第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その78
夜の『イルカルラ砂漠』は、昼間に比べてかなり快適だった。涼しいから?……いや、気温に関してはむしろ寒いぐらいだ。快適ってほどではない。楽になったのは、この空気だったよ。
「ゼファー、鼻のなかに砂が入ったりはしていないかしら?」
『うん。だいじょーぶ。たまに、くしゃみとかして、じょきょしてるから』
「そう。でも……夜になると、空は少し澄んでくるのね……?」
「夜露を浴びた砂は飛びにくいのさ」
「夜露?……なるほど、水気を含むから、飛ばなくなるということだな?」
「おそらくな。ロロカがいれば、もっと難しくて正確な分析をしてくれるだろうが、空に関しては、オレだって専門家だ。外れてはいないさ」
『しめって、つめたくなって……すな、そらにとびにくくなってるんだ』
「ああ。砂漠は水が少ないってわけじゃないんだろう。水を溜めておける場所が少ないってだけさ……地形も、どこか川底に似ている」
「ふむ。そう言われると、そうだな。ソルジェは、ゼファーに乗ると賢くなる」
「竜騎士の体質だよ」
テキトーな言葉を使って、オレの正妻エルフさんをからかってみる。小バカにされたお返しもかねてのことだったが、リエルは、ふむふむ、と小さな声で納得している気配を伝えて来た。
「竜騎士の体質は、良く出来ているな」
「……まあな」
天然ボケというか、ときどきマヌケなところも見せるから、リエル・ハーヴェルをからかうことはやめられんな。そんな認識を新たにしながら、オレは眼帯をずらして地上を観察する。
地上には敵兵どもが群れを成していたよ。騎兵がウジャウジャいる。そして、それと同じ数ほどの大勢の歩兵もだ。
帝国の兵士どもは砂漠を走り抜けて、アルノア・シャトーに到着しようとしている。アルノア伯爵の危機だと思ったのか、あるいは怪しげな監視者であるアルノア伯爵の住み処を漁れる機会だと考え、調査しようと息巻いていたのか……。
「……ソルジェ」
「どうしたんだ、リエル?」
「いやな。あの敵の群れのなかに、メイウェイという男も紛れているのだろうか?」
「……顔も知らん男だからな。見ても分からないが……オレがヤツの立場であれば、参加しているところだ。自分をハメようとしているようにしか思えん男を、野放しにしておけるほど、男ってのは器が大きい生き物じゃない」
機会があれば、敵は徹底的に潰す。完膚なきまでな。それが、男の子の攻撃性ってもんだよ。不寛容なところはあるかもしれないが、そんなものだ。誰もが賢者にはなれん。
「……狙うべきだろうか、探り続けて……?いや……ヤツを倒すのは、我々でないほうがいいし……そもそも、倒すべき相手なのか……?」
リエルが混乱しているようだ。迷うことの少ないのが、リエルの武器の一つではあるが。ようやく、戦略ってものに目が向くようになって来たのかもしれない。
迷うことは、猶予があるべき時と場所においては、ヒトを成長させる効果も発揮するものだ。若鳥が飛ぶための羽根が生えそろうって時は、むず痒そうにくちばしで翼をつついてみるもんだ。
「何を、笑っている?」
「背後から、見えたのか?」
「お前の背中は、お前が思っているほどには寡黙じゃないのだ」
「オレの背中はおしゃべり野郎か?」
「うむ。だから、分かるのだ。お前の背中は、私に色々なことを伝えて来る。喜んでいるらしい。そして、どこか、ちょっとだけ私のことをバカにしているよーな?」
「喜んでいるだけだよ。バカにはしていない。お前の成長を感じられていてな」
「……よ、鎧の上からでも、私の胸の大きさが分かるようになったのか?」
「残念だが、そんな能力は開眼しちゃいないさ……アインウルフについて、迷ってもいるわけだな」
「ああ。迷うべきことでもないのかもしれんが……それでも、私は、どこか未熟なのだ」
「空を飛んでいると素直になるもんさ」
「……ソルジェもか?」
「……そうだな」
「迷っているんだな。アインウルフの協力があれば、我々は……『自由同盟』は強さを得るだろう。ロロカ姉さまたちのユニコーン部隊だけでは、輸送能力が足りない。もっと有能な騎兵もいれば……速さをもっと使えるようになれば、数が少なくとも、勝利できる」
「その通りだ。いい戦力になる……アインウルフは、嘘をつくような男でもあるまい。メイウェイの命を救えば、ヤツは全力で協力するだろう」
「……そうだろうな。戦場で、単騎駆けを仕掛けられるような男は、おそらく自分に嘘などつけぬ男だ。ソルジェに、ちょっと似ているかもしれない」
「……似ちゃいないよ。オレのが男前だし……彼は、あくまでも帝国人だ」
「本質は、敵のままか。うむ……そうだな、信じすぎるべき輩でもないのは事実」
「ああ。そして、メイウェイがここで死ぬようなドジなら……アインウルフの買いかぶりでもある……アインウルフの目がその程度の見通ししか出来ないものなら、リスクを感じてまで使うべき男とも言い切れん」
「……言い訳めいているような気もするぞ」
「それが必要だ。素直になり過ぎることは、難しい。オレにも、背負っている立場もあるんだ。敵同士の者たちが、立場を越えることは難しい。オレたちは、メイウェイの良い噂しか知らない」
「たしかにな。噂だけで信じられるほどには、私もお前も性格は良くない」
「ククク!……そうだ。魔王になる男と、その后なんだからな」
「うむ。ソルジェ」
「どうした、リエル?」
「私は迷わん。命令しろ。メイウェイを射殺すための矢だろうが、メッセージ付きの矢だろうが……お前の命じた場所でもヒトにでも撃ち込んでやるぞ」
「……任すぜ」
「任された。で……どうする?」
「……メイウェイを探すヒマもない。ヤツらにあまり近づき過ぎて、ゼファーを発見されることは避けたい。警戒しすぎたら、『ザシュガン砦』に誘導することが出来なくなるかもしれん」
「私たちの存在に気がつけば、砦の救援よりも、自分たちの身を守ろうとするということか?」
「そうだ。未知の敵がいる戦場で、うかつな動きはしないだろう。賢いって評判の指揮官は、慎重になる」
「砦の仲間を見捨てるというのか」
「いや……『イルカルラ血盟団』が『ザシュガン砦』を攻撃した時点で、特攻だということには気づく」
「テリトリーである北の砂漠から、南下し過ぎているからか」
背中越しに伝えるために、頭をうなずかせてよ。赤毛が風に乗って、少し波打つように逆立ったと思う。リエルには、きっと伝わっていた。
「……メイウェイが狙うのは、バルガス将軍たちの焦りだ。夜が明ければ少数の『イルカルラ血盟団』は、より不利になる……そういう戦いを避けるために、バルガス将軍たちが夜襲を仕掛けてくると踏むさ」
「守っておれば、相手からやって来る。そう判断するわけか」
「そうだ。砦の救援に向かうよりも、動かない方が、結果として死傷者を少なくすることになるだろう。『イルカルラ血盟団』に、『自由同盟』の戦力まで加わっていると思えば、そういう消極的で無難な策に出る」
「我々が勘づかれると、作戦が壊れてしまうかもしれないな」
「ああ。『イルカルラ血盟団』にも死傷者が出て欲しいとは思わんが……衝突は必須だ。敵の数を減らす戦は、こちらの命も差し出すことになる」
「うむ。戦って、死んで、殺さねばならん。そうでなければ、帝国軍をこの土地から排除することは出来ない……」
「今夜、あれだけ敵兵どもを走らせてやった。今夜は、戦って死ぬには、悪くない夜になっているはずだ」
「……うむ。ソルジェ。私は、矢文を放つべきだな。メイウェイを見つけていたとしても……殺すべきタイミングではない。戦をしてもらわねばならん」
「そういうことだ。オレたちの戦力に気づかないままなら……メイウェイは夜の戦でも死傷者をコントロール出来ると踏むさ。長距離移動で疲れているのは、『イルカルラ血盟団』も同じことだからな……矢を用意しておけ。メイウェイの忠臣に、書類を届けてやる」
……最初にアルノア・シャトーに乗り込んでいくようなヤツは、メイウェイの信頼を得た者だろう。そいつに、アルノアと傭兵どもの契約書を一枚、送り届けてやるんだよ。アルノアともめてくれるのならば、メイウェイの賢さも少しは損なわれる。オレたちの作戦にも乗りやすくなるかもな……味方が欲しいと思ったなら、少々、ムリしてでも砦の救援に行くべきだ。
そうでなければ、政治的な悪口に弱くなる。臆病者が、仲間を見捨てた。アルノアはそんな言葉を使ってくるようなヤツかもしれんからな。少なくとも、傭兵を雇って民間人を襲わせるような男だ。正々堂々という価値観からは、遠い人物だろう。
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