第六話 『北天の騎士と幻の竜』 その67


 ―――血なまぐさい闇の中を、冷たい鋼を携えて走るのさ。先手はオレが取る。姉孝行の一環だ。どうせ殺すのならば、すぐさま殺してやるよ。それに、姉貴の細剣を待ち構えているなど愚の骨頂だからな。


 姉貴目掛けて竜太刀で斬りつける……だが、姉貴の体は前転しながらその斬撃を躱し、オレの左脚を目掛けて薙ぎ払う一撃を放つ。鉄靴を履いているから斬り裂かれることはないものの、鋼で脛を強打されることは避けるべきだ。


 オレは側方に跳び、その斬撃から間合いを開ける。姉貴はそれを見越していたように細剣による突きを放って来た。速い動きではあるが、正面からの攻撃には同時に突きを放つことで迎え撃てる。


 鋼が衝突する。体勢不十分であるオレの突きでも、十分に威力はある。竜太刀の方が長くて重いからな。刃を衝突させたまま、姉貴の細剣を打ち払うように動いた。だが、そのあたりはさすがに同門。


 突き払いの技巧は細剣を素早く引かれることで不発に終わり、姉貴が竜太刀よりも近い間合いに侵入してくる。冷や汗が噴出した。姉貴の技巧ならば、細剣で鎧を貫くなど容易いことだ。


 打ち合いにこそ向かない軽量級の刃ではあるが、鎧を穿つことには長けている。細剣が稲妻の速さで刺突されて、オレはそれから逃げることで回避する。間合いに入られたら、不利だな―――これは、おそらくガキの頃に叩き込まれた苦手意識もある。


 だが、それだけじゃない。


 実際のトコロ、マーリア・アンジューは強い。文武両道……賢い上に武芸百般さ。竜槍を使いこなして、暴れるゼファーの急所を的確に突き刺した。天才でなければ、それは叶わん行為だ。


 全力で逃げてみたが、髪の一部と頬の肉を斬り裂かれてしまう。細剣は飛燕の動きで踊り、竜太刀を握る右の手首を狙ってくる。斬り落とされることは無いが、篭手を強く叩きつけられて、手首の骨に激痛が生まれた。


 ……オレより速く動けるキュレネイが、『戦鎌』を捨て去った理由を我が身を持って証明している気持ちさ。マーリア・アンジューってのは、速い。そして彼女の操る細剣は、次から次に急所を狙って飛び回る。


 息子は、この動きを真似ていた。脚も手も、その瞬間に狙うべき『弱点』に剣を運ぶ。それは明らかにマーリア・アンジューの技巧を模倣したものである。コレを竜太刀という重い剣で再現するヤツも天才だが―――その完成形である姉貴の剣に、隙など無い。


 ガキの頃なら、泣かされていただろうがな……今は、もういい大人でヨメは死者も含めて4人いる。ちょっと絶体絶命のピンチぐらいでは、泣いていられない。躱し続けるさ。無論、速さの差があるから、完全には避けきれない。あちこちに斬撃を浴びる。


「……動きが鈍いわね、愚弟。戦い過ぎている。魔力を使い過ぎて、アシュレイに体力も、潰された」


「……そうだ。全力ならば、負けやしない」


 まあ、姉貴もキュレネイと戦うことで、体力を大きく失っているハズだがな。一度、負けそうになるほど追い込まれていた。だが……キュレネイの鉄拳を受けた割りには良く動くトコロを見ると……膝を突いたのは演技だった可能性が大きい。


 不用意に近づいた者を、殺せる技巧と武器を持っているんだろうよ。手の早さは、オレの比じゃない人物だからな。暗器の類いも使いこなすさ。


 細剣が風を切る音を立てながら、圧倒的な速度をもって襲いかかって来る。回避不可能な攻撃もあり、幾つかを体で受けてしまうが、鎧に頼り、それらのダメージを緩和する。


 しかし、鋼で打たれたことには変わりがない、ゆっくりと体に損傷が蓄積していけば、動きはやがて破綻してしまうからな。当たるとは思っちゃいないが、それでも手を出して行くほかない。


 竜太刀で横薙ぎ払いを放ち、姉貴を間合いから追い出す。間合いを取れれば、こちらが有利になるもんだよ。竜太刀の乱打で攻め立てる。姉貴は力勝負では絶対的に不利だからな。


「……無粋な剣だ」


「それでも、有効だ!!」


 リーチだけには頼らない、鋼の旋風から逃げる姉貴を目掛けて、竜太刀を踊らせて斬り上げる攻撃を放つ。姉貴の生命線である脚、そこを狙うような攻撃だ。しかも、竜太刀の踊らせ方は、アシュレイの模倣だ。アンタの剣だ、なかなか鋭く厄介だろ?


「……くっ!!」


 姉貴の上着の一部を斬り裂く。ドレスの下に、魔獣の革を分厚く巻いているのが見えた。軽くて頑丈ではあるし、傭兵の好む装備だ。


「貴族の剣士には見えないぜ」


「有効な装備を選択する。私の戦い方に、重たげな鋼の防具は不要だ」


 たしかにそうだ。合理的だよ。姉貴は長い脚を交差させて加速を生み出し、報復に出る。細剣の連続突きで竜太刀を握る右手を狙って来た。ああ、細剣ごときの突きのハズなのに、まるで槍でも放つかのような風を破る音とプレッシャーを感じるな。


 竜太刀で受け止める。前に出していたくなるぜ。振りかぶりでもすれば、飛び込まれ串刺しにされてしまいそうだからな……。


 一進一退……そんな攻防が続きながら、お互いの体に手傷を負わせてせていく。どちらがより大きな傷であるかは、微妙なところだった。互角のように見えて、実のところ、互角なままではオレが絶対的に有利ではある。


 姉貴の戦い方は、立ち回ることが肝要となってくるからな。オレの間合いから逃げ出さねばならないフェーズでは、ステップを多く踏まされ、体力を消耗する。待ち構えながら戦えている分、こっちの消耗は少なく済む―――。


 ―――問題は、アシュレイを逃す可能性が高まってしまうということだ。一秒ずつに、ヤツは遠くへと逃げ去るか……あるいは、胴体の傷の手当てをしているかもしれない。血さえ止まれば、何らかの中毒を覚悟することで、無理やりに体を動かせる薬もある。


 ……オレは、正直なトコロ。あいつがこのまま母親を置き去りにして逃げるような種類の男とは考えてはいない。ストラウスの血は、そういうことをしないさ。そうだろ、アーレスよ。


 あの緋色の髪の剣鬼は、ここへと戻って来るような気がしている。だから、さっさと姉貴を倒しておくべきだ。姉貴も呼吸が苦しくなってきているしな!!


 再び、有効だった斬り上げを放つ!!


 わずかながらに胴体に切っ先が命中し、彼女の体を傷つけていた。忌々しげに顔を歪めながら、姉貴は後退するが……その足さばきには翳りの色が見えていた。今までよりも、少しだけ遅い。


 ……怪しい。


 弟だから、そう気づいている。


 それでも勝利を求めて、その怪しい足さばきに釣られることにした。入るのさ、何とも罠臭い気配に満ちた、その間合いの中に。


 案の定ではあるが、細剣はやはり今までにない速さで踊り、オレの首を狙ってくる。今まで、一度もしなかった左の頸動脈狙い。竜鱗の鎧を神速の細剣が蛇のように這いずり上がって、尖った鋼が獣の牙のように首を狙う―――オレは、その動きを予想してはいた。


 ……より正確に言うのならば、意識の片隅にずっとある動き。


 昔、兄貴たちをこの技巧で泣かしていたような思い出があるのさ。竜太刀使いの『弱点』を教え尽くされて育ったマーリア・アンジューには、この最強にして手慣れてしまった技巧がある。


 『家族』の記憶が、導いていた。


 アーレスの宿る竜太刀で、姉貴の細剣を横から叩きつけていた。必殺の力を込めていたからな、細剣は強く力にあふれて固まっていたんだよ。だから、竜太刀の強打を浴びて、なおかつ竜鱗の鎧の硬度に切っ先がわずかに刺さったその瞬間。


 細剣は真っ二つにへし折られていた。


 緊張する力が鋼に加わりすぎて、細身の刀身がもたなかたったのさ。砕ける鋼の音を聞いていたとしても、オレは勝利を確信することなどはない。理解しているからだ、マーリア・アンジューが、これぐらいであきらめるはずもないことを。


 彼女は、あの『マーリア・ストラウス』なんだぞ?


 ストラウスの血を身に宿す剣士は、いつでも勝負を捨てることはない。折れた細剣でも、首は掻き切れるんだからな。


 残酷さが要る瞬間だった。


 勝利のために、残酷さを帯びて、オレは竜太刀で姉貴を斬り裂かなければならなかった。だが……だが、竜太刀は動き―――止まる。圧し斬れたはずなのにな。彼女の胴体に竜太刀の刃を当てるまではいった。


 このまま腕を押しても、脚で前に踏み込んでも、致命傷を負わせる動きが始まるハズだったんだが……体が石のように動かなかった。静止してしまい、竜太刀が動かない。姉貴の細剣がオレを右の前腕に突き刺さる。


 折れていようが、そこは達人。鋼を篭手の継ぎ目に入れることぐらい出来るさ。オレは思い出していた。


 キュレネイが届けてくれた、『オル・ゴースト』の『予言者』たちの『予言』……オレは剣で敗北するらしい……そうだ、オレは敗北していた。折れた細剣を突き立てられた右の前腕はその機能を壊されて、動き竜太刀と一つになるための握力が生み出せなかった。


 オレは、勝利寸前でマーリア・アンジューに敗北を喫していたんだよ……。



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