第六話 『北天の騎士と幻の竜』 その68


 右手が動かない。だが、左手は動くのさ。剣では負けた。負けたが……負けたぐらいであきらめるほど、素直な心なんて持っちゃいない。


 動く左手で姉貴の右手を掴む。


 組み打ちに入るんだよ、剣だけが戦いではない。指が動かなかったとしても右腕そのものは動くんだ。これはストラウスの技巧ではない。どこの国にも似たような体術は存在しているものだ。


 ガルーナにもあったが、ほんの少しアレンジが利いている体術になる。姉貴の右腕を引っ張りながら右腕で彼女の体を押し込むようにして、身を捻り、彼女の崩れた体を右脚で刎ねるように、あるいは腰に乗せるようにしてブン投げていた。


 右腕が痛むが、お構いなしだ。


 姉貴を大地に背中から投げ倒したのさ。背中を強打すれば、ヒトは動きが大きく鈍るものだが、竜騎士は受け身が得意。ダメージを分散した姉貴は握られて抑え付けられたままの右手ではなく、左手にナイフを抜いた。


 後頭部を狙われている。頭を動かして、躱すが……冷静で残忍な指はナイフの角度を変えてて、今度はオレの首を狙う首を反らして、それも避けた。指の動かない右手から竜太刀を完璧に放して伸ばした右腕と篭手の重量を使い、そのナイフを打ち払った。


 ナイフが姉貴の指から外れたよ……。


「く……っ」


「団長、そのまま抑えておくであります」


 ゾンビを斬り伏せたキュレネイが、こちら目掛けて『戦鎌』と共に駆け込んでくる。オレの代わりに姉貴を殺すつもりだ。オレは……キュレネイの甘ったるい優しさに、頼ってしまうことを決めていた。


 オレでは、殺せそうにない。殺せた瞬間を、オレはあえて逃していたのだから。


「……甘いわ、愚弟。そんなことだから……私を殺す機会を逃す」


「そうだな……だが、オレは……頼ってもいいと、あの子に言われていたんだ」


 『私はあなたのための残酷です』……。


 キュレネイの声が心に響く、ズルいかもしれないが。オレは『家族』を頼っていた。オレの代わりに、姉貴を……マーリア・アンジューを殺してくれるか、キュレネイよ。


 だが。


 たしかに、オレは甘すぎた。


 自分の姉貴を何だと考えていたんだろうな。殺そうとしたって、殺せるようなシロモノじゃないということを、失念していたよ。


 姉貴が命じていた。


「竜よ!!この私を、爆撃しなさい!!」


 ……オレの姉貴も、『家族』のためなら死を厭わないタイプだった。完全なるストラウスの血。姉貴の脚は、オレの体に絡みついていた。逃すつもりはないのさ。


「一緒に、死になさい、愚弟……」


「……さすがだぜ、オレの姉貴らしいよ」


 海の中でルルーシロアと戦っていたゼファーが、その命令に反応していた。首を海面に出す。そして……『火球』を放って来た。でも、オレは知っている。その『火球』が、オーダー通りの弾道ではなかったことを。


 ゼファーが、オレを殺すはずなんてないのさ。


 『火球』はオレと姉貴を直撃することはなく、その手前に着弾していた。おかげで即死することはなかったが、姉貴もオレもキュレネイも、皆でまとめて爆風で吹き飛んでしまっていた。


 土煙が世界を覆い隠していく。キーンという耳鳴りのせいで、リエルとミアがオレを叫んでいるはずなのだが、その声もよく聞こえやしなかった。いい威力だぜ、さすがはオレのゼファーだな……。


 そう考えながら、オレは地面に叩きつけられる。


 痛いが、構ってられるか……土煙の蔓延するその場所で、オレは身を起こしたよ。姉貴を探す―――どういう意味でだろうか?……見つけて殺すために?……それとも、死んでないか心配だからか?


 分からなかった。


 でも、オレが探しているものは、姉貴だけじゃない。一緒に吹っ飛んだキュレネイのことだ。キュレネイのほうが体重は軽いから、よく飛ぶかもしれない……心配だ。竜騎士並みに受け身が上手いとは限らない。


 痛む体で土煙のなかを這うように歩き……オレは、キュレネイを見つけた。しゃがみ込み、左手で彼女のほほを軽く叩く。キュレネイの瞳はすぐに見開く。気を失っていたようだった。


 でも、大丈夫そうだ。赤い瞳がオレを見ている。


「立てるか?」


「……イエス。マーリア・アンジューは……?」


「分からん……っ!?」


 土煙の向こう側に、オレとキュレネイはその影を見つけていた。マーリア・アンジューと、その息子……アシュレイ・アンジューだった。首の落とされた白い馬に、アシュレイは母親を乗せていた。


 やはり、迎えに来やがったか……。


 アシュレイがオレに気づく。姉貴は、グッタリとしているが、死んではいないだろう。首でも落とさない限り、ストラウス家の連中が死ぬことはないんだから。


「……叔父上。いい戦いだったよ。教訓にする……次は、もっと上手く戦って、必ずリベンジするからね」


 不吉な言葉を残して、クーデリカ・アーメイティの呪術で動いているのだろう、首無し白馬を走らせる。あの首無し馬め……おそろしく速い動きだった。あの子の呪術師の腕は、相当なものなんだろうな。


 しかし、みすみす見逃せるか……危険人物どもを、逃がしてたまるかよ……っ。


「……キュレネイ、動けるか?」


「……ノー。追撃は、難しい……でも、今は……しょうがないであります。最優先目標はゼファーの救出であります」


「……そうだな…………すまんな」


「なにを、謝るでありますか?」


「……オレの、あまりの不甲斐なさだ。殺せたハズだった。確実に、殺せたハズだったんだぜ、キュレネイ……オレは……それを、逃しちまったんだ……そのせいで、お前まで危険に晒してしまった」


「……大丈夫であります。私は、へーきで、へっちゃらでありましたから。少々、体中が痛むだけですが……問題は無いでありますぞ」


「……ああ。そいつは、本当に良かったぜ」


「……それに」


 キュレネイの右手が、オレの砂ぼこりをかぶりまくっている赤毛を撫でていた。とても優しげな手つきでな。中年女性に似ていると言われると、美少女が怒るかもしれないから口にしなかった。


 でも。


 なんでか、お袋を思い出していた。こんな時に、頭を撫でてくれるタイプのお袋でも無かった気がするんだけれどな……叱られそう。ヘタレ。そんなのだから、敵を取り逃がすのよってな……でも、今のキュレネイにお袋の影を感じていたんだよ。


 ナデナデ・タイムは終わりを告げて、赤い瞳が、砂ぼこりの向こうからオレを見つめてくれる。


「……これで、今日は良かったのであります」


「……何がだ?強敵を、逃してしまったんだぞ……?オレたちの、災いとなる種の人物たちをだ」


「それでも、いいのであります。私たちは最善を尽くした。敵の策に、少し上回られただけでありますし……そもそも」


「そもそも?」


「私は、ソルジェ・ストラウスが躊躇いもなく、自分の姉を斬り殺す姿なんて、絶対に見たくは無かったのであります」


 そう言いながら、キュレネイ・ザトーはオレが一番好きな彼女の表情をしてくれる。いつものアレさ。口の両端を上げて…………あれ?……指を、使っていないような。


 見間違いだったのか、それともそうじゃなかったのか。分からなかった。それは一瞬の出来事だったし、オレの目も砂ぼこりで痛くて涙目でもあったから。でも、彼女はいつもとは異なる表情だった気がしたんだが……。


「さあ、団長。最後の一仕事であります」


 いつもの無表情をオレの顔に近づけながら、キュレネイは再起動するための力を分け与えてくれる。取り逃がした敵のことなど、もはやどうでもいい。そうだ、オレは取り戻さなければならないんだ。


「……ゼファー。そうだな、ゼファーを、取り戻すぜ!!」


「イエス。さあ、行くであります」



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