第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その43
白い岩をした可愛らしさもあるシャトーから、およそ500メートル離れた砂丘の影に、ゼファーは着地をしてくれた。オレたちは砂の遮蔽に身を隠しながら、この新雪みたいに柔らかな砂漠をブーツの底で楽しんだ。
ゆっくりと砂丘を昇りながら、ゼファーには空へと戻るように指を振るサインで命令を告げていた。ゼファーはときおり強く吹く北風に乗るために、砂地を蹴って、空へと舞い上がる。
風を翼に受け止めて、ゼファーはその身を実に軽やかに空へと戻していく。ほぼ無音の飛翔を実現させたゼファーは、しばらく低く飛びながら加速した後で、上昇の軌跡を星のまたたく夜空に残して、東の空へと消えて行く……。
『ガッシャーラブル』に戻るのだ。そこでリエルたちと合流することになる……ガンダラが、上手いこと『太陽の目』の連中を説得することに成功していれば良いのだがな。
長老たちの一人であるホーアンを説得することが出来れば、今後、『メイガーロフ人』主体による反・帝国組織を作り上げるために役立つのだが……この土地の主導権を、『メイガーロフ人』の手に取り戻すためには、彼らの主体的な抵抗運動が必須となる。
『自由同盟』の……いや、クラリス陛下が率いるルード王国の支配が、この『メイガーロフ』に及びすぎることは、クラリス陛下だって望んじゃいない。
もしも、そうなれば?『自由同盟』はルード王国が領土を広げるための方便だと、誤った形で受け止められる可能性があるわけだからな。
そんなことになれば、『自由同盟』に共鳴してくれる戦士たちの数が大きく減りかねないのだ。
……後の政治的な基盤を作ってもらうためにも、より多くの『メイガーロフ人』が帝国軍との戦いに参加して欲しいところなのだがな……。
まあ、色々と準備不足なことは否めない。それもしょうがないことだ。『メイガーロフ』についての情報を、オレたちはほとんど入手していなかったのだし、そもそも、状況の推移が早すぎもするのだから。
……『イルカルラ血盟団』が、今夜にも特攻するなんてことをだ。もしも、数日前に知っておけば、色々と有効な連携を構築することが出来たハズなんだがな……いや、今さらそんなことを愚痴ってもしょうがないことじゃある。
砂丘の砂を踏みつけながら、オレたちはこの崩れやすい斜面をサルみたいな前屈みを使って登っていった。
砂丘の頂上に立つと、アルノア査察団が拠点に使っているシャトーがよく見えた。見張りの連中もいるが、少数ではある。
当然のことだ。ヤツらは知っているのだからな。自分たちだけは、『ラクタパクシャ』に襲われることはないという事実を―――魔眼を用いて、上空から得た偵察情報に新たな角度を足していく。
もちろん、仲間にもこの情報は共有する必要があるからな。オレは言葉も使うのさ。
「……見張りの数は、東西南北に3人ずつだ。周辺を警戒するために、軽騎兵の装備をしたチームがいる。軽騎兵チームの装備は、細い槍。背中には短弓も背負っている。練度はかなりいい。貴族に仕えている騎士という立場に相応しい腕前だろう」
「そこそこ強く、そして、オーソドックスな警備でありますな」
「ああ、連中は、油断していやがりもするのさ……」
「『ラクタパクシャ』が大穴集落を襲撃したというのに……彼らは、連携を備えていないということですね?」
「ヤツらの絆の深さが知れるな」
所詮は、『ラクタパクシャ』なと、帝国貴族の騎士団からすれば同格の仲間と呼べる存在じゃないってことさ。『ラクタパクシャ』は傭兵の集まりでしかなく、アルノア伯爵の騎士サマたちからすれば、下等な存在でしかないわけだ。
「……騎士団と傭兵、両者のあいだには、どうにもならんほどの深い溝が走っているようだぜ」
「みたいですよね。連携すれば、より確実に作戦を実行することが出来たハズなのに。そのおかげで、私たちもドワーフさんたちも助かったわけじゃありますけど……」
「……シャトーのなかにいる連中の魔力の数は、およそ40……総勢で、60以下の兵力だろう……気楽なもんだ。上空から見たとき、酒樽を積んだ馬車が中庭にあったな。酒盛りでもするつもりかもしれない」
「襲撃失敗の結果を、ヤツらは手にしていないわけでありますな」
「そういうことだ。まあ、ある意味では傭兵たちの戦力を信用しているということかもしれないがな……絆こそはないが、戦士としての腕前を知っている。ドワーフたちの戦力も詳しい……大穴集落を偵察していたのは、傭兵じゃないのかもしれん。公式な役人や商人たちかもしれない……あるいは」
「帝国軍のスパイですわね?」
レイチェルの言葉に、オレは頭をうなずかせていた。
「……いるかもしれんな。諜報活動と、帝国貴族を結びつける存在としては、オレたちにとってサイアクのパターンじゃある。それに、連中のことをより知るためのチャンスでもあるがな」
帝国軍のスパイとは、『ベイゼンハウド』でも戦ったわけだが……その全容は掴めちゃいない。オレの姉貴と甥っ子とか、ついでに言えばカールメアーの呪術師まで参加しているってことは分かったがな……。
……肝心なヤツと、オレはまだ出会ってはいない。
室長。
『ベルーゼ室長』とかいうヤツさ。そいつが、帝国軍のスパイどもを指揮しているようだ。最高権力者なのかは分からないが、少なくとも、かなり有能なスパイどもから、信頼を得ている人物であることは間違いない。
連中の中心に近しい位置にいる人物のはずだ……『ハイランド王国』にも、『ベイゼンハウド』にも、ベルーゼとかいう野郎はいなかった。ならば、この『メイガーロフ』や、これから南にある『内海』にいたとしても、おかしくはないように思える。
帝国軍の英雄の一人であり、『メイガーロフ』の太守であるメイウェイをハメる策略だ。かなりの政治的な大事件には間違いない。
アルノア伯爵が、皇帝ユアンダートと近しい間柄だというのならば、サポート役として、ベルーゼが出張っていても変じゃないな。
……そういう厄介なヤツとの邂逅を期待しつつ、オレは砂丘の上に座った。頭のなかにある地図を、羊皮紙に描いていくんだよ。
偵察行為の地味で、しかも最も大事な仕事の始まりだ。敵の拠点をマッピングしていく。こうすることで全員が情報を共有しやすくなるし、戦略の哲学を、より誤解少なく共有することが可能となるわけのさ。
ヒトの感覚ってのは、やはり完全に一致させることは難しいからな。攻撃的な嗜好を持つ者と、守備的な嗜好を持つ者ではな、見えている光景が違う―――少なくとも、見える光景のなかで、どこに注目しているのかは大きく異なる。
そういう個性の差が、戦術を共有するときには障害となることもあるんだよ。連携を考える時には、基本的に共有する約束事があったことがいいもんだ。この地図製作は、そのために行ってもいるのさ。
羊皮紙に羽根ペンを走らせる。ストラウスの剣鬼としては、何とも知的な作業をしているような気になれて、日常的に抱いている自分の知性の低さにまつわる劣等感を少しばかり克服することが出来るんだよな。
……竜騎士の特技の一つである、精密な地図の描写。そのストラウス家の伝統技巧を披露しつつ、敵の配置と、予想できる限りの敵の動きを記していく。
シャトーの出入口と、オレたちが選択可能な侵入経路も描き込むのさ。キュレネイ・ザトーとククル・ストレガがいるんだからな。二人の知恵を借りれば、襲撃用の戦術に対してのアドバイスを受けることが出来るようになるわけだ。
「……西側の入り口が、シャトーの本館に対して襲撃しやすいな」
「……でも、ソルジェ兄さん。作戦の狙いは、殲滅するのではなく、あくまでも『ラーシャール』にいるメイウェイと帝国兵を、こちらに向けて走らせることですよね?」
「イエス。西側のルートを、あえて開けておくデザインも、悪くないと思うであります。露骨ではありますが……『ラーシャール』への逃げ道を確保させてやれば、アルノアがあのシャトーにいた場合、素直に西へと逃げようとしてくれるかもしれないであります」
「なるほどな」
「本館を襲撃して、立て籠もるのは不利だと思い知らせるといいと思います。プレッシャーを与えて、逃げ道から走らせる……そうなれば、ゼファーちゃんで襲撃するコトが可能となります……アルノアがいれば、ですけれどね」
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