第五話 『緋色の髪の剣鬼』 その33


『…………そうか。まあ……わたしのしったことではない…………』


 そう言い残して、ルルーシロアは海の中へと歩いて行く。きっと、クジラでも捕まえて、食べるつもりだろうな―――ついさっきの戦いで得た経験値に基づいて、より肉体を成長させるための栄養を求めているのさ。


『……むー。かんじわるいやつ』


 ゼファーは海へと向かうルルーシロアの背中を睨みつけながら、不満げにホッペタをふくらませていた。竜と竜が分かり合うのは、なかなかに難しい行いだ。オレはなだめるために、ゼファーの鼻先に左手を置いたよ。


「……ルルーシロアにも、彼女なりの考えがある。尊重してやれ」


『……うん。『どーじぇ』がそういうのなら、そうするね』


「ああ、ありがとう。いい子だぞ、オレのゼファー」


 白い竜は海の中へとその身を揺らしながら潜っていく。泳ぎも達者だからな。ゼファーは彼女のなめらかな体の動きを見ている。学ぶことの多い竜だ。ゼファーもまた、ルルーシロアとの邂逅で大きな経験値を手にしているのさ。


 こうしている瞬間でも、骨格は軋みを上げながら、新たな姿へと成長している最中でもある。


 強くなるといい。


 そうでなければ、このヒトの悪意が満ちる乱世の大陸では、竜とて生き抜くことは容易くないだろう―――ヒトは竜よりも弱いが、竜よりも邪悪で浅ましく、命や自然を壊すことに長けている。


 調和とは真逆の本質を宿している生物だ。


 竜たちよ、そんな邪悪なオレたちに淘汰されることのない、最強の力を蓄えてくれると嬉しい。そうでなければ、きっと……ヒトはお前たちを殺すから。共に生きるコトも可能なお前たちに、悪意と排除の鋼を向けて、騙し、利用し、罠にかけて殺す。


 そうなって欲しくはない。


 だからこそ、ヒトを学ぶといい。狡猾で、邪悪で、強く、残忍で、救いようがないほど排他的であり……お前たちと共存することの出来る、唯一の存在だ。ヒトほど、竜に近い存在をオレは知らないよ。


 ……とにかく。


 ルルーシロアとの契約は交わされた。あの仔はその約束は守るだろう。この戦いが終わるまでは、彼女はオレたちの邪魔をしない。


 そして、その後でオレとゼファーはルルーシロアと戦う。負ければオレは食われるだろうし、勝てば『家族』が増えるだろう。


 いい賭けだな。『家族』を得るためには、命ぐらい張るべきだ。そうすれば、どれぐらいオレがあの仔を大切に考えているのか、分かるだろうから。


「さてと」


 オレは皆が乗っているゼファーの背に戻る。濡れ鼠のオレから、乙女たちはちょっと離れたよ。ありがたい、彼女たちまで海水で濡らしてまうことはないからね。


「赤毛、乾かさないでいいの?」


「……空を飛んでいるあいだに乾くさ。水浴びもしたいし、着替えたいが……とりあえずはドワーフたちの集落に戻ろう」


「うむ。そうだな、風呂もツギハギだらけのあの屋敷にはある。借りるといい」


「ああ」


「じゃあ。背中を流してあげるね」


 ミアがルルーシロアの消えた海に視線を向けたまま、そう語った。何だか、戦の最中だというのに、とても嬉しいイベントが起きそうだ。


 オレは微笑みながら、ゼファーに鉄靴で伝えていたよ。竜の脚が巨体を支えて立ち上がり、そのまま丸石だらけの波打ち際を駆け抜けていく。灰色の海と、灰色の海岸で加速して、白い海鳥たちが旋回する青い空へと竜は帰還する。


 海鳥たちはあの笛に似た歌を合唱させながら、ゼファーに近づいてくる。ルルーシロアとは異なり、鳥を嫌うことはないからな……空を飛ぶ仲良したちは、黒い翼の羽ばたきが起こす強い風に乗り、遊ぶのさ。


 風に乗ることで、より高く飛ぶことも可能だからな。ここの鳥たちは、先祖から竜と遊んだ記憶でも引き継いでいるのだろうか?……鳥は馴れ馴れしいものだけど、コイツらは平均よりも馴れ馴れしい。


 空を飛ぶ者は、孤独を背負うときもあるからね。どこまでも広い空は虚ろなほどに生命の躍動は希薄となるものだから。


 海鳥たちとしばらく並んで飛ぶ。ゼファーの翼の呼ぶ風に引きつられながら、海鳥たちはしばらく自分たちだけでは到達できない、高みとスピードを楽しんだ後で、その編隊を解いていく。


 再び、あの倒れた灯台のある島へと戻るのさ。海に呑まれる日が来るまで、あの島は氷の時期以外は、きっと白い海鳥たちの住み処であり続けるのだろう……ヒマがあれば、あの島でキャンプでもしておきたい。


 海に投げ飛ばされたときに理解したが、あそこの海には、それなりに魚が多い。海鳥どもの食べ残しだとかが、あの島の周辺には流れているんだろう。それを目当てに魚が寄って来ているのかもしれない。


 釣りをすれば、それなりの大物を取れるかもしれないな。昼寝するゼファーの背中には、多くの海鳥たちが取りつくだろう。竜と鳥は、友情があるからね。一緒に、太陽を浴びながら温まる日もあるよ。


 そういう一日を過ごしたいと、願望していたよ。


 北海の上空の冷たい風を浴びながらね……。


「ゼファー、いい戦いだったな」


『うん!……かてたし!』


「そうだな。勝てた。戦士は、勝つことで、多くを得られる。敗北は、それよりも多くを学べるが、勝つことで得られる鋭さもあるんだよ」


『そうだね。ぼく、ひとりだったら、たぶん、るるーしろあにかてなかった。いっしょにとぶ『どーじぇ』や『まーじぇ』、みあとかーりーがいたから、かてたの』


「……わらわも、あなたの力になれたのかしら、ゼファー?」


『もちろんだよ。いっしょにうごいてくれてたもん!』


「ま、まあ!乗馬的な動作よね?」


「うむ。カーリーはゼファーの動きをよく読んでいたぞ。さすがは、須弥山の『虎』であるな」


 リエルに褒められた小さな『虎』は、えへへ!と笑っていた。オレ以外の人物に対しては素直なものだよ、カーリー・ヴァシュヌは。オレは、ちょっと皮肉屋すぎるのかもしれないな……。


 ……海鳥たちと分かれたゼファーは、南へと戻る。高度を上げて、偵察の範囲も広げていくのさ。


 『ガロアス』に向かう2000の帝国兵たちは、その歩みをかつてよりも遅くしている。さっきの襲撃が功を奏しているようだな。オレたちが近づくと、彼らは一斉に矢を放ってくるが、この高さと速度を射抜ける勇者の弓はあの戦列にはいなかった。


 敵の矢をムダにしてやったことを、喜ぶとしよう。


 小さな軍事的貢献をしながら、オレは左眼の力を使い、遙かな西の状況を偵察したよ。


「あっちは、どんな様子なのだ、ソルジェ?」


「……ああ。もう戦いは始まっているな」


「ふむ。予定通りか」


「そうだ。『ガロアス』の兵力は、こちらの策に引っかかってくれたらしいな」


 『バガボンド』たちが、東を守るように動いたのだろう。東と北から攻め込めば、勝機はあるはずだと帝国軍は考えていたようだが―――東に敵などいないのさ。一気呵成に攻め込もうとするだろうが……イーライの仕込んだ弓隊は、矢を雨のように振らせるだろう。


 その矢の雨を走り抜けたとしても、経験値にこそ課題はあるものの、才能あふれた精鋭ぞろいの『バガボンド』と、北天騎士たちが待ち構えている……海から『火薬樽』も飛んで来るよ。


 そして、気がつくさ。突撃すべき相手ではなかったのだということを。短いあいだに二度も竜に襲撃された2000の援軍が、辿り着くまでに、あの敵軍の指揮官はかなり多くの被害を出して撤退することになる。


 『ガロアス』までは攻め込まないだろう。イーライ・モルドーと『バガボンド』は作戦を全うする。若い戦士ばかりだからな。ムリな侵攻作戦は、若者たちをムダに調子づかせることになるから……。


 イーライもピエトロを育てている最中の男だ。若者が、どれだけ血気盛んで、無謀な攻めを好むものかを熟知しているだろうさ。


 そういう若者の脆さもな。


 勢いだけでは戦には勝てない。『バガボンド』の精鋭たちには、ガマンを覚えてもらうことにしよう。戦場での無謀は、早死にを招く。そして、死ねば経験を重ねることはなくなる……着実に、彼らには強くなってもらいたい。


 この戦の精鋭たちが、おそらく帝国との戦いで重要な役割を担う戦士となるだろうからな―――。



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