第六話 『北天の騎士と幻の竜』 その69


 土煙が海からの風に吹かれて消えて行く。大地に開いた巨大な穴が見えた。ゼファーの『火球』が当たった場所だ。ゼファーが呪いに抗って、わずかながらに攻撃を外してくれたおかげで、オレと姉貴は命拾いしたわけだな……。


 海のなかでは、ゼファーとルルーシロアの戦いが続いている。暗む海が、2匹の流した血に赤くなっていた。


 凄惨に見えるが、その実、当事者たちは楽しんでもいるのだがな。竜は戦いを喜ぶ。ヒトと一緒でな。あるいは、ヒトよりも戦いが好きな希有な動物なのだ。


 戦いながら、お互いを知り、己の強さを増していく……生態系の頂点であることを自負している動物が抱える本能としては、とても自然な気がする。強くなければ、竜ではないのだ。そして、強さとは強者に勝つことにより証明される。


 闘争本能を満たすことで得られる幸福が、竜にはあるんだよ。


「ソルジェ!!」


「お兄ちゃん!!キュレネイ!!」


 リエルとミアが、オレたちのそばへとやって来てくれる。心配させてしまっているようだ。


「無事か!?」


「ああ、無事だ。姉貴は取り逃してしまったがな……」


「イエス。ですが、今は敵をこの場から排除することに成功したことを喜ぶべきであります。おかげで……カーリーが、解呪に取りかかれているのでありますから」


「カーリーが……?」


 首を動かしてカーリーの姿を探す、彼女は浜辺にいる。浜辺に何か特別な効果のある紋章を描いていた。アレが解呪の儀式なのだろう。砂の上に描かれた紋章からは、強大な魔力が発生している……『雷』の属性を帯びた魔力のようだ。


「カーリーちゃん、あれで敵の呪いを妨害するんだって!中和させてるみたい!詳しいことは分からないけど、今ならゼファーを呪いから解き放つことも出来るっぽい!」


「ククク!そいつは朗報だな!」


「うむ。その前に……剣を抜こう」


「ん。ああ、頼む……」


 右腕に突き刺さったままの細剣の柄にリエルが指を絡ませる。こういう時のコツは脱力すること。力を入れていれば筋肉が動いて、身に突き立てられた刃を抜きにくくするし、ムダな傷を増やす。


 器用な指先をもつリエルは、ゆっくりとオレの腕から姉貴の細剣を引き抜いてくれる。


「取れたぞ」


「ああ……お。どうやら、腱は切れてなかったみたいだな。指が動きそうだ」


 腱と骨の隙間に刺さっていたか。そのおかげで腱が圧迫されて動かせなかった。むしろ、動かせないように固定した状態だったから、周りの組織がズタズタに切り裂かれることも無かったわけか……。


 『奇剣打ち』の鎧作りに感謝するところか。篭手の継ぎ目を貫かれても、指を曲げるための腱を守れるようなデザインをしていたようだ。強度と軽量化のために作らざるを得なかった『弱点』。それを穿たれても、装備者のダメージを少なくするための作りか。


 職人ってのは、やりやがる。おかげで腱を結び直す手術をしなくても良さそうだ。


「外すぞ」


 リエルは篭手を素早く外してくれた。生々しい傷があるが……腱が無事なら問題はない。エルフの秘薬が、その傷口に注がれていく。


 とんでもなく染みるし、焼き払われているかのような熱さを感じていた。だが、問題はないのだ。それで傷口が浄化させているという実感にもつながるしな。過分な炎症を抑えて、治癒を促進してくれるエルフの秘薬だ。


 すぐに治るさ。使わずに、安静にしていればな……。


「包帯は?縫合もしておくべきだが……」


「いや。そいつは後回しだ……今は、ゼファーを取り戻したい」


「……うむ。そうだな!」


 さてと、オレは痛む体を引きずらせるように歩かせて、カーリー・ヴァシュヌのもとへと向かう。オレたちの接近に気づいたカーリーが声を荒げた。


「そこの紋章!踏まないでね!!」


「……分かっているさ」


「……そ、そう。それならいいわ。この呪い……本当に厄介よ……ッ。わらわの力だけで解くのは難しいみたい……腹が立つけど。この呪いを組み立てたヤツは、本当に天才よ」


 天才。そうなのだろうな、竜を操ることだけでも末恐ろしい才能だが……そこら中の死体を一瞬でゾンビにしてしまいやがった。『呪い追い/トラッカー』の力を使うと、呪いの赤い『糸』がそこら中を漂っているのが分かる。


 しかし、カーリーの紋章のおかげなのだろう、その『糸』がゆっくりと消し去られていく。ゾンビを動かすための呪いは、これで消えた。問題は、ゼファーにかけられた呪いの方だな。


「『岸壁城』で、多くの帝国兵を生け贄にして組み上げた呪いだもの。遠隔での解呪は難しいわ……」


「どうするべきなのだ?」


「……ゼファーに直接、触れて、呪術を解く。その後で、わらわが祝福を施して、同じ呪術にかからないようにするわ」


「ゼファーを触れたらオッケーなカンジ?」


「ま、まあ。平たく言うとね……でも、なかなか、壮絶なことになりそうだわ」


 カーリーは海で暴れる2匹の竜を遠い目で見つめている。クジラをも容易く屠る最強の狩猟者たちの闘争は、海水を爆発させてかき混ぜているように激しい。破裂した波が白い奇跡を描き、咆吼と血飛沫ろ白と黒の尻尾が空で暴れている……。


「……どうしよう。あそこに飛び込んでいくのは難しいわね……」


「止めておくであります、それをすればカーリーは死んでしまいますぞ」


「う、うん。死ぬの、イヤ。せっかく伯父上に本当のコトが伝わったばかりなのに……」


「なら、ルルーの出番だ!!ねえ、ルルー!!ゼファーを、砂浜に上げて!!」


 そうするほかにないだろうな。ここはルルーシロアに頼るべきだろう。


『…………すきかってを、いうものだな……せっかく、たのしくなってきたというのに』


 ゼファーとの戦いを邪魔された気持ちになっているらしいが、それでもルルーシロアは冷静だった。海中戦では、圧倒的に有利であるからな。彼女はゼファーを本気で仕留める気まではないようだ。


 呪いに操られているゼファーを倒しても、誇り高き竜のプライドが満たされることも無いだろうからな。


 ルルーシロアが海中で加速する。本気を出したようだな。ゼファーもまた必死になって追いかけていくが、やはり経験の差か。海中を好むルルーシロアの泳ぎには、ついて行くことは難しい。


 だが。


 確実に経験値を得てはいる。ゼファーの泳ぎは、少し速くなっている。ルルーシロアの海中での動きを肌で感じ取り、それを模倣して自分の泳ぎ方を研究してもいるのさ。


 ……どんどん成長していく。


 たとえ、敵の呪いに操られている瞬間でさえもな。それが少し、『ドージェ』には嬉しくもあるんだよ。


 そして、おそらくルルーシロアも楽しんでいるような気がする。なんというか、姉弟みたいだった。さっきまで実の姉と殺し合いをしていたオレには、この光景を見ていると不思議と癒やされるような気持ちになれたよ。


 ……さて、ルルーシロアが潜ったぞ。ゼファーは急な潜水について行けなかった。加速した直後の、その潜水。ルルーシロアのやわかな泳ぎだからこその動きだ。クジラとの戦いしか知らないゼファーでは、そのフェイントに対応することは難しい。


 水中深くに潜られ、そのまま右に回り込まれたようだ。ゼファーは向き直ろうと必死になって体を曲げるが、ルルーシロアはその大きな隙を見逃すことはなかった。強烈な頭突きで突き上げることにより、海中からゼファーを叩き出していた。


 そのまま黒い竜と白い竜はもつれるようにしながら、砂浜へと落下していたよ。リエルが反応する。


「ゼファー!!」


 我が仔に向かって『マージェ』が走るのさ。オレも、痛む体をミアとキュレネイに支えてもらいながらも、リエルの後を追いかけて移動する……ゼファーに触れたかったよ。取り戻したいのさ、オレたちのゼファーを……。


 だが。


 ゼファーは未だに呪いの支配下にはあるらしい。そして、ルルーシロアに『敗北』したことで気が立っている。力負けすることを、竜は最も嫌うからな。ゼファーは砂浜で暴れて、ルルーシロアを押しのける。


 そして。怒りのままにリエルを睨みつける―――危ない。本能的に察知する。呪いに心を操られているゼファーがリエルに牙を剥き、唸り、跳びかかろうとしていた。


 だが、リエルは怯むことはない。ゼファーを信じているようだ。


 ……それに、ルルーシロアもゼファーの行動を許さなかった。ゼファーの首根っこに素早く噛みついて、ゼファーの頭を砂浜に叩きつけていた。白い竜は語るのだ。


『……おい。そいつは、おまえの『まーじぇ』なのだろう?……きばをむけるあいてではないぞ……』




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る