第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その6


 たらふくミートソース・パスタを食べるんだよ。そして、クルトンの感触を笑顔で楽しむミアを見る。新鮮なサラダを食べて、酸味のある苦いブラックコーヒーをゆっくりと飲んだ。


 腹が満たされて、舌が喜びを帯びる。そして、戦場に在るときの踊る心とは真逆の感情に癒やされていくのさ。


 オレは、戦士というものが必要とする精神から遠ざかっていく。日常への帰還を認識しつつ、幸福に満ちた朝食は終わりを迎える。キュレネイのように、無限の胃袋は持ってはいないからな。


「さーてと。女子チーム、風呂に入って来いよ」


「いいの、お兄ちゃん?」


「ああ。レディー・ファーストは騎士の道だ。洗い物はオレたち野郎に任せて、先に風呂に入って来てくれ」


「うむ。そうするとしよう」


「ソルジェさま、洗い物、ぜんぶしなくても大丈夫っすからね?」


「ノンビリとやるさ。なあ、そうだろ、バルガス将軍?」


「了解だよ、ストラウス卿。私も、チームの一員として、何か役に立ちたいと考えていたところだった」


「軍隊生活の長い男は、皿を洗うことの重要性を知っていてくれるから助かるぜ」


「食事は大切だからな。それを欠けば、兵はろくな働きをすることも出来なくなるのだから」


「まったくだ」


 ……役割分担が始まった。女子たちは風呂に向かう。女子たちも二チームに分かれるんだろうなと予測する。風呂に入るチームと、洗濯物をしちまうチームさ。5人全員で風呂に入らなくてもいいし、そこまで湯船もデカくはない。


 オレとバルガス将軍は、皿とフライパンと鍋やコップを洗い始める。『ガッシャーラブル』の水資源は豊富だから、水に対しての節約は過剰でなくてもいいことが助かるな。


「砂漠では、水の確保のために、砂で食器を洗うこともある」


 バルガス将軍から伝えられた情報は、なかなかオレにとっては衝撃的な発言ではあったな。


「砂で洗うのか?」


 それで綺麗になるのだろうか……?


 ガルーナの野蛮人の顔面には、そんな疑問が浮かんでいたんだろうな。あるいは、旅人に話せば、多くの場合、同じことを聞き返されてきたという経験でもあるのかもしれない。


「綺麗にはなるんだぞ。もちろん、水で洗ったというほどにではないのだがね」


「……そうか。ふむ、『イルカルラ砂漠』の砂は、かなり風と水に削られて、細かいからな……ヨゴレを削り取るというような形になるのか?」


「いい予想をしてくれているな。そういう形になる。水が貴重な場合では、砂で洗うこともあるのだ。皿を振れば、砂はヨゴレといっしょに落ちてくれる。布で拭けば、それなりには清潔になる」


「合理的な妥協だな」


「水が尽きれば命に関わる。しかし、食器や調理道具を汚れたままにしておけば、食中毒の危険ともなるのだ」


「砂漠ってのは、なかなか厳しい環境なわけだな」


「よその者からすれば、そう映るのだろう」


「……アンタの故郷を、悪く言うつもりはないんだぜ」


「ああ。私とて、『メイガーロフ』でのそれが、楽な暮らしだとは考えたこともないが。砂漠と生きるということにも、それなりの楽しみはあるのだ」


「ほう?」


「……砂漠は星が綺麗だぞ」


「たしかにな。まるで、海原にいるようだった」


「日々、風に吹かれて砂漠の景色は変わる。山のような丘でも、数ヶ月もすれば、なだらかな丘になっている……」


「変化に富んだ日々だな」


 その言葉を喜んでくれたのかね?……バルガス将軍は、故郷を褒められた男が浮かべる笑みを選んでいたよ。どこか、自慢気な、あれさ。


「誰もがそう思ってくれはしないのだろうが。私は、砂漠の暮らしは好きなのだよ、ストラウス卿」


「だろうな。アンタの顔を見ていれば、分かるぜ、バルガス将軍」


「……バルガス将軍か……」


「ん?どうした、自分の名前を皿に聞かせる呪いでもあるのか?」


「いいや。そういう呪いは、我々にはないよ」


「……偽名でも考えているわけか」


「鋭いな、『パンジャール猟兵団』の団長殿は」


「偽名も考えなくちゃならないな。『イルカルラ血盟団』のバルガス将軍は、『ザシュガン砦』で死んだことにしちまったんだから」


「死人として生きる者に、両親からもらったバルガスという名も、将軍という立場も相応しくはない」


 存在を抹消しなければならない。


 死者として生きるのであれば、『バルガス将軍』という名前さえも封じる必要があるわけだ。


「……何か、好きな名前はあるか?アンタ自身を現す、二つ目の名前がよう?」


「……考えたことがないからな。まだ、思いついてはいない……」


「そうかい。急かすつもりもないが、さっさと作っていた方が無難じゃなるよな」


「不意に口にする可能性もあるだろうからな。この『パンジャール猟兵団』は、アットホームだ。それゆえに、私のことも名前で呼んでしまうかもしれん」


「いい洞察だ。さすがだな」


 オレたちは『家族』だ。


 軍隊と同じく、結束が強さを生んでいる。オレたちは階級に統率はされておらず、個々の存在と関係性で作る絆で結束しているのさ。


 ……アットホームが売りなわけだが、そいつが祟ることだってある。全ての行いには、多面性が宿っているものだからな。状況に応じた最適はあったとしても、あらゆる状況に向けての、最良のものはない。


「……決めたぞ」


「早いな」


「仕事は質と速度だと考えているからな。あまり、悠長にしていたとしても、良い名前が浮かぶこともあるまい」


「そうだな。それで、どんな名前にしたんだ?……新たな戦士の名前ってのは?」


「『ラシード』にしようと思う」


「ラシードか。バルガスという音からは、遠くはあるよな」


「いい偽名だろうか?」


「バルガスって名前と、音がかぶっていないことは高評価だと思うぜ」


「そのあたりは、私も気をつけたつもりだがね」


「いい名前だと思う。何か、意味とか理由はあるのか?」


「歴史的背景次第で幾つかの意味はあるか、一般的には『勇敢』という名の意味を持つ。私が、これからの生でテーマにしようと考えている言葉になる」


「……アンタらしい名前だな、『ラシード』」


 『イルカルラ血盟団』を率いて、組織や国のために特攻して敵を道連れに死ぬという、勇猛果敢な行いを実行した男には、『勇敢』という言葉ほどに相応しいものはないように思えたよ。


 まあ、オレたちが思う勇敢さと、『ラシード』が掲げる勇敢さというのは、違う意味を持っているのかもしれないがな……。


「……死に損なってしまったからな。私は、この恥辱が放つ苦しみに、耐える勇敢さを蛇神に求めてみたいのだ」


「自分が信じる神への願掛けか。いいと思うぜ。きっと、アンタは蛇神に好まれる戦士のままでいられるさ」


「ストラウス卿の言葉には、ヒトをその気にさせる力があるようだな」


「ククク!……オレは、ヒトの生きざまを見抜くのが、ちょっとばかし上手なだけだと考えている。アンタは、相応しい男なのさ。その名前にな、『ラシード』」




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