第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その23
ギィン婆さんは、アーレスの瞳を気に入ってくれたようだ。
「竜の眼を持つ人間族か……長生きはしてみるもんだねえ。蛇神ヴァールティーンに召された後の『蛇骨洞』で、祖先の戦士たちに語るための物語が一つ増えたように思えるよ」
「……『蛇骨洞』……ですか?」
知的な我が妹分、ククル・ストレガが好奇心を発揮している。1000年前の知識は豊富にあるのかもしれないが、現代の知識はあまりにも少ないからな。閉鎖的な『メルカ』で育っちまったことの弊害ではある。
それだけに、情報を集めたいという欲求がククルには強いのだろう。『メルカ・コルン』としての本能なのかもしれないし、たんに賢い女子が一般的に有している、知識欲の高さの現れであるのかもしれん。
とにかく、我が妹分は大陸にある知識を欲していたのさ。千年前の星の魔女から受け継いだ叡智ではなく、自らが得た知識を求めている。そいつはきっと、オレが真の意味では理解することが出来ないほどの深い意味を持っているような気がするな。
凍結していた『メルカ・コルン』の時間を動かすために一歩になる―――考え過ぎではないだろう。それぐらい、ククルは真剣に、『今の世界』ってものを求めているんだよ。
「……『蛇骨洞』っていうのはね、我々、蛇神ヴァールティーンを信奉する者たちが落ちる『地獄』のことだよ」
「じ、地獄、ですか……?」
「そうだよ。お嬢ちゃん。私もねえ、今じゃ、年老いて、こんな愛らしいババアになっちまったがねえ。昔は『メイガーロフ』どころか、『内海』のあたりにまで出かけて、大暴れしていた大山賊なんだよ」
「ククク!……さすがだな、ギィン婆さん。ドワーフの長老夫人らしい経歴じゃないか」
「ああ。ドワーフの掟に従い、弱き者からは奪わなかった。対等であるか、より強い者たちばかりから奪ったもんだよ。『メイガーロフ武国』の初代王である、解放王ジンガ……彼にならって、奴隷船を襲っては、多くの民を解放したりもした」
「義賊でありますな」
「そうだね、いい響きだ……でも、山賊ってのは、たまには良いコトもするんだけどねえ。やっぱり本質的には悪党なんだよ。悪いコトも同じぐらいして来た」
「……だから、『蛇骨洞』に……蛇神ヴァールティーンの作る地獄に落ちるというのですか?」
若き娘の問いかけに、老練なる女山賊はうなずくこともなく、ただ口もとをニヤリと歪めることで応じていたよ。
「……蛇神ヴァールティーンは、生きていた頃の行いを、全て見ていてくれる。『蛇骨洞』ってのは、悪を犯した者が落ちる地獄じゃあるが……それと同時に、『戦士の墓標』でもあるんだ」
「『戦士の墓標』……それは、どういう意味なのでしょうか?」
「蛇神ヴァールティーンは勇者を好む。『蛇骨洞』というのはねえ、蛇神さまの腹ん中にある地獄のことを言うんだよ」
蛇神教について、オレはあまりにも知らないからな。ククルが質問してくれて、助かってもいる。知識を集めるのが好きなのは、天才『ホムンクルス』だけじゃなく、赤毛の野蛮人だって同じコトだ。
……なかなか、ユニークな価値観を持っている宗教らしい。蛇神教ってのは。
「蛇神の、腹のなか……だから……蛇の骨に囲まれた、洞穴……」
「そういうことだ。蛇神さまの一部となることでもある。それはね、私たちみたいな荒くれ者としては、最大の名誉の一つでもあるんだよ。蛇神さまに認められた戦士であり、蛇神さまが、善良さよりも悪が多いと判断した、本物の戦士が行くべき地獄なのさ」
「……なるほど。たしかに、『戦士の墓標』なんですね。ソルジェ兄さんから聞いた、ガルーナの価値観とも、似通うところがあります……」
オレたちガルーナの野蛮人は、戦場で死んで、夜空の星になる。そして、戦勝の祝宴において、歌となって、その生きざまと死にざまを評価されることになるんだよ。
だから、臆病者として死ねば……死後も永らく不名誉を歌い継がれることになる。英雄も好まれるものだが、愚者の悪口もヒトは好むものだからな。
恥ずべき死にざまを晒すことを、ガルーナ人は何よりも嫌う。だからこそ、戦場で死んで歌になれと、おふくろは幼いガルーナの男のガキどもに言い含めるんだよ。
「……ガルーナってのも、野蛮な国か?」
「ああ。洗練されてはいない国だが……種族に境目のない王国だった。この『メイガーロフ』よりも、はるかに亜人種も人間族も、その差を尊重し合いながら共存することが出来た王国だった。滅びたが……オレが、やがて王となって復興させてみせる」
「ほう!!竜を眼窩に飼う男は、未来のガルーナ国王陛下ってわけかい」
「そうだ。ギィン婆さん、アンタも、いつかオレの作るガルーナ王国に来てくれ。北にある寒い国家ではあるが……『メイガーロフ人』は寒さにも強かろう」
「ああ……だが、私は若い頃、あちこちを行きすぎたんだ。故郷から出たくはない……」
「そうか……その気持ちは、分かるぞ。オレも、ガルーナで死にたいと思う」
「フフフ!……竜騎士殿の訪れは、本当に幸運だったね。ハナシの分かる蛮勇が、『自由同盟』の使いで良かった」
「ドワーフ向きの外交官じゃあるかもしれんな」
「完璧に、その才能を持っているよ。故郷で死ぬ日が、少し遠ざかった……それだけに、目を反らしていた現実と向き合うチャンスももらえた」
「どんな現実でありますか?」
「メイウェイの統治についてさ。正直、ガミン王と頭でっかちの巨人族の官僚どもがしていた政よりも、気に入ってはいたが……それが、永遠ではないことが分かった。いや、終わりは遠くないことがね」
「そうですわね。メイウェイを失脚させようとしている勢力が大手を振って、のさばっているのです。帝国の主流派ではない思考の持ち主であるメイウェイが、いつまでもこの土地の太守であることは難しいでしょう」
名将でありながら、賢王の資質まで併せ持つというメイウェイ……帝国軍の実力主義という仕組みが生んだ、本物の逸材ではあるが……ヒトの群れとは、残酷で恣意的な悪意に主導されやすいというかな。
貴族社会に入り込むことが出来なかった、『ただの男』であるメイウェイは、貴族どもに煙たがられ、野心に巻き込まれようとしている。メイウェイが貴族の血を一滴でも引いていれば、アルノア査察団がこの土地に現れるのは、もっと先であったかもしれない。
……世の中ってのは、けっきょくのところはそんなものさ。理想を体現することが、難しい場所なんだよ。実力でのし上がった、最高の人材の一人も……帝国にとっては理想的な国民であるはずのメイウェイも、帝国貴族に嫉妬され、地位を奪われようとしている。
……帝国人の敵は、帝国人。
なるほどな。分かりやすい構図じゃないか。
「……『メイガーロフ・ドワーフ』も、傷が癒えたら、やがては『自由同盟』に参加しようとするだろう……竜に乗る英雄を見ちまった。私らはね、単純なんだ。命を助けられたなら、命でその借りを返すのさ」
「頼もしいことだな」
「いつか、アンタの王国に仕えるドワーフもいるだろう。アンタが、メイウェイさえも超える王の器量を発揮することが出来たなら」
「……ああ。必ずや、その器量を示してみせる。そうでなければ、それぐらいの覇王でなければ……乱世で、滅びた王国を、帝国から奪い返すことなど不可能だからな」
「いい答えだ。アンタが蛇神の下僕であったなら、いつか『蛇骨洞』に君臨する冥府の王にもなれただろうにねえ」
「あの世の王になる前に、しなければならんことは山ほどあるよ」
「そうだね。まずは……風呂にでも入るといい、竜騎士ソルジェ・ストラウス殿」
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