第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その31


 斜面を駆け下りて得たスピードに乗って、ゼファーは大地を蹴り、翼を広げた。疾走から飛翔へと変質した運動は、まったくもってムダな衝撃というものが存在していなかった。風に融けるような、空と一体化するような動きさ。


「……竜とは、やさしく跳ねるのだな」


 大陸でも屈指の馬術を持つ男は、竜騎士の自尊心を満足させてくれる言葉を口していたよ。アインウルフの飼っている、どの馬たちよりも賢く、速く、高度な技巧を持っているのだと、竜を自慢してやりたい気持ちになる。


 でも。オレは大人だから、そんな態度をあらわにすることはない。竜が馬よりも優れているのだと、あらためて口にする必要もないのだ。そんなことをすれば、竜太刀の一部となっているアーレスが怒りの熱を放つことは間違いがなかった。


 ―――我々と馬などを比べるだと?……愚かしさの極みだな。


 煮えくり返ったはらわたから、そんな冷たい言葉は飛び出してくるだろう。だから、オレは竜の動きに感動しているアインウルフに、背中を向けたままでいる。口惜しがらせる必要はない。お互いが愛する竜と馬を、比べる必要もない。


 何故ならオレたちは10才のガキじゃなく、大人の竜騎士と、もっと大人の紳士野郎だからだった。


 ゼファーは斜面を滑空することで、羽ばたきを使うこともなくスピードを上げていく。飛翔速度が安定してくると、ゼファーは風の動きを読む。オレが読んでもいいんだが、ゼファーが自分で読みたがっているから、ブーツの内側を使う合図はやらない。


 だが、合わせて動いてやるつもりだ。


 金色の瞳が風を見つめ、踊る風の奏でる音を竜の耳が聞く。熱された地面からは、強い上昇気流が生まれている。それを翼に受けているだけでも上昇することは可能だが、竜は風に君臨する存在だ。


『おーそーらにー、じゃーんぷ!!』


 リズムを宿した声と共に、熱された斜面を蛇のように這い上がって来た風に対して、ゼファーは翼を一杯に広げながら、掌握するように上昇気流を打ちのめす!


 ゼファーの体が上昇気流に持ち上げながら、さらに高みを求めて上昇して行くのさ。太陽に焦がされる夏の青い空を目掛けて、ゼファーは高く飛び上がっていた。山を越えるような高さまで、羽ばたき一つで飛んでいた。


「いい飛び方だったぞ、ゼファー」


『えへへー。『どーじぇ』も、あわせてくれてたー』


 そうさ。当然だけど、ゼファーが翼を使う瞬間には、重心を移動させて、ゼファーの羽ばたきをサポートしてやっていたよ。竜騎士として、当然の技巧と言えるし……オレとゼファーはこのシンクロを絆の一つにしてもいる。


 一緒に飛ぶものだからな、竜と竜騎士ってのは。動きで確認し合える絆というのも、我々ならではのものである。竜騎士という職業の喜びを、手放せるほど、オレは無欲な男というわけではないのだ。竜と共に空を飛ぶということは、楽しいことなのさ。


『じゃあ、せんかいするねー』


 ご機嫌なゼファーは、空のなかで尻尾を振っていた。右の翼を折りたたみながらの運動であり、それは右への大きな旋回という運動に帰結する。右に回りながら、仲間たちがいる『ガッシャーラブル』を見張ることも忘れはしない。


 状況次第では、メイウェイ探索よりも優先して、リエルたちのフォローに向かう必要もあるのだが―――今のところ、『ガッシャーラブル』は平穏さを保っているようだ。隊商たちの離脱は特徴的に見えたがな。


 優先度の高いコネを持った商人か、あるいは数日前から役人に『ガッシャーラブル』からの退避を申請していた連中かもしれない。急速な商人の消失は、帝国人にとっては避けたい事実だ。経済的な損失が加速的に大きくなってしまうからだ。


 ……どうあれ、メイウェイ死亡という噂は、商人たちから『ガッシャーラブル』どころか『メイガーロフ』にいたいという気持ちを大きく失わせている。メイウェイの次の太守に誰が就任したとしても、間違いなく軍事力は低下するのだ。


 治安の悪化と、『自由同盟』の侵攻を恐れて、商人たちは逃げ始めている―――アルノアは、これを予見できなかったわけではないだろう。卑劣な策に長けた男ならば、それなりに計算ぐらいはしていた。


 それなのに、こんな行動を選んだ。


 『アルノア・シャトー』を襲撃され、メイウェイに家探しの口実を与えてしまった。『ラクタパクシャ』を、自分が企画したことがバレたと感じたアルノアは、突発的に作戦を始めてしまったのかもしれないが……元より、こうなることも計算済み。


 経済的な損失を許容したのさ。


 経済を優先的に侵略戦争を組み立ててきたはずの帝国としては、大きな方針の違いだ。アルノアは、経済的な損失を出したとしても、自分の出世欲を満たそうとしているらしい。


 欲深い男だな。


 竜太刀に斬られて死ぬか、竜の炎に炙られて死ぬか、どちらかの結末を与えるに相応しい、クソ野郎ってことだろう。だが、その野心と欲望の大きさが、メイウェイという有能な軍人を追い詰めたことは事実だ―――無能ではなく、有害かつ有能な男だ。


 必ず排除してやるよ。オレの手でな……。


 ……オレの闘志を嗅ぎ取ったのか、ゼファーは翼で空を叩くペースを上げていく。『ガッシャーラ山』の稜線を撫でるようにして、翼跡は続くんだよ。高度を下げながら、スピードを得るという基本的な飛び方だな。


 問題はないが……気になることはある。


 昼を過ぎて、ますます『メイガーロフ』の気温は上昇していた。風が熱さを帯びているな……おそらく、今が最も暑い時間帯になるだろう。体温を超えた空気は、加速に比例して暑さを帯びるものだ。


 ゼファーはへっちゃらだが、カミラはどうだろうな。


「……カミラ、暑くないか?」


「えへへ。それは、少しだけ暑いですけど、問題ないっすよ」


『ゆっくり、とんだほうがいい?』


「自分は大丈夫っすよ、ゼファーちゃん」


『そう?『どーじぇ』?』


「ちょっとだけ、速度を落とそう。高度も上げてくれ。空の高いトコロには、北からの冷たい風が踊っている。そいつを捕まえれば、涼しさと速さを両立できるだろう」


 竜騎士の知識に従い空を読みつつ、ゼファーに命じたよ。良い仔のゼファーは、すぐに応える。


『らじゃー!きたからのかぜを、つかまえるねー!!』


 翼を使い、力尽くの上昇を行う。風に依存しなくても、竜は空を飛べるのだ。自らの翼に力を行使させることでな。すぐさまにゼファーは北からの風へとたどり着く、そこにはストラウス家の知識の通りに、涼しい風が走っていた。


『ここなら、ばっちり!』


「うん。そうっすね!……ありがとうございます、ソルジェさま、ゼファーちゃん」


「竜と竜騎士は、レディーファーストの精神で行動するものさ。だよな、ゼファー?」


『うん!ぼくたち、がるーなのりゅうきしとりゅうは、おんなのひとに、やさしいんだよね、『どーじぇ』!』


 ガルーナの竜と竜騎士の伝統は受け継がれていく。気に入った女性を拉致してきてヨメにするという悪癖は、親父の代で廃れたのさ。そういう野蛮な面だけではなく、オレたちストラウス家は、基本的な騎士の倫理感を持ってもいた。


 レディーファーストの精神だ。誘拐してヨメになったお袋は、きっとその精神のおかげで、いつも笑顔でいられたんだって思うぜ。求婚の方法は乱暴なものだったかもしれないが、それでも色々あったんだろうよ。愛ってのはいつの間にか生まれているものさ。




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