第六話 『北天の騎士と幻の竜』 その70
『ぐるるるるう……ッ』
呪いの影響で野生だった頃よりも凶暴化しているゼファーであるが、リエルは恐れることは無かった。ゆっくりと近づいていき、ゼファーの大きな鼻先に右手で触れるのだ。大きな鼻の穴がヒクヒクと動いて、リエルのにおいを嗅いでいる……。
「ゼファーよ、『マージェ』が来たぞ。落ち着くのだ。呪いなどに負けるお前ではない。お前は偉大なるアーレスの孫にして、魔王ソルジェ・ストラウスの竜だ。『パンジャール猟兵団』の一員であり、リエル・ハーヴェルの仔であるのだから」
『…………っ』
呪いの力が薄らいでいく。カーリーの力もあるのかもしれないが、ゼファー自身の力でもあるのだろう。荒ぶる息づかいが消え去り、闘争意欲が薄らいでいく。カーリーがその金色の尻尾をふるふると緊張で揺らしながらも、ゼファーに近づいていった。
「……え、えい!」
カーリーはゼファーに飛びつき、その両手に込めていた魔力を送り込む。ゼファーの体がビクリと震える……魔眼が教えてくれる。ゼファーをがんじがらめにしていた、無数の怨念たちの呪力……。
生け贄にされた帝国兵士どもの魔力で編まれた呪いの赤い『糸』が、ゆっくりと風に融けるようにして消え去っていく。
たしかに、クーデリカ・アーメイティも天才なのかもしれないが、カーリー・ヴァシュヌもまた天才なのだ。少なくとも十七人の歴代『呪法大虎』たちが受け継いで来た、呪術の知識は本物で、その後継者候補である彼女の実力もまた優れたものがあるのだ。
消え去っていく呪術と共に、ゼファーの荒ぶる貌がほぐれていく。
呪いの消失を悟ったのだろう、ルルーシロアはゼファーの首筋に噛みついていた牙をゆっくりと抜いてくれる。ゼファーは安らぎ、そして疲れ果ててもいる顔になり、その口をゆっくりと開くのだ。
『……『まーじぇ』ええ……っ』
「……ゼファー!!」
我が仔の名を呼びながら、リエルはその腕でゼファーの鼻先に抱きついていた。ゼファーは金色の瞳を涙でうるませている。
『ご、ごめんね……あばれちゃった……てきなんかに、あやつられちゃった……っ』
「いいのだ!……お前は呪いに抗おうと必死だった!……私たちは全員、無事だ!それにお前も戻ってくれた。何も言うことはない!……これで、いいのだ、私のゼファーよ!!」
『……うん。『どーじぇ』……?』
「ああ。よくがんばったな。オレのゼファー。心配するな、厄介なヤツは追い払ったぜ」
『……うん!』
涙をたたえた金色の瞳はゆっくりと閉じられて、涙は大きな滴となってゼファーの頬を流れていった。大きな鼻の穴が、『マージェ』のにおいをたくさん吸い込んで、安心して、そして嬉しそうに竜の尻尾を揺れるのだ。
「一件落着でありますな」
「ミッション・コンプリートだね!」
「……そうね!あとは、呪いにかからないように、祝福もすれば完璧ね!」
カーリーは腰裏のカバンから呪術用の筆を取り出していた。ゼファーの体に、その筆を走らせていく。
『あはは!く、くすぐったいよう……かーりー……っ!』
「ガマンなさい。呪術にかからないように、対策しているのよ……それに、覚えなさい」
『おぼえる……?』
「そう。わらわの祝福から、魔力を読み取るの。この祝福なら、一年はもつ。その間は、帝国の呪術師の―――名前、分かる?」
「ああ。クーデリカ・アーメイティ。『カール・メアー』の呪術師一族らしいぞ」
「アーメイティ、聞いたコトあるわね。色々な悪事がバレて、教会に破門されたとか、没落したとか、消滅したとか、悲惨な噂を聞いていたけれど……元気に悪事を働いているようね……」
……破門に没落に消滅と来たか。
王道の存在ではなく、闇に埋もれた実力者というわけだ。帝国軍のスパイどもは、そういう社会からのつまはじき者でありながら、脅威的な能力を有する存在から成立しているのかもしれないな。
『ベルーゼ室長』とやらが中心となり、『熊神の落胤』やら『ゴルゴホの蟲使い』、それに、竜すら操る呪術師アーメイティと来たか。帝国領内の変わり者をコレクションしているようだ。
……ゼファーかルルーシロアの翼が元気なら、追いかけて姉貴と甥っ子ともどもに捕縛しておきたい存在ではあるが……今は、欲張るのはよそう。オレもゼファーのそばに近づき、カーリーの作業の邪魔をしないようにゼファーの鼻の上に左腕を置いたよ。
「いい。ゼファー。そして、ルルーシロア」
『なに、かーりー?』
『……きやすく、なまえをよびやがって』
「反抗的にならないの、ルルー。カーリーちゃんは、きっとタメになることを教えてくれるんだから!」
『……ふん』
ルルーシロアも気にはなっているようだ。賢いから、そして『守備型』の性格をしているからな、リスクに備えたいのさ。呪いで自分が操られるコトに対して、警戒しているのさ。
この場で呪い対策を教えられる存在は、間違いなくカーリー・ヴァシュヌだけだということもルルーシロアは理解しているのだ。
『十八世呪法大虎』になるかもしれない『チビ虎』は、あの水色のリボンを巻いている尻尾を立てながら、ゼファーの肌に筆を走らせながら語るのだ。ゼファーは、くすぐったさに耐えつつ耳を貸す……。
「いいかしら?呪いを防ぐ祝福を有効に作用するためには、呪いをかけてくるであろう相手の悪意を想像するコトが大切なのよ」
『……あいての……』
『あくい、だと……?』
「そう。悪意は呪いの根底となるわ。そして、呪いというのは因果と業により結ばれるものであり―――とにかく、アンタたちは桁外れに魔力が大きいから、初歩の自己祝福の術と、クーデリカ・アーメイティに対する警戒心があれば、今度の呪いは防げる」
『そうなんだ!』
「そうなの!……自己祝福は……ルルーシロアは、もう出来てるわね」
『……ふん。ひとのじゅつをまねすることなど、たやすいからな』
「腹立つけど、確かにそうみたいね。それをしつつ……クーデリカ・アーメイティという名前と今夜の屈辱を覚えておきなさい。そうすれば、アーメイティの呪いは二人を操ることはなくなるから」
『うん!おぼえておく、わすれない……っ!』
『…………つぎにしかいにとらえたとき、それが、あのこがたせいぶつのさいごのしゅんかんだ』
シスコンのせいか、あまり小さな子供に対する殺意を聞きたくはないものだな……だが、この警戒心が呪い対策になるというのなら、それはそれで仕方がない。そうそう操られてたまるものか。
「……ヒトがたくさん死んじゃう乱世だからね。死者の霊魂を呪いの素材にする悪術は使いやすいわ。初歩の自己祝福とアーメイティへの警戒心は、忘れないことね」
『……おい、こがたせいぶつ』
「カーリー・ヴァシュヌなんだけど?」
「ルルー、教えを請うヒトには、ちゃんと礼儀を払う。そうじゃないと、最高の授業をしてもらえなくなるよ!」
白い竜は金色の瞳をウザったげに細めるが、我が妹ミアの指摘は実に正しいものであった。礼儀を欠くものに、誰も奥義など教えたくはないものだった。
『……わかった、こがたせいぶつではなく、かーりーよ』
礼儀を尽くした言い方ではないような気がするが……竜からすれば譲歩した結果ではあるのだろう。
「なにかしら、ルルーシロア?」
『……まぬけなくろいやつをあやつっていた『のろい』は、ふせげるといったが―――』
『まねけなくろいやつ』と呼ばれてしまったゼファーがヘコむ。泣きそうになるが、『マージェ』にナデナデしてもらって、どうにか自尊心を保つのだ。
『―――そのいいかたならば、より、つよい『のろい』には、わたしもあやつられるというのか……?』
「そうね。今回以上の呪いを仕掛けられたら、それも十分にあり得ることよ。注意を怠ることはリスクが多いわ……今、覚えた自己祝福。それを鍛錬することが好ましいわね」
『……ちからをふやし、ぞくせいのしゅるいを、ふやせばいいのか……?』
「……さすがね。その通りだわ。敵の呪術の属性に対して、三大属性の相克を使うの。それで、ヒトが使う呪いは防げるはずよ」
『……わかった。たんれんしておくとしよう……それでは……わたしは、さるぞ』
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