第二話 『メイガーロフの闇に潜み……』 その25


 ナックスの同意も得たことだから、薬草医の誓いに従いリエルはケガ人に治療行為を施すことになった。医療パックから、リエルがちょくちょく製造してくれているエルフの秘薬が入った瓶を取り出すのさ。


「ほら。これを飲むのだ」


 薬瓶を手に取ったナックスは、瓶のふたを開けると、煮詰められた薬草類の香りを嗅いで、顔を引きつらせていた。


「苦そうだけど……」


「うむ。とても苦いぞ。十数種類の薬草を混ぜている。代謝を高めて、骨の治癒を促進する。骨折の治癒を早めてくれる『炎』の魔力を一晩のあいだわずかに上昇させる効果もあるぞ」


 旅の間に様々な研究を重ねているからな。エルフの秘薬は常にマイナーチェンジが繰り返されている。リエルも勉強家なんだよ。


 ……たしかに、良薬は口に苦しを地で行くのは少し辛いところもあるがな。


「に、においだけで、苦そうって分かるなぁ……っ」


「さっきも言ったが、とても苦いぞ」


「……だよね?……これ……飲んだ方が、いいよなぁ?」


 彷徨う視線が薬草医さんじゃなくて、オレの方を見て来る。何ていうか、困ったときの飼い犬のような表情をしていたな……。


「飲むべきだぞ。ドゥーニア姫の戦士に戻るための日が、少しでも早くやって来る」


「……っ!!」


 姫さまをエサにするのは少し卑怯だったかもしれんが、彼にはとても有効だったようだ。勇気が心からあふれ出したのか、何とも勇猛果敢に濃緑色の秘薬を飲み干しにかかる。


 グビグビとノドを鳴らし、ナックスはその薬瓶を空にした。わずか二秒の時間であるが、苦味は舌の根っこにまで絡みついて残るもんだ。


「ぐおおおおっ!?に、にがい……っ!!」


「だから、苦いと言っただろ?」


「言っていたけど!?……そ、想像よりも、苦いんだよ、エルフの嬢ちゃん……っ」


「やかましい男だな。ほら、これも飲め」


 薬草医の白い指が再び薬瓶をナックスの目の前に差し出していた。巨人族の大きな体が、毛布の中でビクリと揺れた。よほど苦かったらしいし、その苦さは未だに現役であり、彼の口内で暴れているんだろうな……。


「さらにかい!?」


「違う。これは骨接ぎ薬ではなくて、安眠のための薬だ。ぐっすりと眠れる。お前の睡眠不足を解消してくれる秘薬だぞ」


「そ、そいつはありがたいんだが……苦くてさ……?」


「これを飲めば、苦さも何も感じなくなる」


「……死ぬみたいに言うなよ?」


「死なん。安らかに眠るだけだ」


 ……なんだか、怖さを持つ響きがある言葉であったな。我が友よ安らかに眠れ……戦死者墓地の墓碑ではよく見かけるフレーズだ。どうやら、『メイガーロフ』にもそんな文化があるらしく、苦さに悶える『メイガーロフ人』も顔の引きつけをより深くしていたよ。


 だが、薬草医は強引だ。


 薬草医の言うことを聞かない患者ほど、治りの悪い患者はいないものだと心得ているのだ。


「さっさと飲まないか?……意識を失わないと、運べないのだし。その目のくぼみ、長らくの睡眠不足だ。内臓の働きも悪くなる。さっさと飲んで寝るのだ!」


「あ、ああ。そうだね……口のなかの苦味からも解放されるわけだし……合理的だよな。よし!飲む!!蛇神ヴァールティーンよ、オレにご加護を!!」


 心を病んでいる男は、再び勇者となった。薬液をグビグビと飲み込んでいく。


「うん。これは……甘いんだな―――――――――」


 フラリとナックスの頭が揺れて、そのまま床に上半身から崩れおちていた。即効性がある睡眠薬だ。『風』の魔力を帯びてもいるから、前段階で『炎』の魔力を活性化されていると、三大属性の法則に囚われて、即効性が早まる。


「きょ、強烈っすね……っ」


「まあな。それに薬の効果だけではない。この男は、拷問やら、この暗い場所に閉じ込められていたせいで、ろくに睡眠を取ることが出来なかったのだ。そんな体では、傷の治りも悪くなるというもの」


 重度の寝不足だからこそ、睡眠薬がアレほど効果的に作用したんだろうな。まあ、あの薬も一気飲みするようなものじゃないんだが……構わないか。捕虜になってから初めて、無理やりながらも安らかな眠りの世界に彼はいるのだ。


 ぐーぐーと、冬場の洞穴熊みたいな寝息を上げている。おそらく、前のめりになった姿勢も影響していそうだな。


「カミラよ。さっさと移動するとしよう。この巨人族の男を、すみやかに我々のアジトへと運んでベッドで寝かせてやろう。この場所は、北風を吸い込みすぎるせいで、あまりにも寒い」


 ケガ人を寝かしつけるには、最適な場所ではないな。もちろん、蛇神ヴァールティーンの信徒からすれば、聖なる山から吹く風に守られているという感情になれるのかもしれないが、医療目線で言えば、やや劣悪な環境という評価をする他ない。


「温かい場所へ、運んでやろう」


「うん。そうっすね、リエルちゃん。では……『闇』の翼よ!!』


 『吸血鬼』の魔力が解き放たれて、眠れるナックス共々に、オレたち全員をカミラ・ブリーズの影がやさしく包み込む。


 『闇』に呑まれて、『闇』と一つになり―――視界が無数に分散していく。『コウモリ』の群れへと化けて、それぞれの『コウモリ』の視界とつながっている状態だ……不思議な感覚さ。もう慣れちまっているけどね。


『じゃあ、行くっすよ!』


『おう!』


 バサバサという力強い羽音を採風塔の地下空間に反響させながら、『コウモリ』の群れは地上目指して円筒状の施設の宙を飛び抜けていく。


 ガンダラとホーアンが見えたよ。二人は知的な会話でも楽しみつつも、足下に注意して側壁に張りついた階段をゆっくりと登っているらしい。


 ガンダラが『コウモリ』に気がつき、こちらを見た。愛想の良いヤツなら、ここではにかみもするのだろうが……ガンダラは至って冷静であり、無表情も崩さない。


 ポーカーフェイスの巨人が、オレたちの存在を秘匿するための言葉を使う。


「ふむ。高地ですが、『コウモリ』もいるのですね」


 いい感じの誤魔化しだ。自然に、あんなヒトさまの思考を誘導するような言葉を放つものだから、オレさまはガンダラにカードゲームで勝てた試しがないんだろうよ。良いカードが手札に回って来ても、ニコリともしないんだからな……。


「え?ええ……あまり、ここでは見かけませんが……果実を栽培している畑には、果物を喰らうコウモリがやって来る時もあります」


 フルーツを好むコウモリもいるというハナシは、オットーからも聞いたことがあるが、この土地のコウモリもそういう食癖を持っているようだ。動物ってのは、ヒトと同じように……食文化を持っているらしいな。


 同じ魚を釣るときにも、土地によって魚が好むエサは違うモノだし……この土地のコウモリさんたちも、美味しいフルーツを見つけては、噛みついていたりする内に、フルーツ好きの食文化を形成したのかも。


 ……そんなどうでもいいことを考えている内に、『闇のコウモリ』の群れは二人組の巨人族の大きな背中を飛び越して、未だにマジメに見張りを続ける僧兵メケイロの若い背中を飛び越した。


 採風塔の頂上付近にある、『ガッシャーラ山』から吹き下ろす冷たい風を呑み込むための窓から、『コウモリ』の群れは脱出していく……。


 再び無数の視線と浮遊感覚と共に、『ガッシャーラブル』の上空へと踊り出る。数秒間ほど楽しむ。空は、やはり好きなのだ。どうしたって楽しんでしまう、竜騎士なんだから、そいつはどうすることも出来ない本能みたいなもんだ。


 星を見る。


 闇を肌で感じる。


 歌を放つ強い風の動きを、体で識る……。


 夜空を満喫したよ。


 数秒間の幸福の後で、オレは視線を地上に向けた。帝国兵たちの動きを探る。さっきと彼らの配置は変わっていない。『カムラン寺院』も蛇神のための祝歌が続いている……バルガス将軍に……『イルカルラ血盟団』へのアンチと思しき僧兵も動いてはいない。


 先ほどまでと、わずかばかりに星が廻っただけで、何も異常は感じられなじゃったよ。


『……地上は平和なようだな、ソルジェ』


 複数に分かれたリエルの声が右とか左とか上下から聞こえて来た。オレの返事も複数に分かれて聞こえるんだろうな―――そう考えて、少し愉快な気持ちになりながらも、そうだな、と返事していた。


『……ソルジェさま。このまま、アジトに直行でいいでしょうか?』


『ああ……魔眼を使って偵察するに……ロビン・クリストフ特務少尉が消えたことは、まだ気づかれていないようだからな』


 帝国軍の小隊長どもの宴は、楽しげに進んでいる。仲間の一人が拉致されたことにも、まだ気づいちゃいない。オレの下らない工作で、どれぐらい時間が稼げるか分からないが……今のところ問題はない。


『……アジトに戻るぞ。ククル・チームも、レイチェルも仕事を終えている頃だろう。合流するぞ。『山賊ごっこ』はゼファーが戻り次第、実行に移す』


『了解っす!』




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