第一話 『砂塵舞う山脈へ』 その36


 開けた場所で涼やかな……いや、少しだけ寒さをもまとった北風に吹かれながらも、オレとククルの精神はリラックスしていく。ガルーナも『メルカ』も、寒い風が吹く土地だからな。顔を撫でる冷気を帯びた風に、我々は親しみを見つけられる人種らしい。


 屋台通りの喧騒から疎遠になったククルは、そのしなやかな若い肢体をあくび中の猫みたいに大きく反らして、背骨をストレッチさせる。


「うーん……いい気持ちですー」


「そうだな」


 オレもマネして、背骨を伸ばした。バキバキと音が鳴る。オレの体も極端な環境の変化に適応しきれずに、疲労がたまっているのかもしれんな。


 なにせ、今朝までは『ベイゼンハウド』の北海にいたというのに、砂漠と荒野の広がる『メイガーロフ』まで南下して来てしまった。日中は暑かったし、夜は冷えている。旅慣れたオレでも、この環境の変化はキツいものがあるようだ。


 ……ククルは若いせいなのか、それとも『メルカ・コルン』だから頑丈なのか、オレよりも移動距離が少ないからか……オレよりも肉体的なダメージは少ないようだな。でも、体調には気を使いすぎることはない。


 ククルがどんなに有能であろうとも、環境の変化は肉体を強く消耗させることになるのだから。いきなり全員を砂漠のド真ん中に連れて行くなんてことを、選ばなくて良かったな。


 そんなことをオレは考えていたが、マジメなククルは脱線することはなかった。彼女の大きな黒い瞳は、夜の黒に呑まれていく『ガッシャーラブル』の街並みを見つめている。『メルカ・コルン』の瞳も、夜の闇を問題にしない力があるのさ。


「……東の方は、暗いですね」


 言葉に促されて、首をより左に回していた。指摘の通りの状況を見つけられる。『ガッシャーラブル』の東側は、すでに真っ暗だ。闇もまた東より至るものではあるが、この街の東側はあまりにも早く夜が始まっているように見えたよ。


「スラムがあるのかもしれないな。どこの街にも貧者は生まれる。商売の街なら、商売に失敗した者たちも少なからずいるだろうしな」


「なるほど……」


 ククルがさみしい気持ちになってしまうかもな。オレの口は、何というか女子ウケするセリフに合わないらしい。


「……まあ、あるいはベッドタウンなだけか、それとも、農民たちの家屋がある地区かもしれない」


「農業に従事する方々も、かなり大勢いるはずですものね。ブドウ畑は、かなり広いものですし……」


「羊飼いの朝もな。彼らの朝は早いものさ。さっさと寝ちまい、夜明け前には数百匹の家畜をまとめて、北に向かうんじゃないか?」


 旅商人たちと同じ理屈さ。暑い中での作業を好む者は少ない。効率が悪いからな。農作業のコツも、明るくて暑くない時間帯に行うべきだ。


「そうですね……家畜の世話もしなくてはならない。この街は、商業と農業の二面性があるわけですね。西側の方が商業優位にしているのでしょうか……?」


「そうかもしれない。金持ちってのは、貧乏人を毛嫌いするから、住む場所も離したがるものだ。もしも、隠し通路があるとすれば、西側の可能性が高いかもな」


「はい……見渡してみたところ、東側の住居の密集具合は密なものです。住居も、数階建てのものが多い。『ヴァルガロフ』の集合住宅と同じです。富める者が住む場所ではありませんし……あの大きくてたくさんのヒトが住む場所は、おそらく地盤沈下も強いはず」


「そうだろうな。建物の重量もかさむし、人口が密集していれば、井戸から組み上げる水の量も相対的に増える。あちらの方が、沈みやすくなっているさ」


「……それに。ソルジェ兄さん」


「なんだ?」


「私には、街の西側の方が高さがあるように思えるんです」


 興味深い発言だな。


「……どうして、そう考えるんだ?」


「あの。月と星の角度と、ギンドウさんの時計のおかげです。この時間だと、東に見えるアムフェアルの星は、まだあそこまで高くには来ていないはず。ちょっとだけですが、高く見えます」


 星の魔女アルテマから、天文学的な知識を継承した『メルカ』の子らしい洞察力だと感心する。ククルは、もしかして星の高さと時刻の関係性を暗記しているのかもしれない。脅威的なことではあるな……毎日、微妙に違うはずだがな。


 まあ、ククルがそれぐらいの暗記をやってのけていたところで、まったく不思議じゃない。オレの妹分、ククル・ストレガは賢いんだからな。


 ……だから、オレもあんまりアホを晒さないように努力しよう。ククルの言葉を頭のなかで反芻し、考察に3秒ぐらいかけて返事していた。


「星が高い。つまり、オレたちの視線は、東を水平には見ていないわけだ」


「はい。わずかながらに、下を向いているみたいです」


「……よく気づいたな」


「星の測量を、私も手伝っていましたから」


「ルクレツィアのアトリエに、巨大なアストロラーベがあったな」


 天体観測用のアイテムさ。使い方を熟知した者が使えば、世界地図のどこに自分が立っているかを、星空から割り出すことも可能なシロモノだ。


 ククルもアレを使って星空を見つめていたのかな、子供の頃から。双子のククリと一緒に、あるいは姉であり我が死せる妻ジュナ・ストレガと共に……。


 小さな双子と共に、『メルカ』で星空を見上げるジュナか。何というか、微笑ましい気持ちになる。屈強な戦士である『メルカ・コルン』たちも、当たり前だが普段はノンビリとした日常を多く過ごしているのだ。


 戦のない時代に、『メルカ』を訪れてみたかったものだよ。警戒されただろうけど、偉大なるジュナ・ストレガの剣に斬りかかられてみたかった。剣士としての、ちょっと変な願望かな。


 ……さてと。出会うことのなかった、もしもの状況を考えている場合じゃない。


「……東の方が低いわけだ」


「はい。街の東側は沈んでいます!……もしも、地下の脱出路があるとすれば、沈まない強さを持つ、西側の岩盤を掘り抜いてだと思うんです……私の勘だと、この公園の地下も怪しいです」


「足下にあるかもしれないわけか」


 思わず鉄靴で踏んでいる地面に視線を落としていた。ここは開けていて、建物が密集してはいない。地下にかかる重量は、他の場所よりも少ないということか……地下の保全には有益に作用するな。


「『ガッシャーラブル』の城塞には、隣接する複数の物見の塔があります。でも、ここから西の城塞は、物見の塔のどれからも距離があるように見えます」


「ふむ。軍事的な注目が向かう場所の近くには、秘密の脱出路などは作らないという理屈か」


 もしも『ガッシャーラブル』を大勢の敵軍が包囲したとすれば、物見の塔にも敵の視線や注意は集まるな。あそこから矢を放つこともあるわけだし……軍事的に意味がある場所を、敵が捨て置く可能性は低かろう。


「そんなところです。ここから西の城塞は、飾るように高さがあります」


「……たしかに、『ムダ』に城塞が高くなっているな」


「はい。本能的にそこを攻撃しようとは考えないのではないでしょうか。敵の視線を遠ざける仕掛けに見えます」


「ああ。他の城塞で高さがある場所は、部屋が多く窓も多いしな」


 そいつが『ガッシャーラブル』を取り囲んでいる城塞の特徴であり、建築哲学である。だが、違うのさ、ここから西にはな。


「そうなんです。でも、ここの西側は高さがあるのに、部屋がない……つまり、高さの割りに薄くて、実は脆さがあります。あの高さによる威圧は、虚飾のものです」


「ハッタリか」


「はい。あそこは堅固な見た目よりも、その実際はかけ離れている。兵士のための詰め所が存在していないし……他の城塞に比べて遙かに軽くて薄い」


「つまり、地下への負担も少ない」


「ええ。だから、もしも私がこの土地の地下に、秘密の脱出路を作るとするのなら、あの壁に向かう場所に作ります」


 自信に満ちた表情で、我が妹分ククル・ストレガは断じていたよ。そいつが誇らしくてね、ガルーナの野蛮人は微笑みながら、彼女のサラサラした髪を撫でるのさ。


「……いい考察だぜ、オレのククル」


「も、もちろん、完璧な予想ではないと思いますし、あくまでも勘なのですが……でも、そんな気がします……」


「納得の行く答えだ……今夜、調査すべき場所を、また一つ見つけたな」


「ソルジェ兄さんとガンダラさんは、『カムラン寺院』に行くんですよね?」


「そうだ」


 ……帝国軍から逃げた『イルカルラ血盟団』の戦士が、『太陽の目』の連中に匿われている可能性があるからな。


「……『カムラン寺院』……あの灰色の塔がある場所なのでしょうか……?」


「ああ。細すぎて、物見の塔にはならない。鐘楼というところだろう」


「……暗い場所ですね」


「好都合なことにな」


 オレの左眼ならば、暗がりを仲間につけることも可能だ。ガンダラは苦労するかもしれないがな……。


「……さてと。とりあえず、情報収集はこれぐらいにするとしよう。アジトに引き上げるぞ。夜に備えて、休むとしよう」




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