛みが首に走り、肌からは命の赤い色を宿した血があふれる。それをカミラの舌が貪欲さを使って舐めてくれるのさ。


 荒い呼吸と、どこか獣じみた動き。


 愛し合ってる最中みたいな淫猥さを放つせいか、この場にいるオレ以外の3人の紳士たちは居心地悪そうに魔王と『吸血鬼』の夫婦愛から目を反らしていた。


「……いきなり何が始まったんだね?」


「愛を確かめ合っているのさ」


「……サー・ストラウスには常識とか通じないもんな」


「……ぷはー。ソルジェさま成分を、たっぷりと補給することが出来ちゃいました。満たされてるっすー」


 カミラがニコニコしながらそう語る。一瞬前まであったゾッとするほどの色気はなくなり、今の彼女は太陽の似合う笑顔だけを浮かべてくれていた。


「いい味だったか?」


「はい。最高っすよ、ソルジェさま……」


 オレの血は美味しいらしい。自分では分からんが、カミラがウットリとした顔で喜んでくれるのならば、何よりだ。


 猟兵と猟兵団長としての『仕事』を終わらせたオレたちは、このそれほど広くはない空間を観察し始める。ここは日干しレンガで作られた小屋のようだ。いや、天井の形から言えばドームといったところだな。


 そのドームの中央部分が崩落してしまい、そこに出来た裂け目は空へとつながっているんだよ。


「砂が流れ込んで来ていないのを見ると、この小屋は高い場所にあるようだな」


「おそらく砂丘に化けていたのだろう。動かない砂丘が一つあったとしても、その地下に施設が用意されているとは思わない」


「大した技術だな、ラシードたちの国にも、オレたちみたいなドワーフ族の職人がいるのか?」


「いるとも。南の方に、職人と山賊の両方の稼業をする猛者たちがいる」


 『大穴集落』のドワーフ族たちさ。彼らは昨夜の戦いを生き延びた『イルカルラ血盟団』の戦力を保護してくれているはずだ。彼らは、メイウェイの消失に気づくだろう。リエルがフクロウを飛ばして状況を伝えてくれているはずだからな。


 ……『大穴集落』のドワーフたちは、この状況を深刻に受け止めるだろう。メイウェイの消失と、昨日の襲撃に関連性を思い浮かべるさ。亜人種を尊重しようとしていたメイウェイの意志も命も、この土地から奪われようとしている。


 ガンダラとレイチェルが『イルカルラ血盟団』に同行してくれていて良かった。あの二人がいればドワーフを上手く説得することが可能だろう。


 ……オレは安心して、メイウェイを追いかけることに集中すればいい。役割分担だ。オレがすべきことは、現状ではメイウェイの確保だ。アインウルフという戦力を『自由同盟』に組み込むためには、メイウェイを生かした状態で保護するのが条件だ。


 『呪いの赤い糸』を追いかけて、オレはこの小さなドームを歩く。壁にはめ込まれた金属製の扉の前に行き着いていた。そいつを思いっきり力を入れた腕を使って、引っ張るのさ。


 想像していた通りに、砂が絡んでくる。それなりの重さを帯びた扉を引きずると、通路が現れる。短い通路だが、その先には布が揺れていた。カーテン代わりというか、砂を特殊な薬品でとりつけたウール製品らしい。


 この砂カーテンのおかげで、遠くから見れば周囲の砂漠の色に融け合うという発想だろう。細かな作戦だが、有効さはある。


 砂の張りついたカーテンを殴るようにして開き、オレたちは30分ぶりぐらいに外へと出ていた。


 砦が見える。砦からは、300メートルほど離れているな。


 ……ドームの外観を確かめる。ラシードの予想の通り、砦の周りに無数に存在している砂丘の一つにドームは化けていた。木を隠すには森の中という発想の、『イルカルラ砂漠』バージョンってことだろう。


 オレは左眼に指を当てる。まぶた越しに魔法の目玉を押さえながら、愛しい仔竜に呼びかける。


 ……ゼファー、こっちに来てくれ。


 ―――うん。りょーかい、そっちにいくねー!!




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