第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その42


 西へと向かう……西へ。あの海図みたいに平坦な砂漠の地図に、星々の座標と共に記された拠点がある―――『ラーシャール』から、西へ12キロ。たったの12キロだ。竜の翼を持ってすれば、あっという間にその移動は完了するさ。


 砂塵混じりの星空に鼻先を向けながら、ゼファーは翼で闇を叩きつけて、疾風よりも速いスピードをその体に帯びさせていく。冷たい夜風を突き抜けながら、ゼファーは高度を下げることで更に加速を鋭くさせている……12キロ?この分なら、あっという間だな。


 ああ。眼下には、赤い夕焼けが去り、夜の青に染まった『イルカルラ砂漠』が見えている……。


「……夜の砂漠は、まるで海のようですわね」


 誰よりも海の『専門家』であられる、レイチェル・ミルラはそう語る。『人魚』の公認を得られたのだから、『イルカルラ砂漠』の夜は、やはり海に似ていると言ってもいいのさ。


「……そう言えば、バルガス将軍から聞いたハナシなんだが」


「なんですの、リング・マスター?」


「『内海』から訪れた人々は、皆、そう言うようだぞ?……砂漠は海に似ているとな。オレの印象も、それに一致するぜ」


「ウフフ。『砂の海』……素敵ですわね。泳ぐことは叶いませんけれど……それでも、この広大さには、独特の包容力を感じます……命よりも、冥府の香りがしますけれど」


「……そうですよね。この土地に、生命の気配は、希薄ですから……」


「ククル。海も広大すぎて、命の気配は希薄なのよ?」


「え?そうなん、ですか……やはり、知識だけでは現実との乖離が否定できませんね。私たちは、アルテマからの知識で、海は生命の根源だと……生命にあふれていると、記憶には伝えられていたのですが」


「間違いではないですわ。でも、それだけでは足りません。海は、少し沖合いに出てしまえば、命は希薄になる……命にあふれているのは、大地が海と融け合っている、わずかな部分のみのこと。トータルで見れば、砂漠のようなものです」


「……そうか。地表の栄養素が、海水と混じる……それで、豊かな栄養状態が構築されている……でも、外洋には、地表から海水に融ける元素が足りない……そういうことですね!」


 ……『蛮族でも分かる錬金術』を読破していて、本当に良かったと思う瞬間だったよ。我が妹分ククル・ストレガの言葉を、理解してやれることが出来るのだから。


「そういうことですわ」


「……やっぱり、知識だけじゃダメですね。そんな簡単な予測さえも、既成概念に影響を受けて、することが出来なくなる……こんな貧困な想像力では、ソルジェ兄さんたちの足手まといになってしまう……もっと、経験を積まなくちゃ!」


 マジメ過ぎるぜ、我が妹分よ。その言葉を使うべきか、使わざるべきか。ククルのやる気を削いでもいかんしな。そんなことを迷っているうちに……ゼファーの漆黒の翼は12キロの空間を潰していた。


「……団長。砂で出来た青黒い海原に、白いシャトーがあるであります」


「白いシャトー。いかにも帝国貴族が好む趣味の建物だな……」


 白い石を積むことで、砂漠のなかにそのシャトーは存在していた。石畳とレンガを交ぜて作った土台の上に、砂に食われぬ巨大な屋敷が存在している。白い石で組まれた、その美しい白は、砂漠の夜の闇に融けることはない。


 青に沈む世界のなかで、そこだけが水色程度に収まっているのさ。月の光と、星々の光りを浴びて、淡く、その石材の白は輝きを放っているというわけだ……古い建物ではあるが、補修工事は十分なようだぞ……。


「あのサイズで、砂に沈んでいない?……そうか、ソルジェ兄さん、あのシャトーの下には、天然の巨大な岩石があるのだと思います。おそらく、白い巨岩でしょう」


「そいつを削り出して、頑強な土台にした。だから、砂に沈まないか……ついでに、シャトーを建てるための資材も確保したわけだ」


「合理的な建築方法ですわね。でも、『ガッシャーラブル』とも、『ラーシャール』の建物とも、異なる建築様式に見えます」


 天才肌っていうか、芸術家肌っていうか。レイチェル・ミルラは建築の知識なんて無くても、その創造物に秘められた哲学ってのを読み取るのさ。


 これだから、天才ってのは羨ましい。オレがオットー・ノーランにさんざん仕込まれて、ようやく手にすることが出来つつあるような視点を、感性だけで読み解いてしまうんだからな。


「……あのシャトーは、ドワーフ建築の影響を受けていないんだよ。アレは、人間族が建てたシロモノだろう。何百年も前にな。そんなシャトーだからこそ、人間族の趣味には合うんだよ……アレは、砦でもないしな」


「そうですわね。あのシャトーからは、洗練さと流麗さを感じますわ。そして、機能美は削ぎ落とされている……あそこは戦いでも、商業の合理性からも離れている。離宮のような気配がある……だからこそ、伯爵であるアルノアは、気に入ったのでしょう」


「尊い身分の者たちが好んだ屋敷だろう。『メイガーロフ武国』が建国されるより前に、ここいらには人間族の支配領域が広がっていたわけだ」


「……人間族は、『メイガーロフ武国』の設立前後に、排斥されたということでしょうか……?『ラーシャール』は、巨人族の支配領域です」


「おそらくな。『ラーシャール』を治めている種族が、この『イルカルラ砂漠』における商業的な主導権を握るのは確かなことだ―――かつては、人間族がリーダーだった時代もあったんだろう。それも、永遠には続くことは無かった」


「栄枯盛衰を感じるでありますな」


「まあな。しかし、古き時代に想いを馳せている場合でもない……ゼファー」


『うん!あのたてもののまわりを、せんかいするね!……ていさつひこうだー!』


 シャトーの外壁には、わずかながらにも見張りがいるからな。ゼファーは、その見張りから見つからないようにするために、高度を高くしてくれる。


 学んでいるのさ。だから、言われなくても、正しいことをしようとする。それでいい。竜もヒトも、自分の行動に対して、小さな修正を加えながら成長というものを成し遂げていくのだから……。


 上空には北の山脈から吹く夜風が冷たい。太陽の去った世界は、あまりにも急激に熱量を失っていく。雲がないからな。雲や、水蒸気が上空にあれば、そいつらのおかげで地表の熱ってのは、逃げないものだ。


 ……こういう極端な乾燥は、気温を逃し、突発的な風を暴れさせもする。そら、さっそく来やがるぜ。ドージェの教育方針は、ちょっと意地悪かもしれない。この風の気配に気づくかどうか無言のままテストしていた。


「ふわ!?」


 ククルが北からの暴れ風に少し驚き、オレの腕と脚のあいだで可愛らしい悲鳴を上げていた。ゼファーは、この右から叩きつけられた横殴りの突風に対応する、右の翼で風を抑え付けながら、左の翼を天へと向ける。


 不規則な乱暴者であった風の流れに秩序と方向が生まれて、ゼファーの巨体を天空高くへと引き上げてくれた。


「よく今の風に気づけたな、オレのゼファー。並みの竜では、あの暴れ風と戦ってしまっていた。乗りこなすとは、さすがだぞ」


『えへへ!……るるーしろあと、またたたかうからね。そのときは、あっしょうしないといけないもん』


 ルルーシロアとの出会いは、ゼファーの飛翔に繊細さを深めてくれているようだ。力だけでは、自分よりも少しばかり年上の『耐久卵の仔/グレート・ドラゴン』に勝てないこともある。


 単純な強さだけでは勝てない相手と戦い、それに勝るためには、より細かな技巧を翼に宿すしかないということを、ルルーシロアとの戦いはゼファーに教えてくれたのさ。


 さてと……高さは十分だ。あとは……再びのぞき見と行くか。偵察して、侵入し……襲撃の下準備をしあげちまうとしよう。




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