第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その30


 オレたちは砦の若い戦士たちに、この場での待機を告げた。体力を回復して、近いうちに起きるであろう、様々な戦闘の可能性に備えてくれという意味になる。


 『メイガーロフ』の緊張は高まりつつあるのさ、どこかでの緊張感は軍事的な衝突へと化けることになる。遅かれ早かれ、オレたちは軍事的な決着をつけることになるわけだ、アルノアという帝国貴族とのあいだにな……。


「了解しました!」


「待機しておきます!」


「サー・ストラウス、ご武運を!」


 亜人種の戦士たちが、オレたちのことを見送ってくれたよ。真心のこもった言葉は、暑い日差しのなかで受け取っても、暑苦しさはない。わずかに汗がにじむ肌を動かして、ガルーナ人の獣によく似た笑顔を作った。


『えへへ!『どーじぇ』、おかえりー!』


 ゴロゴロと斜面を転がっていたゼファーが、オレたちの接近に気づき、近寄ってくれたよ。その巨大な頭を、オレに近づけてくれる。指を揃えてその大きな肌先を撫でる。


「……南に向かうぞ」


『らじゃー!みんな、ぼくのせなかに、のってー!』


「おう!頼むぞ、竜!」


『ぜふぁーだよ』


「ああ、悪かったな、ゼファー。オレはギュスターブ」


『しってる』


「そうだ。知り合いは友だちだ。食い物じゃない。言いたいことは、それだけだ」


 告げたいことはシンプルなことだった。友だちは食べない。そうさ。当然のことだ。ゼファーが食べるのは、帝国人の肉だけなのさ。


「……私の名前は、マルケス・アインウルフだよ。竜のゼファーくん」


『んー。わかった。まえうす・あいんうるふ。おぼえたよ。よろしくねー』


 スマイルと共に、竜の大きな鼻の穴から、熱を帯びた息が漏れる。並みの胆力のヤツなら、その熱量に怯えてしまうんだがな。アインウルフって男は、まったく動じることもない。


 腹が立つところでもあるんだぜ。アインウルフを気に入ってしまう自分に気づいてしまい、そこが少しイヤなのさ。オレは、ガキっぽいところがある。帝国人であった男を認める作業には、それなりの工夫が必要なんだ。


 アインウルフはゼファーの最後尾に跳び乗っていたギュスターブ、彼の前に跳び乗っていた馬に乗るような動きでな。ゼファーの金色の瞳が大きく開閉していた。


 アインウルフの手が背中に置かれた一瞬に、ゼファーは『乗り手』としての技量を評価したのさ。アインウルフは、竜に乗ったことはないが―――馬術に関しては大陸一の男かもしれないからな。


 ……だが、ゼファーはアインウルフにそれ以上の関心を示さなかった。わざわざ首を動かしてまで、アインウルフを凝視することもなかった。『ドージェ』として安心する。いや、竜騎士としてかもしれん。


 嫉妬深い?


 男ってのは、そんなものだ。


 とくに自分の仕事や、自分が大切に感じていることが絡むとな……。


 ……秘密にしておくことで、自分の社会的な評判が損なわれない感情もある。大人はそういうのを口の中から出さない。赤い舌の奥にある、胃袋さんと肺腑のなかに押し止めておくことを選ぶのさ。


 大人なガルーナ人は作り笑いで、複雑な嫉妬の感情を隠蔽しちまうと、ゼファーの首のつけ根に跳び乗っていた。カミラに、オレは蛮族の強い指を差し出す。


「カミラ。オレの前に乗れ!」


「えへへ。了解っす!」


 自分のヨメに対する独占欲というものもあるが―――アインウルフを完全に野放しにするわけにもいかないからな。オレは、自分の脚の間に、愛しいカミラ・ブリーズを招く。


 自分の背中を壁にし、盾とすることで、アインウルフがオレたちを狙うという、おそらくゼロに等しい可能性からカミラを守る。


 こういう態度を示すのが、愛情ってものさ。カミラはそれに気づいたのか、オレの胸にあの秋の小麦畑みたいに豊かなボリューム感を持つポニーテールを押し当ててくれたよ。


「……安心っすね。このポジション。ミアちゃんは、いつもソルジェさまの胸と腕のなかにいられるから、ちょっとズルいです」


「オレの首筋に噛みついていいのは、君だけなんだぜ、カミラ」


 愛しの『吸血鬼』さんの耳元に、そう囁いていたよ。彼女の形のいい耳の輪郭に、舌を這わしたくもなるが……その衝動を具体的な行動に移すのは、また次の夜でいいだろう。


 今は、戦場に向かうべきだった。


 ラシードは、オレの備えに勘づいたのか、アインウルフとオレの背中のあいだに巨人族の体で壁をつくった。


「……前と後に、お前を見張っている男がいることを忘れるな、マルケス・アインウルフよ」


 険悪さという程でもない。だが、かつての敵には使うべき言葉ってものあるものだ。ラシードに釘を刺された男は、自由な両手を見せつけるように、両腕を左右に大きく開いていたよ。


 『メイガーロフ』の昼の風をかき混ぜるかのように、両手首を回してみせながら、アインウルフは語る。


「この手を縛らないで、そういう言葉を使うのか?」


「ククク!それなりの信頼ゆえだ。ヒトを背後から刺す男とは、思ってはいない。お前ならば、正面からの戦いを望むだろう」


「そうだとも。私のことを、新しい友人たちは、よく分かっているようだ」


「……私は、新しい友人というところまでは、心は許さない」


「分かっている。それでもいい。私は、君のような戦士に友情を感じるんだ。巨人族の君からは、ガンジスの気配を感じられもするからね」


「秩序派の巨人族と同じに扱われても、私は喜べんのだぞ」


「そうだったな。でも、理解してくれ。自分の友と例えることは、私のなかでは最高級の評価の一つなんだ」


「……ふん」


 拒絶するほどでもないという感情を宿していると思うんだ。小さくて短い鼻息ってのは、それほど強い意志を宿すことはない。迷いは、あるだろうが。割り切れるほどだ。


「ゼファーよ、行くぞ!」


『おっけー!!とーぶーねーッッ!!』


 ゼファーが尻尾をブオン!と大きく振り回しながら、乾いた斜面に立ち上がる。


 蹴り爪で斜面を強く押し込みながら、ゼファーはその身を華麗にターンさせていた。ゼファーは北西を向いた。目的地とは逆方向だが、問題はない。


 この斜面を駆け下りることで、加速を作りたいと考えている。


 もちろん、南を向いてそこから飛んでも問題はないのだが―――仔竜にとっては、好奇心に従うことは楽しい行いなんだよ。


 むふー。


 ゼファーの大きな呼吸に混じった、楽しげな企みをしているときの仔竜の歌を聞いたよ。『ドージェ』は嬉しくなる。そういうものさ、父親ってのはな。


『いーくーよーっ!!』


 ゼファーは斜面に導かれるようにして、頭を斜め下方へと向ける。重心が前傾し、ゼファーに加速の加護を与えていた。大きな脚が一歩、二歩、三歩四歩とピッチを早めていく。一歩ずつの距離もどんどん大きくなり……ゼファーは神馬のような速さを得ていたよ。


 『ドージェ』は、アインウルフに自慢したい気持ちになりながら、空を喰らうために剣鬼らしい獣似の笑顔を浮かべていた。




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