第三話 『イルカルラに熱き血は捧げられ……』 その36


 三人は無言のまま、それぞれのコップの中身を味わうのさ。赤いワインは、やはりフルーティで、かなりの甘口だった。熟成の深みよりも、呑みやすさを重視したイメージだが、それだけに単独で呑んでも美味くはある。果実味がたっぷりだ。


「……いいブドウが実る土地なんだな」


「ああ。これは、『ガッシャーラブル』産のワインだ」


「大商人殿からの差し入れか?」


「そういう物資の一つだ。ワインを楽しんでくれというカジム殿の気遣いだろう。だが、私としては……負傷した時の痛み止めに使おうと考えていた。薬は、貴重なものだからな」


「薬の代わりに、ワインかよ?」


 ……リーダーという立場でありながら、涙が出るような倹約家ぶりだ。


 それだけ、『イルカルラ血盟団』は困窮していた証でもあるし、おそらく物資が豊かにあったとしても、バルガス将軍は薬よりもワインで痛みを濁そうとしたかもしれない。幸い、それをしなければならない程の外傷は無かったようだが……。


 あちこちに生傷は絶えない日々を送ってはいるようだが、矢傷ぐらいでは巨人族の上級戦士の中には傷の内にも数えないヤツも多くいる。体が大きくて頑丈な分、タフネスもそれに比例して強靭なんだよ。


 ……だが、今のオレたちは『ガッシャーラブル』で作られた、果実味たっぷりのワインを呑むことに集中したよ。大酒呑みのオレと、巨人族のバルガス将軍だからな。すぐに、瓶の一本ぐらいは開けてしまうのさ。


「いい味だったな」


「……ああ。カジム殿の気遣いに感謝したい。それに、酒を美味くさせた出会いにもな」


「オレもさ。アンタと呑めて、光栄に思う」


「……私もだよ」


 戦士と酒を酌み交わすのは、最高に楽しい瞬間の一つだ。ガルーナの野蛮な戦士の血が、アルコールを帯びて熱く燃えている。これぐらいじゃ、酔っ払うことはないがね。それでも、体と心が活力を得ている実感を感じられた。


 ……さてと。このまま昼寝でもしたい気持ちにだってなるほどに、心が落ち着いているけどな……このまま酒呑んだまま引き下がれない。オレは、クラリス陛下の……いや、『自由同盟』の非公式な外交官のつもりだからな。


「……バルガス将軍。可能ならば、特攻ではなく、勝利して欲しいものだが」


「分かっているだろう」


「ああ、分かっている。『イルカルラ血盟団』に余力はないようだし、アンタの求心力は低下している。もはや、この国を継承する政治的な器ではない……実力は一番だったとしてもな」


「……民衆の心は、私から離れてしまっている。ガミン王も、その腹心であった私も、不人気だった。『太陽の目』とも、和解できぬままだったしな……私では、これ以上はムリだ」


「……だから、特攻して、死んで……ドゥーニア姫と代替わりをするか。アンタの悪評は消え去り、彼女にはカリスマが継承される……彼女は、そんな器なのか?」


「才覚はある。純粋な巨人族でないことは、巨人族以外の民にも響くだろう。我々が、巨人族だけの利権のために戦っていると決めつけている者たちも、我々の戦いに合流する契機ともなる」


「……なるほどな」


 巨人族と人間族の『狭間』であるから……彼女の存在は、『巨人族の復権』という形で認識されにくいわけだ。


「ドゥーニアには、旗印になってもらいたい。それだけで、構わない。民の感情を集約する存在になってくれたなら……『メイガーロフ人』は、いつの日か、この土地を自分の手に取り戻すことになる」


「けっきょくのところ、アンタは、この国の民を信じているわけだ」


「ああ。この国の軍人だったからな……しかし、私には、現状が限界だった。国を救うに足るほどの、大きな器にはなれん。ドゥーニアに、後を託すことにする」


「……『自由同盟』としては、アンタという『巨人族の代表』と交渉するよりも、ドゥーニア姫と交渉する方がいい」


「私は人種差別主義者だと考えられているか」


「……巨人族が中心の政権を樹立しようとしている。そう目されているさ。どうにとアンタは旧体制と近すぎるんだ」


「否定は出来ないな。私は、やはりガミン王の軍隊の将軍なのだ。変われなかった。その事実が……私に限界を作った。巨人族だけでも、まとめられたなら……他の勢力も追従してくれたかもしれないがな」


「『カムラン寺院』での虐殺は、アンタにそれも不可能にさせた……アンタなりの言い分はあるのだろうが、世間の評価は、正しかろうが間違っていようが、アンタにとって不利でもある」


「……今は、『太陽の目』の連中も、かなりマシな活動をしているしな。私たち軍がすべき任務の多くを、『太陽の目』は行っている。民衆は、彼らをかつよりも支持しているだろうな」


 良く認識しているな。その感性があったら、もっと上手に世渡りが出来そうなものではあるが―――ガンコな男は、自分を変えることが出来ないものなのだろう。


 それは、たしかに彼と個人的な付き合いをしてみれば、魅力的な要素だが……政治というものは、中身ではなく外見だ。世間が与えたレッテルを、覆すことってのは、なんとも難しいものさ。ヒトは、他人を良く見ようとするより、悪く見ようとすることに長けているのだから。


「……アンタは、ガミン王の忠臣でいたいのか……」


「……ガミン王は、悪王などではなかった。合理的なお方だったよ。『太陽の目』の一派が、邪悪な集団だったという認識も、私は変えていない……方法論は、激しすぎたかもしれないがな。女子供まで、巻き込んだことだけは……私の落ち度だった」


「そうだろうな……」


「……どうあれ。私は血に穢れすぎているし……何よりも、敗戦の責任がある。帝国軍に打ち勝てたとすれば、良かったのだ」


「戦力差を考えれば、妥当な結果だ―――そんなセリで癒やされることは、アンタみたいな男には無いだろう」


 オレの言葉に、ニヤリと口元を歪めていたよ。バルガス将軍は、個人的にはとてもチャーミングな男だろうな。


「ああ。どうあれ、私は死んで代替わりをする。そちらの方が、君らにも良いだろう。ストラウス卿の感情ではなく……『自由同盟』の傭兵としては」


 慧眼の持ち主でもある。自分や世界を客観視する力を、彼はちゃんと有しているんだ。この数年の抵抗組織暮らしが、彼に与えた力なのだろうか?……そういう視野を持っている人物は、希有なものだしな。苦境を息抜きながら、得た力なのかもしれん。


 この御仁が死ぬのは、とても勿体なく思える。


 ……だが。彼を止める術はあるまい。少なくとも、オレのような愚者の頭には、思いつけなかった。思考停止に陥った下らん知性は、当たり前のような現状認識を言葉にさせていた。


「……『自由同盟』は、人種の垣根を越えて結束する力だからな。巨人族の単独支配を行おうとしている者には、貸せる力も限られてくるよ」


「そうだろうとも。だが、『メイガーロフ』における巨人族の支配は、私や、私の古くからの戦友たちと共に、帝国軍を道連れにして終わりを告げる……ドゥーニアなら、この国に眠る、他の戦力とも協調することが可能だ」


「彼女は『狭間』っすもんね……」


 巨人族と人間族のあいだに産まれた子。文化的には忌むべき対象にされるはずの彼女は、この『実力』を重んじるという砂漠と荒野の国で、誰からも支持される英雄になろうとしている……。


「……種族の垣根を越える。彼女ほど、それを体現している者はおるまい。同じ毛色であるのなら、『自由同盟』は、ドゥーニアに協力せざるを得なくなるはずだ。帝国を倒すためには、君らは、もっと力が欲しいだろうからな」


「……ああ。『メイガーロフ』以外にも、まだ力が欲しい……巨人族の復権ではなく、あらゆる種族のために、彼女が戦うというのなら……『自由同盟』からの援助を、アンタの何倍も引き出すことになるだろう」


 『狭間』である彼女を援助することは、『自由同盟』には大きな政治的な成果となる。『狭間』は……悲しいかな、大陸のあちこちで迫害を受けている存在だ。


 しかし、戦士として優れた資質を持つ者も多くいる。彼らを仲間に引き入れることで、帝国軍という圧倒的な『数』に対して、『質』で対抗するというオレたち『自由同盟』のプランは、今よりはるかに現実的なものとなるのだ。


「……フフフ」


 考え込む蛮族の顔面が面白かったのか?……バルガス将軍は、羊のゲップで笑えるような牧童みたいに、毒気のない無邪気な笑顔で笑いやがったよ。


「なんだい?」


「すまないな。ストラウス卿の顔を笑ったわけじゃない……何倍も、という言葉に心を惹かれていたのさ。何とも、景気がいいハナシだよ。私は、そうなれば、あの世で高笑い出来るな」


「……ああ。ドゥーニア姫が『イルカルラ血盟団』を継承し、アンタが悪評と共に、巨人族の単独支配の政治構想が消えてしまえば……『自由同盟』は、『イルカルラ血盟団』を、『メイガーロフ』の臨時政府として認めるさ」


「そこまでしてくれるか?」


「するよ。クラリス陛下は、女の指導者を信用している。男よりも、領土的野心に対しての欲深さがないからね」


「なるほど、一概には言えないが……傾向とすればそうかもしれん」


「クラリス陛下と、個人的な仲を構築すればいい。そうすれば、この国を独立させ、他国の軍を駐留させることもなくなる。もちろん、帝国軍との戦いは継続することになるが、それはこの土地を帝国から取り戻すのであれば、どう転んでも変えられない状況だ」


「……変わらぬ現状ならば、より得なことをせよ、か」


「……ああ。アンタみたいな、ガンコな古強者には、難しい行いだってことは、知っているよ……」


「……そうだな。たしかに、難しい。私には、しがらみもあるし―――何より、そのような生きざまをすることが、どうにも苦手でね」


「……だからこそ、深い友情も感じるさ、我が友よ」


「……私を友と呼んでくれるかね、ストラウス卿」


「ああ。一緒に酒を酌み交わしたんだ。アンタは、オレの友だちさ」


「……わかりやすくて、いい男だな。我が友、ストラウス卿よ」




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