第一話 『砂塵舞う山脈へ』 その37


 オレとククルは街の西側にある、やや大きめな商人の屋敷が建ち並ぶ通りを歩くことにした。公園からその通りはつながっていたし、さっきと違う道を通ることで情報を得たくもある。


 頭のなかに地図を作るためさ。そして……さっきの道だと、ククルが恥ずかしそうだからな。路地裏でいちゃつくカップルどもの群れのあいだをかき分けるようにして進むというのも、オレの妹分には羞恥心を煽る行動のようだ。


 ……しかし、夜の街を歩いていて思うのは、治安の良さだな。


「山賊だらけの国の割りには、この街は平和だな」


「そうですね。もっと荒れているかと考えていましたが……山賊たちにとっても、故郷は大切なのでしょうね」


「……ヨソ者が混じっている『ラクタパクシャ』はサイアクだが、他の山賊たちは『メイガーロフ人』か」


「……『イルカルラ血盟団』は、『比較的マシ』な山賊たちと手を組むべきなのでしょうか?」


「ククルはどう思う?」


「……私は…………」


 少女の心は潔癖ではある。オレも17才の頃には、善と悪の差は明確に存在しているとか考えていた。だが、大人になるにつれて、少しその考え方には修正が入っている。そんなものの境目はうつろいやすいものだとさえ、感じてしまうことさえあった。


 ヒトの世の中を究極的に支配しているのは、善でもなければ悪でもなく、ただの損得勘定だ。戦は政治力か金目当てでしか起きないし、それぞれが掲げる『正義』はそもそも建前に過ぎない。権力と金が欲しくてぶっ殺していますじゃ、カッコ悪いから嘘つくんだよ。


 世界は混沌としていて、ヒトの習性は邪悪なものであり……それでいて、誰もが善人ぶりたがりもするから腹が立つ。


 ……自分も含めて、ヒトという動物が、しょせんはそんな存在に過ぎないという真実を受け入れるのは、純粋な子供じゃ難しいし―――そういうことを受け入れられる大人になってしまったことを、汚れてしまったようにも思うのさ。


 そいつがちょっとイヤだから、自分の『正義』にだけは素直になって、どこまでも忠実でいたいとか考えたりもする。オレもまた独りよがりな男なのかもしれんな……。


 ククルが沈黙するあいだ、オレはそんなことを考えたりもした。ヒトってのはいつだって正しいコトをしたいという気持ちがあるが……本当に正しいコトってのを見つけ出すのが、そもそも、とんでもなく難しいんだ。


 山賊という犯罪者と組む。その行為は、ククルにとって苦悩を孕む考えだった。それでも、彼女は有能だし、勇敢だからな。逃げることなく、自分なりの答えを選んでいた。


「……現実問題として」


「ああ、現実問題として?」


「……『イルカルラ血盟団』は、『メイガーロフ人』の山賊たちとは手を組むべきだと思います。そうでなければ……」


「ファリス帝国には勝てそうにもないからな」


「……はい」


「山賊と組むのはイヤか」


 夜の闇に沈む街路を、じっと見据えながら少女は小さな頭をうなずかせていたよ。


「本音を素直に言わせてもらえば、そうです。なんだか……そういうのを許容し続けていくと……自分が大切にしている価値観が、汚れて、濁っていくような気がするんです……」


「分かるよ。誰だって、高潔でいたいと思うものさ」


「ソルジェ兄さん……それは、ワガママなのでしょうか?」


「そんなことはない。高潔であることで、救われることもある」


「……でも。妥協しなければ、変えることが出来ない現実もあるんですよね……」


「残念なことにな」


 この『メイガーロフ』は、一度は帝国に破れた国だ。アインウルフの騎兵どもに踏み崩されて、帝国の支配下に置かれている。国家として結束していたかつてでさえ、帝国に負けたというのに、国内勢力が反発し合っている現状で、何が出来るというのか……。


「……分かってはいるんですけど。何だか、認めたくない気持ちになってしまいます。でも……ソルジェ兄さんの選択なら、私は信じることが出来ます」


 プレッシャーにもなるよ、その信頼の大きさは。だが、オレも大人で、何よりもククル・ストレガの兄貴分だからな。信頼から逃げることは、しないよ。


「ああ。信じろ。オレも自分の『正義』を忘れることはない。許容しかねる悪ならば、どんな者であろうとも、竜太刀で斬り裂いてやる」


「……はい。私も、ソルジェ兄さんみたいに、強くなりたいです」


「ククルは十分に強い。経験を積めば、お前は誰よりも優秀な存在になれるさ」


「その期待に応えられるよう、がんばります」


「ムリしない程度にがんばれ。いつでも、オレや猟兵たちを頼ってくれ。オレたちは全員が『家族』なんだからな」


「……は、はい!」


 ククルは微笑んでくれた。そういう笑みがあると、やはり救われるものだな。


 ……世の中のフクザツさだとか、その仕組みの残酷さとか、あるいは邪悪さなんて大きなモノに触れてしまうとね、どうにも心細くなるもんだ。不安に囚われる。


 今のククル・ストレガも、そんな気持ちになっているだろう。潔癖さだけでは、純粋さだけでは変えられない現実。そんな大きくて厄介な問題に遭遇すると、どうしても恐怖を覚えるさ、若者ってのは。


 自分の手が汚れることを、魂が穢れることを、潔癖症な若者の心に受け入れることは難しいんだよ。


 そいつは、今までの自分を変えることに等しいからな。まるで、今までの自分を殺してしまうよう感覚にさえ陥るだろう。


 とくに、ククルのようにマジメな娘にとっては、邪悪さを帯びることは、とんでもなく恐ろしいことでもあるのさ。山賊なんかと仲間になるなんてことは、穢らわしい行為に他ならないからな。


 ……でも、オレも経験者だ。大人だからね、汚れ方は知っているさ。そうなった時に、自分を保つためには幾つかのコツがある。


 まずは、己のアイデンティティーをハッキリと持つこと。


 どんなに汚れても、自分を肯定することだな。趣味でもいいし、主義でもいい。そういう自分が好きなことを認識し続けることだ。どんな状況に晒されても、流されることなく自分を貫くためには、自己肯定ってのは必要だろうよ。


 ……自己肯定の強弱ってのは、経験とか性格とかに左右されてしまいそうだ。だから、そういうのが難しい場合は、『仲間/家族』を頼ることでもヒトは戦える。『家族』ってのは、ほとんど無条件に自分を肯定してくれる存在だからな。


 自力で自分を認められない時でも、となりに大切な者がいるだけで、心は勝手に強くなるもんだよ。


 独りぼっちで、毎度、周囲を巻き添えにするように特攻していた、どこかの赤毛のバカみたいには、なってはいけない。アレはサイアクだ。


 仲間を頼る。『家族』と共に在ることを強さに変える……ククルにも、そういう戦い方を覚えて欲しい。優秀でマジメな子は、どうしても背負いがちだからな。


「……がんばりますね。ソルジェ兄さんたちを、頼りにしながら」


「そうしてくれ。オレも、お前のような可愛い妹分に頼られたら、やる気も湧いてくるってものさ」


「可愛い……っ」


「……そう言われるのは、イヤか?」


 子供扱いされているみたいで……?


 ククルはブンブンと横に頭を振っていた。赤いマントの上で、彼女の黒くて長い髪が夜風に踊っていたよ。長い髪は好きだ。風を見ることが出来るから。可愛い妹分は、やがてその動作を終わらせて、オレをしっかりと見据える。


「……いいえ!可愛いは、良いことですから」


「……そうだな、良い意味で使っているよ。とにかく……もしも、オレたちとの日々の中で苦しいことや辛いことがあれば、遠慮なく相談しろ」


「うん。そうさせていただきます」


「ああ。苦しみの全てを解決してやることは難しいかもしれないが、少しは和らげてやれるから」


「……はい。私、とても嬉しいです。ソルジェ兄さんに、そう言っていただけて……いつか……私も、ソルジェ兄さんの苦しみや不安を、少しでも背負えるようになりたいです」


 健気なセリフが心に刺さるな。我が死せる妻、ジュナ・ストレガよ。お前の妹は、とてもいい子だぜ。


 ……オレたちは夜道をゆっくりと歩いた。道を覚えるぐらいの集中力を発揮してはいるが、それ以上のことは何もせずに、ただ歩調を揃えるようにして、あの借りたばかりのアジトへと帰還したよ。


 緑の扉を開けると、仲間たちは全員がいる。皆、それぞれの仕事を果たしたのさ。ミアがスタタ!と軽快な足音を立てながら、オレの元へと現れる。


「おかえりなさい、お兄ちゃん」


「……ああ、ただいま、ミア」


 その言葉を言えることで、オレたちはどんなに汚れても、穢れても、自分を否定することなく生きてけるのさ。ガルフ・コルテスより学んだ、その力を……オレも他の猟兵たちに伝えなくてはな―――。




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