序章 『ベイゼンハウドの休日』 その17


 …………波の音で目を覚ましていた。まだ、朝陽が昇っていない時刻だな。オレにしては早起きだった。しっかりと寝入っていたハズだが、昨日はちょこちょこ眠っていたからだろうな。トータルしてみれば、睡眠時間は足りすぎるほどあった。


 波の音は、わずかに開いた丸い船窓の向こう側から聞こえて来ていたよ。ベッドから身を起こしてあくびをしながら、寝室内を見回した。リエルもまだ起きていなかったし、ロロカ先生も眠っている……大きな胸が小さな寝息と連動して上下していたから。


 ……早く起きすぎたかもしれない。そう考えていたが……オレと同じように起きている者もいた。


 ゼファーだった。ゼファーはリハビリをしているようだし、朝ゴハンを食べようとしている。海に潜り、その身をルルーシロアのように柔らかく動かして、かなりの高速で泳いでいた。


 クーデリカ・アーメイティの呪いに支配されていた状況だったとはいえ、ゼファーはルルーシロアとの『水中戦』の経験値を得ていたようだ。竜の体がどうすれば、より速く水中を進むことが出来るようになるのか。


 その疑問についての答えを幾つか手にしたらしい。ルルーシロアほどではないが、今までよりもその動きは一段と素早いものになっている。体は完全に癒えているようだった。オレの右腕と同じようにな。


 魔眼が教えてくれるゼファーの動きを楽しみながら、オレはもう一度、体をベッドに横たえていた。


 沖合いにまで泳いでいったゼファーは狙っている……キング・サーモンではなく、もっと大物をだ。2メートルほどの小さなサメを、朝ゴハンに選んだらしい。昨日はジーンのくれた牛を丸ごと食べているからな。腹はそれほど空いていないはずだ。


 だから、アレぐらいの小さなサメで十分なのだろう。むしろ、水中戦の練習相手として追いかけているようだ。クジラの方がサメよりも泳ぎは上手だろうが……クジラを食べたいほどには腹が減っていないのか、あるいはサメの泳ぎ方を識ろうとしているのか。


 研究熱心なウチの仔竜は、逃げるサメを追いかけ回していた。潜ったり、右や左に曲がってみたりとサメは素早く身を捻る。だが、ゼファーはその動きに対して完璧な反応を示す。


 常にサメの背後に回り込み、その逃亡を許すことはなかった。見事な泳ぎだ。竜同士の戦いは経験値を大きく与える……ゼファーはルルーシロアに対して、水中戦で敗北を喫したことに屈辱と怒りを持っているようだ。


 サメごときではルルーシロアの動きには遠く及ばないが、それでもあの戦いで得た動きを自分のものにするための手助けにはなっている。柔軟な脊椎の動きで水の抵抗を減らしながら加速し……そして、水中ならではの『反動』を活かした身の動かし方も実行する。


 海水がもたらす抵抗を、そのハンティングの動きに組み込んでいるのは、大きな進化だった。空中を飛ぶ時にせよ、泳ぐ時にせよ、力に任せた加速を好むゼファーではあるが、水中ではその力強い哲学よりも柔軟性に頼るべきなのだと悟ったらしい。


 風よりも水の方が抵抗が強く、体に絡みついてくるからな……剛と柔。武術において対極に置かれることもある概念である。剛の剣も素晴らしいし、柔の剣も良い。だが、より高みを目指すのであれば、どちらも使いこなすべきだろう。


 矛盾を体現することで、武術家という存在は手がつけられないほどの強さを発揮することになるのだからな。術理の限界を超えて、対立する概念を両立させる。それが達人という存在だ。


 ……ゼファーもルルーシロアから水中戦の極意を学び取った。これは剛か柔で言えば、間違いなく柔の技巧。ゼファーの趣味は剛の飛び方だが……柔が持つ効率性を識ることで、ゼファーは空でも柔の飛び方を応用しようとするかもしれない。


 竜同士の戦いで有効な『減速』の技巧も、このあいだ実戦で教えたばかりだしな。


 ……そんなことを考えていると、ゼファーは、サメの柔らかな動きを気に入っているコトに気づけた。たしかにサメは追い詰められると素早く身を反転させる。悪くない動きをするな……柔らかい動作だった。


 まあ、ルルーシロアの代役にするには、あまりにもスピードが足りないがな。ゼファーに追い回されたサメは疲れてしまったのか、その動きを緩め始めた。ゼファーは加速して、大きくアゴを開くと、その2メートルほどのサメを尻尾から丸呑みにしてしまう。


 ……美味いか?


 ―――あ。『どーじぇ』、おはよう……さめ、まずい……っ。くじらのほうが、おいしい……っ。


 ……そうか。残念だったな。


 ―――でも、たのしかった!さめ、いいうごきしてた!


 ……楽しかったなら、良かった。良い狩りになったな。


 ―――うん!そろそろ、もどるね?


 ……翼は?


 ―――ぜんぜん、いたくないよ!もう、いつものとおり、とべるとおもう。


 ……分かった。そろそろリエルが起きる頃だろ。戻っておけ。心配するぞ。


 ―――らじゃー!


 ゼファーはサメを胃袋に詰めたまま、海上に顔を出す。鼻で呼吸をしながら、犬かきを始めた。大きな脚で海水を蹴って加速するのさ。しばらく背骨に頼った動きばかりしていたから、飽きたんだろう。


 まあ、あの犬かきでも、とんでもない速さを出しているがな……ゼファーの視界に『ヒュッケバイン号』と、それよりも手前にあの無人島が見えた。海賊たちの何人かが浜辺で朝から釣りを楽しんでいるようだな。


 ジーンはさすがに酔い潰れて眠っているだろう。かなり呑んでいたしね。そんなことを考えながら、オレはゼファーの視界と魔眼の視野を切り離す。ベッドの中で体を右に傾ける―――船室の丸窓を見ながら……二度寝でもしようかと瞳を閉じた時。


 夜明けが始まろうとしている薄闇のなかに白い翼を見つけていた。ルルーシロア?……そんな期待をしてしまうが。違った。


 別にガッカリしているワケじゃないが、それはいつもの白フクロウの姿だったよ。オレたちにクラリス陛下から新たな仕事を届けにやって来たようだ。


 オレはあのフクロウに気を使ってやることにした。この船室の窓は小さいから、入るのに苦労するだろう。だから、わざわざベッドから下りて船室から抜け出したよ。『ヒュッケバイン号』の甲板に出る。


 白フクロウはオレを見つけると、いつものように頭を目掛けて飛びかかって来やがった。朝っぱらから頭皮に爪で穴を開けられるような気分にまではならない。そこまでフクロウにサービスしてやるのは、おかしいもんな。


 甲板の上で軽やかなステップで踊り、白フクロウの本気の襲撃を回避した。広げられたかぎ爪が空を掴み、白フクロウはバサバサと羽音と羽毛を散らしながら、甲板の上に着地していた。


 あのよく回るフクロウの頭を回してこちらを睨む。不服そうな態度だった。フン!と憤りの鼻息でも聞こえて来そうなほどだよ。


 だが、仕事を果たすつもりはあるらしい。フクロウはピョコピョコと小さな歩幅で歩きながら、近くに貼られていたハンモックに近づくと、そいつに飛び乗っていた。オレに脚輪を外せとアピールしているようだな。


 オレは白フクロウの左脚につけられていた暗号文入りの脚輪を外してやる。ヤツは瞳を細めながらオレを見ている。隙あらば、頭に跳びかかってやろうという魂胆であるらしいな。


 ……オレの頭皮に並々ならぬ興味を抱いているという傾向は、どうにも勘弁して欲しいところじゃある。だが、労ってやりたい気持ちもあるんだ。


 もしも、手元にカタクチイワシでもあれば、渡してやりたいところだが……オレのポケットにそんな生臭いモノは入っちゃいなかった。


 だが。


 思いついたことはある。


「……あの島に、バーベキューの残骸があるハズだから、気が進んだら食べてくれていいぜ?」


『……クエ』


 どういう意味があるのかまでは、よく分からなかった。だが、その小さな言葉を残して働き者の白フクロウは甲板から飛び立ち、あの無人島へと向かうのだ。オレの提案に乗ってくれたのだろうか?


 ……残骸という言い方は、失礼だったような気もする。残り物。そう言うべきだったなと反省しながら、オレは暗号文を解読することにした―――。




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