第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その5


 フライパンのなかで、オリーブオイルに炒められた野菜と肉のミンチが、大量のスープと化したトマトの赤い海に沈むのさ。肉からは油が融け出して、焼けた野菜からこぼれ落ちる甘味と混ざっていく。


 ミートソースというのは、トマトがくれる酸味だけじゃなく、油と野菜たちがくれる甘味も必要だよな。この甘さが、スパイスに魔法をかけてもくれるんだ。舌に走る甘味の裏側から、スパイスの辛味を感じる。そのコンビネーションが美味さに化けるのさ。


 短時間の煮込みでも、ミートソースは濃厚な味を作れる。野菜を細切れにするとき、野菜を編み上げている繊維に対して、ナイフの刃を垂直の方向に入れるのがコツだ。そうすれば、野菜の甘味がよく出てくれる……。


 ああ。


 グツグツと、トマトソースのなかで、無数の具が煮込まれていく。それを見守りながら、オレはもう一つの鍋に湯を沸かし、そいつのなかに乾燥パスタを投げ込むのさ。パスタがゆっくりと湯を吸い込みながら、しなりを帯びて鍋の底へと向けて曲がっていく。


 長いことは茹でるつもりはない。


 ちょっと固めに茹で上げるのが、『パンジャール猟兵団』のトレンドじゃある。


 ミートソースにパスタを投げ込んで、そこでパスタとソースを同時に作ってしまうのも上手くはあるんだがな。パスタを茹でるときに漏れ出す、小麦の粉がスープと融け合って、やわらかいソースになってくれる。


 あれもまた美味いのだが、今日のオレのミートソース・パスタは、もっと基本に忠実なレシピに従うものさ。


 強火でグツグツと煮込まれていくミートソースが、ゆっくりとその水分を失っていく。水気が蒸発しちまうほどに、当然ながら味の濃さは深まっていくのさ。


 やはりミートソースを煮込むときは、よく乾燥させた薪がいいな。炭火よりも、豪快に炎を暴れさせる薪を使って、フライパンの底を焼き焦がしながら煮込むのが最適解だ。


 すさまじい勢いで蒸気が舞い上がりつつ、『パンジャール猟兵団』式のミートソースは完成していた。


 あとは、湯切りしたパスタを大きな皿にたっぷりと載せて、そいつの上に濃い赤茶色という最高に美味い色へと化けたミートソースを盛っていくのさ!!


「出来たぜ!!」


「やったー!!」


「やったであります」


 ミアとキュレネイが、その可憐な細腕たちを天へと突き上げる!喜びを表現するのさ。そうだ。食事ってのは、喜びだ。楽しい楽しい時間だよな。


「サラダも食べるのだぞ?」


「うん。野菜も……食べる。クルトンも入っているし!」


「いい子だぞ」


 リエルはニコニコしながら、ミアのためにクルトンを入れたサラダを目の前に置いていた。


「ミルクとお砂糖たっぷりの、カフェオーレもあるっすよ!」


「イエス。甘いカフェオーレは、心を癒やすであります」


「そうっすね。自分も好きっす」


 朝食のメニューが、次々とテーブルに並んでいく……。


 だから、オレは呼ばなきゃならないな。風呂の準備をしてくれているククルのことを。


「ククル!!」


 風呂場に向けて声を叫んだよ。声が戻って来る。


「はーい!」


 声と共に、素早い足音を立てながら、我が妹分が帰還する。猟犬みたいな素早さだと感心するが―――思春期の美少女に、猟犬みたいだなって褒め言葉を使っちゃいけないことを、オレは理解している。


 だから。


 子供扱いかもしれないが、頭をナデナデするのさ。ミアはこうすれば喜ぶからか、ククルにもそれをしがちだ。


 年頃のレディーにする扱いとしては、もっと適したものがあると思うが……そこまで気が回るほど、ガルーナの野蛮人は貴族的な文化を持っているわけじゃない。


 だが、ククルは喜んでくれているようだから、それで良しとしよう。


「メシにしようぜ!」


「はい!」


 猟兵たちと、そしてバルガス将軍がテーブルの席についた。テーブルの上には、ミートソース・パスタとサラダにカフェオーレ……オレの場合はブラックのコーヒーだよ。バルガス将軍もブラックだった。


 甘党の男は、それほど多いものじゃない。


 だが、カミラは気が利くからな。


 バルガス将軍のコーヒーの近くには、ミルクと砂糖を、そっと置いてあったりする。これでバルガス将軍が甘味を愛する男だったとしても、コッソリと好みの味にコーヒーをリメイクすることが出来るな。


 あとは、ちょっと気になるコトは。


「……食事前の長いお祈りが要るタイプか?」


「いいや。戦いにまつわる時には、蛇神ヴァールティーンの戦士は、コブラのように丸呑みしてもいい」


「合理的だな。砂漠の教えらしい」


「じゃあ、お兄ちゃん!」


「おう!たらふく喰うぞ!!」


「いただきまーす!!」


「いただきますであります」


 グルメな猫舌と、無表情の美食家が、我々のぶんまで食への喜びを表すような大声で、食事の始まりを歌うのさ。


 ミアは、フォークでパスタをくるくると巻いていき、あーんと大きく開いた口にパスタを運ぶ。


「もぐもぐ。美味しい!!……トマトさんの酸味と、お肉と野菜の甘味が……ひ・ろ・が・る!」


「イエス。さすが、団長であります。短時間で、これだけのミートソースを作るとは」


「……下準備は皆でしたから、全員の勝利だよ」


 『家族』が力を合わせて料理を作るか、そいつは本当に幸せなことだな。


 ミートソースをまとったパスタを、フォークでくるくる巻きにして、そいつを口に運んだよ。


 ああ、美味いな―――多分、空腹だったことも、この美味さを引き立てている。それに、『家族』の笑みが食卓を飾るというのも、幸せをもたらす。


 戦場で、敵を斬り伏せることで得られる幸せとは、真逆の喜びだ。血が沸き立つことはなく、ただ、胸の奥に温かい幸福感が広がっていく。


 こういう瞬間があるからこそ、オレは戦いの狂気に、心の底まで囚われることはないのだと確信を抱く。


 ……ガルフは、オレの危険性を見切っていたのだろう。戦場に多くいる戦闘狂の『先』……あるいは、それよりも『下』へと行っちまったヤツら。そういうヤツらを、間違いなくオレの何倍も見て来たガルフは、そいつらと同じ傾向をオレに見たのかもしれん。


 だから、マトモでいるためのコツを教えてくれたんだろうな。


 『家族』を持つこと、戦いの日々のなかにでも、『日常』ってのを見つけ出して楽しむこと。


 そういうものが、オレを支えている。


 ミートソース・パスタとサラダとコーヒー。


 報復の戦いに狂った夜を過ごした後に食べる朝食としては、これほど適したメニューはないような気がしてくる。


 口に広がるミートソースの味と、それが絡んだパスタをモグモグと噛む楽しみ。そして、それを呑み込む喉の感覚。ああ、素晴らしい食事だよ。


 猟兵たちも皆が笑顔だ。


 オレは、ゲストに訊いてみる。


「『パンジャール猟兵団』の朝メシは、口に合うかい、バルガス将軍?」


「……ああ。大変に美味しい」


「おかわりもしろよ。腹いっぱいに食べて、ゆっくりと休む。そいつが、猟兵の生きざまだ」


「私も猟兵か?」


「くくく!……そうだな、今はオレに身を預けている立場だ。アンタも、猟兵の流儀で動いてくれると助かるぜ」




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