第三話 『イルカルラに熱き血は捧げられ……』 その17
『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』
坑道の奥底から『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』が出現する。胴体の長さが6メートルはありそうな、とにかく巨大なサソリだ。
厚みがあり、ところどころが尖った赤茶色の甲殻。反射由来なのだろう、規則的に動くたくさんの脚。岩でも簡単に砕いてしまいそうなほとに巨大な左右のハサミ―――猛毒が宿った針を持つ太くて長い尻尾。
『イルカルラ砂漠』のイメージを大きく損なうモンスターだったよ。過酷な自然に加えて、こんなヤツまで棲息しているとは……ろくでもない土地だな。
……だが、いいぜ。
久しぶりのモンスター退治だ。デカブツと戦うのは、ガルーナの野蛮人は大好きなのさ!!
鎧を着た者の役目を果たす!!
『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』に向かって、オレは正面から突撃する!!……巨重とスピードを合わせ持つモンスターに対して、あまりにも無謀?ああ、その通りだ。
本来なら、こんな戦い方をするべきではない。スタミナを消費させて、動きを弱らせて、弱点を見抜いた後で、強烈な反撃を開始する。それが、大型モンスターと戦う時のセオリーではある。
しかし、それはあくまでもモンスターと一対一という状況においてのことだ。仲間のサポートが期待出来るのであれば、『囮』と『盾』の役割をオレは果たすべきなんだよ。
目の前に踊り出た『赤毛の野蛮人/エサ』に対して、『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』は反応する。
脚を開き、急ブレーキをかけて戦闘態勢へと移行する。お得意の攻撃パターンは……もしくは、ヤツの本能に刻まれた足下に接近して来た獲物に対しての攻撃パターンは、大きなハサミを使った威嚇だ。
右のハサミを振り下ろしてくる。ハサミで切るのではなく、その岩石みたいに巨大なハサミを鈍器の変わりに叩きつけるスタイルだ。
隙が大きな動き……そうだ、コイツは本命の攻撃じゃない。こんな緩い攻撃では、有能な戦士を狩ることは出来ない―――『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』の厚みを感じる甲殻には、無数の深い傷が刻まれている。
刃によるものであり、矢によるものであり、槍によるものだ。
甲殻を穿ち、肉に達したであろう古傷たち……幾度ともなく、勇敢なヒトの戦士たちと戦い、勝ち抜いてきたことの証だ。
ハサミによる打撃を、右に低いステップを実行することで回避してみせた。ヤツは左のハサミによる『突き』を放ってくる。コンビネーションか、悪くない攻撃手段を持っている。
だが、反射による攻撃であり……読めない打撃ではなかった。バックステップしながら、竜太刀を叩き降ろす!!
ガキイイイイイインンッッ!!
まるで、鋼のような硬さと重さを持っていたよ、この『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』のハサミは!!……だからこそ、後ろ跳びしながらの剛打は有効なわけだがね。
フロント・ヘビー。前に重心がかかりすぎた攻撃だ。そいつに竜太刀の強打を受けながら、ついでに言えば、鎧を着たオレの重量を加えてやれば?……一太刀でハサミを壊せなかったとしても、その攻撃は失敗させられるのさ。
攻撃の軌道は下へと向かい、ハサミの鋭い先端は床へと激突していた。強打と重量を浴びた、重量のあるハサミの連続攻撃のあげくにな。それでは、いくらなんでも攻撃の姿勢を維持することは出来ないさ。
……だが。
『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』は、これぐらいでは止まらないだろう。反射的にコンビネーションを叩き込んだが、まだ一つ残っている。これは三段攻撃だと、オレの本能は予想している。
何が来るか?
決まっているさ。
尻尾の先で毒々しく輝いている、あの牛でも一刺しで殺せるであろう巨大な針だ。
『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』の尻尾が躍動し、床に着地したばかりのオレ目掛けて落ちてくる……凄まじい勢いでな。だから?オレは内心、笑っていたよ。カウンターの機会だからな。躱して、竜太刀による横薙ぎ払いで、あの尻尾を裂いてやる。
……そんな願望を持っていたのだが、大蠍のヤツは、その凄まじい勢いを持っていた必殺の攻撃を、急停止させていた。八本ほどある脚に、ムチを打たせるような動きをさせて、反動を用いて必殺の攻撃を止めさせたのだ。
ヤツの戦歴が、手痛い敗北の経験値が、その動きを与えていたのだろう。
何十年かけて、あそこまでのサイズに成長するのかは知らないが、彼だかあるいは彼女には、貴重な経験値を体に宿していたのさ。
かつて、三段攻撃は失敗した。オレと同じような動きをする戦士により、その尻尾は斬り裂かれたか、あるいは重量級の鋼で打ち砕かれたか―――どちらかまでは分からんが、ヤツの体は痛みと恐怖と屈辱の履歴に制動されていたのさ。
ハサミのつけ根のすぐ上にある、醜い顔面。目玉の数は八個もあるし、アゴはデカいし粘液まみれだ。不気味な面してやがるが、戦士としては一流だ。敗北を知るからこそ、野生は強いのさ。
感心している。ヤツはいきなりの敗北を免れたのだ。尻尾を断ち斬られた直後、バランスを失ったヤツに、オレ以外の猟兵が襲いかかっただろう。
キュレネイの『戦鎌』は左の脚を斬り裂き、ガンダラのハルバートは右の脚を打ち砕いた。ククルの矢は顔面を狙ったさ。そして、追い詰められたヤツは毒液を噴射するかもしれないが……オレは『風』とステップで、それを躱したかもしれないな。
その必殺の連携を『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』は回避しやがったんだよ、敬意を払ってもいい。ヤツは勇敢かつ慎重な、真の戦士だ。
グロテスクな面に並ぶ、黒い眼球たちを睨みながら、戦士を讃えるための笑みを浮かべたよ。『パンジャール猟兵団』の強さを、読み切ってくれるとはな……もっと無様な動きをすべきだったよ。お前が気づかぬほどに、弱さを演じるべきだったか―――。
―――しかし、だ。
戦士の経験値では、得ることの出来ぬものというのもあってね。戦士ってのは、どこか合理的で、やけに慎重になってしまうものなんだ。お互いに強い攻撃を持っているからこそ、身を守ることに重きを置く。
大胆な攻撃の最中にさえも、この『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』が見せたような回避行動なんて典型的なそいつだよ。
合理的なことってのは、悪いけれど読まれてしまうんだ。淀みとなって、歪みとなって動きに反映されてしまうものじゃないか?……だから、オレも少し予期することが出来てはいた。重心移動に対するわずかな戸惑いが、3段目の攻撃が開始される直前にはあった。
悪いとは言わない。
そういうものだ。
戦士であれば、当然の発想である。
だから。
オレはその失敗を責める気にはならない。お前は戦士として、間違ってはいないんだよ。
……でもな、彼女はオレよりももっと早くに察知していたのさ。オレの背後に身を潜めながら、美味しいトコロを狙っていた―――彼女はね、アーティストなのさ。サーカスの美しい踊り手。
戦士じゃない。戦士と違って、仕事に対してもっと多く己を捧げている。武術が芸術に劣ってしまう分野は幾つかある。これもその一つさ。防御を忘れて、全てを攻撃に捧げられる。戦士では躊躇してしまうほどの、肉体の酷使を……芸術の体現に全て捧げられる。
そいつは、戦士を凌駕する分野さ。捨て身の気負いさえもなく、彼女は極めて自然に死地にて踊る。
レイチェル・ミルラが飛んでいた。美しい褐色の肌と、銀色の長い髪をダンジョンの闇に踊らせながら……まるで、銀色の矢でもあり、しなやかな黒豹でもあり、花にさえ見え、美しく―――己にも敵にも容赦のない全身全霊の舞いだ。
だからこそ、美しく笑顔は輝いているのさ。彼女は『演目』をこなす時、いつも楽しそうだ。
サーカスの天才の蹴りが、『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』さえも己が舞台へと呑み込んでいく。
しなやかな彼女の蹴りが、高速の逃亡劇の最中にあったヤツの大きな右のハサミに追いついていた。足蹴にしたよ。だって、『人魚』、レイチェル・ミルラの舞台の一つだからな。全ては、彼女の踊りのために存在するのさ、敵の肉体そのものさえも。
敵の武器を蹴り飛ばして、彼女は空中で回転した。穿孔するような動き……飛翔の軌道に対して横の回転まで加えている。ハサミを蹴る一瞬に、どれだけの技巧が注ぎ込まれていたのか。怯むことがあれば失敗していた動き。戦士ではなく、芸術家にだけ至れる領域だ。
『人魚』は回転しながら、その流麗な美しさを誇る長い腕で、呪われた鋼を操るのさ。『諸刃の戦輪』。獲物の気配を感知すると、ギチギチと鳴く、刺々しい呪いの鋼ども。そいつをサーカス・アーティストである彼女だけが使いこなせる。
……その理由?レイチェル・ミルラは何者も恐れることがない、己が芸を見せつける瞬間にはね。だからさ、呪いの鋼に恐怖を抱かないから、使用者になれた。
今このとき。全てが、彼女の舞台だった。『パンジャール猟兵団』の団長サマであるオレも前座としての役目を果たし、美しい彼女の攻撃に魅入られる。敵であるお前もそうじゃないのか?宙にいる『人魚』の動きほど、キレイなものはないからね。
かつて、彼女の夫が一目ぼれしてしまった動きよりも、それは洗練されている。恋する者のために踊る少女ではなく、殺された夫への復讐のため……そして、息子が生きる『未来』を守るために戦う『人魚』は、今、最もうつくしい攻撃の化身を演じるのさ。
褐色の腕と呪いの鋼が闇のなかで回り、『フレイム・スコーピオン/赤き血毒の大蠍』の頭頂部にある大きな二つの眼球が、ザックリと斬り裂かれていたよ。
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