序章 『ベイゼンハウドの休日』 その6
……朝飯を食べ終わると、さっそくキャンプに出かける準備をするのさ。ヒゲ剃って歯を磨いて。荷物をまとめる。
旅慣れたオレたちの荷物なんてものは、そう多いモノじゃない。武器と着替えと緊急時用の携帯食料に、医薬品の数々と、灯り用の油とか。
釣り竿はジーンに借りることにしたよ。オレが持っているのは海釣り用じゃないからな。荷物をまとめ終わると、港に向かう。『ノブレズ』の港からは、帝国商船たちの姿はすっかりと消え去り、今ここには『アリューバ海賊騎士団』の海賊船たちが並ぶ。
海賊船と言うと聞こえは悪いかもしれないが、戦いだけではなく貿易も担っているからな。
帝国から『自由同盟』諸国との貿易に切り替える―――なかなか一筋縄ではいかない仕事にはなるが、この海賊船たちにしばらく『ベイゼンハウド』の対外貿易は依存する。
やがては『ベイゼンハウド』国籍の商船を建造するか、購入する形になるだろうな……アリューバやザクロアの木材で造られた商船を購入することになるかもしれん。両国は喜ぶだろうが、『ベイゼンハウド』の林業者はイヤがりそうだ。
ロロカ先生につき合う形で議会に参加していたおかげで、『ベイゼンハウド』の林業を仕切っているのはエルフ族だとかまで知ることになった。黒い森に狩猟や採集を依存して暮らしている者たちも多い……冬には薪を大量に消費する土地でもあるしな。
木材の供給量を現在以上に上げることは『ベイゼンハウド』では難しく、造船となると輸入した方が早いが、木材の輸入となれば国内外の業者の間での対立が起きるだろうよ。
……しかし、ジグムントは、ジークハルト・ギーオルガが求めた富を否定することはない。若い人間族の北天騎士たちが帝国の豊かさに憧れたこと自体は、責めるつもりはないのさ。この土地は確かに貧しいのだからな。
より発展するために経済的な成長を目指すことになる……それは、政治的な安定を求めるよりも困難なことかもしれない。
だが、希望は持てると思うぜ。若者たちは豊かになりたいという意志を示したし、ジグムントたち『北天騎士団』もより発展すべきという道には同意しているのだから。
ジークハルト・ギーオルガが政治力を得ることは最後まで無かったが、『ベイゼンハウド』が豊かになれば、より多くの者が救われるという道を示したことには大きな意味があっただろう。
あの青年はあの青年で、祖国が発展することを願っていた。ギーオルガの部下だった男が、ジグムントにギーオルガがまとめていた書類を渡していたよ。ギーオルガなりにこの国の産業がどうすれば発展するのかと考察したものだ。
ギーオルガは帝国の学者などにも手紙を出し、助言を仰いでいたようだった。ヤツが完成させていたプランは、亜人種の利権を剥奪するという手法の大きな欠点を除けば、その方針そのものは悪くないものであるらしい。
『ベイゼンハウド』の今後に、その文書は好影響を残すかもしれない。亜人種から利権を剥奪しなくても、産業を動かすことは可能だからだ。
……『ベイゼンハウド』は、結果として国際化することになる。内需に発展を求めることは、この土地では難しいことなのだから。かつてよりも開かれた国になるのさ。ファリス帝国に対してではなく、『自由同盟』側の経済圏に結びつくことで。
さてと。
堅苦しいハナシは止めにしよう。
オレみたいなアホが考えたところで解決策が思いつくようなハナシでもないからな。
そもそも、ロロカ先生やジーン、あとはアイリス・パナージュお姉さんなんかがジグムントたちの相談役になっているんだ、上手いこと行くようになると思うぜ。少なくとも、オレが考えるより百倍は上質な答えを用意するだろうから。
……今、オレが集中すべきことは、『家族』サービスと休息だ。しっかりと遊んで、心身共に休ませるとしようじゃないか。
まずば、ゼファーを『ヒュッケバイン号』に乗せるとしよう。もちろん、ゼファーも一緒に出かけるさ。
桟橋にゼファーがその巨体を移動させる。桟橋がギシギシと軋んだ音を上げていた。
『風隠れ/インビジブル』を使い、ゼファーの体重は数分の一ほどにはなっているが、それでも十分な重さがある。危なそうだから、ゼファーとその背に乗っているオレ以外の者はこの桟橋から離れている。
「ゼファー、飛び移れるか?」
『うん。いけるよ。たぶん、すこしぐらいならとべるし?』
「……そうかもしれないが、ムリはするな」
ゼファーが翼のつけ根に受けた竜槍の傷は深くはあったが、そこは竜の治癒能力にエルフの秘薬による治療が加わった結果だな。その傷口はふさがっている。ムリをすれば飛べるだろうが……あと一日は休息に使いたいところだ。
「よし。じゃあ、飛び移るぜ?ジーン、いいな?」
『ヒュッケバイン号』の甲板にいる船長殿に声をかける。ジーンは大きくうなずいてくれたよ。
「いつでもいいぜ?マストに登ってるヤツはいない。こちらの乗員は衝撃に備えている」
「そうか。では、行こうぜ、ゼファー」
『らじゃー。いっくねー、『ひゅっけばいん』っ!』
甘える声で『仲良し』の『ヒュッケバイン号』に声をかけて、ゼファーはその身を跳躍させた。翼を少し羽ばたかせながらだったから、桟橋にかかるダメージは軽減されていたし、それは飛び乗られる『ヒュッケバイン号』にも言えることだ。
ゼファーは『ヒュッケバイン号』に傷を負わせたくはないからね。
その乗船は上手く行ったよ。桟橋も壊れることはなく、大きく揺れた『ヒュッケバイン号』の海賊たちも、その反動で海中に誰かが投げ出されるなんてこともなかったのさ。
それから猟兵たちが次々に乗り込んでくる、桟橋と海賊船のあいだにかけられた長い木の板を階段代わりにして。海戦の最中では、敵船に乗り込むときに使うあの道具も、平時では全く血なまぐさくない使われ方をしているのさ。
「皆、乗ったな?」
「うん!乗ったよ!」
「そうね、乗ったわ!」
「そうかい。じゃあ、『ヒュッケバイン号』、出航するぜ!!」
ジーンの声に、海賊たちは反応してくれる。甲板の上を、あの太った体が走り回り、マストによじ登るとロープを操り畳まれていた帆を開いて行く。
風を受けた帆がふくらむように広がっていき、『ヒュッケバイン号』をゆっくりと走らせ始めていた。
ジーンは鼻歌を響かせながら、気持ち良さそうに舵を取る……最速の海賊船を操るっていう行為は、とても楽しそうじゃあるよな。
まばらに浮かぶ漁船たちのあいだを抜けて、船は北東に進んだ。
「なあ、ジーン。その無人島というのは、どこにあるんだ?」
「ここからしばらく北東に行って、そこからは海流に乗り、西に向かうことになるね」
「え?それなら、北東じゃなくて、北に進んだ方が早くない……?」
ミアといっしょに居眠りを始めたゼファーの頭に背中を預けるようにして座ったカーリーは、子供らしく疑問を素直に口にする。ジーンはニヤリと笑うのさ。
「海流ってのは、複雑なものでね。北に進むより、北東に進んだ方が結果的にいい流れに乗れるのさ」
「そーなの……?何だか、難しいのね」
「うん。船を操るということは、なかなか難しいんだよ。潮の流れに風の向き、それぞれの強さ……そういうのを色々と計算しておかないと、船は目的地に到着しないで、迷子になってしまうからね」
「う、海で迷子……それって、遭難……?」
「ああ。でも、大丈夫。計画通り動ける内は、そうはならない。でも、大きな嵐に遭ったりすると、そうはいかないから気をつけなくちゃならないのさ」
「……大変なのね、海賊も」
「まあね。陸が見える範囲では怖いコトにはそうならならいから安心して。でも、疑問があるなら、何でも答えてあげるよ。不安の解決になるかもしれないし、いい勉強にもなる。何でも訊いていいぜ?」
イケメンってのは12才の少女にもやさしいな。しかも教育的であろうとしている。カーリーは惚れたりするだろうか?……ファザコンだから、無いか。ジーンにお父さん要素は少ない。海賊だけどヒゲとかも生やしていないしな。
「じゃあ。ジーン」
「なんだい、カーリーちゃん?」
「あなたは優秀そうな人物に見えるけれど、どうしてヘタレって呼ばれているの?」
「ええ!?……な、なんで、オレがそう呼ばれていることを知っているのさ?」
「だって、あちこちで噂を聞くの。優秀だけどヘタレだって?でも、『岸壁城』に侵入して城塞を落とすような危険な任務を成功させた人が、ヘタレって呼ばれているのは不思議なことだわ」
「ククク!たしかに不思議なことだな!」
「笑い事じゃないよ、サー・ストラウス?……皆で、オレの名誉を穢すことに力を入れすぎじゃないか?」
「ねえ、どうしてなの、ジーン?」
「……う!の、ノーコメント!航海に関する質問だけ、受け付けます!」
口ごもるジーンがそこにいた。その様子を見ていたミアは、にんまりとした笑顔になると、カーリーの耳元にコソコソとつぶやいていた。事情を話しているのだろう。
好きな女性に告白することも出来ず、長年、モタモタし続けているせいで、周りの海賊たちがイライラし、ヤツをヘタレと呼んでいるという下らない事実を……。
「え!?……なにそれ、ダサい」
子供の評価は辛辣だった。カーリーは素直なコトバを使っていたが、ジーンの心にはグサリと刺さったようだ。
「……ふん。いいさ……どうせオレなんてヘタレだよ」
この北海で最強の海賊船長は、自虐的なコトバを口にしていた。
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