第五話 『緋色の髪の剣鬼』 その31


 青い空のなかを、疲れた身体は無言のままに飛んで行く。この幸福なる飛行は……竜が並んで飛ぶ感覚……オレは、何とも嬉しい気持ちになる。


 ルルーシロアまで無言なのは、オレたちと同じく疲れているからだ。竜の追いかけっこなんてものは、実は先頭の方が不利なんだよ。さっきみたいに、風を利用されることもあるわけだしね。


 それに、後ろから追いかけて来る者の姿を、ときどき振り返りながら見張らなければならないものだから。


 ルルーシロアは、それを知らなかった。


 勝負ってのは、知識にも大きく左右されることがあるものさ。ゼファーもルルーシロアも、初めてだったから分からなかったはず。竜の追いかけっこの有利と不利なんてことまではね……。


 だが、いい経験になっただろうよ。竜の追いかけっこ。本来ならば、もっと竜が多くいる環境であれば、より幼い頃に、学ぶべき法則なんだがな…………どうにも、竜が少なすぎる時代だから、しょうがないことだった。


 しょうがないことでも、少しさみしい気持ちになったから。手持ちぶさたシスコン野郎の手は、ミアの頭を撫でてやる。ミアは、ぐったりとゼファーの首を両手両脚を垂らすようにして挟み込みながら、ゼファーを撫でてやっていた。


「……ないす・ふぁいとー……」


『……うん。みあも、ありがとう、よくうごいてくれてたよー……』


「うん。翼に合わせて……全身、うごきまくりー……」


『……うん。いいかんじに、れんどうしてたー……』


 微笑ましい会話に口元を緩めつつ、オレは背中にしがみついているままのカーリー・ヴァシュヌに訊いた。


「だいじょうぶか、カーリー?」


「……う、うん。大丈夫だけど……スゴく、速いし、揺れるのね……螺旋寺の修行とかしていなかったら、ぜったいに吐いていたわ……」


 螺旋寺の修行ってのは汎用性があるようだ。武術だけじゃなく、竜に乗ることに対しても価値があるのか?……オレも、習ってみたくなるな……。


「リエルは無事か?」


「うむ。大丈夫だぞ。むしろ、楽しめたかもしれん」


 森のエルフの弓姫さんは、ニコリと微笑んでくれる。オレよりも疲れていないかもしれないほどだ。竜乗りの才能を持つ娘はミアだけではない。


「た、タフなのね、リエル……」


「まあな。ゼファーの『マージェ』だからな!……ゼファー、よくやったわ。貴方はストラウスの竜騎士の伝統の重みを、見事に実践してみせたわよ」


『……えへへー……でも、いっしゅんだけだった…………るるーしろあは、はやいね』


 ゼファーは金色の瞳をルルーシロアに向けた。ルルーシロアは、瞳を閉じている。ゼファーと視線を交わしたくないのかもしれない。


 まあ、一瞬だけだったとはいえ、敗北は敗北だからな。追いついて、追い越した。スピードで勝ってみせたわけだ。


 沈黙する白竜は翼を揺らし、ゆっくりと下降していく。白波の立つ灰色の北海の待っただなかに、小さな孤島が見える。海岸しかないような島だったが……いや、かつては灯台があったのか。崩れてしまった塔の残骸が、豪快に横たわっている。


 残骸は、今では海鳥たちの住み処となっているようだ。冬場は全て凍りついてしまうのだろうが、夏も近づく今の時期ならば、海鳥たちの繁殖基地になっているようだった。


 やがては海に呑まれる定めにある、その小さな島の海岸に、ルルーシロアが着陸していく。ゼファーもそれに倣うようにして、丸い石だらけの海岸に降りていたよ。海鳥の一部が、竜の飛来に対して驚き、空へと逃げていく。


 海鳥はあの笛みたいな甲高い歌で、オレたちにきっと文句を言っているようだった。よく晴れた午後の時間を邪魔したからな。それぐらいの不満を浴びたって、オレは海鳥たちを怒鳴り散らす気にはなれなかった―――。


 ―――でも、それはオレのハナシだ。


 ルルーシロアは違っていた。


『がるるるるるううううううううううううううううッッッ!!!』


 空を揺らす怒りの歌が聞こえて、海鳥たちは白い竜の不機嫌に気がついていたようだ。歌うことを止めて、ただただ風に乗りながら、遠巻きに二匹の竜がいる島の上空を旋回し始める。


「……脅してくるなよ」


『……わたしは、きげんがわるい。そんなことも、わからないのか、りゅうきしとやら』


「いや。さすがに、オレでも分かってはいるんだがな……」


『ふん。ならば、くちだしなど、しなければいいだろうに』


 ルルーシロアはその白くて長い首を、石ころで作られた浜辺に横たえていく。疲れているのだろうし……ふてくされているのさ。勝負に敗北したことが、このプライドの高い仔竜にはこたえているのだろう……。


 だが、約束は約束だ。


 オレはゼファーの背中から飛び降りる。何年も誰も踏んだことのない土地を、久しぶりに踏みしめるような、ちょっとした冒険心に心を躍らせながら、波打ち際を歩いて行く。


 ルルーシロアの正面に立つ。


 あらためて彼女を見ると、身震いがするほどにうつくしい竜だということが分かった。雪原のように白いウロコは、陽光を浴びると真珠のように輝いている。不機嫌そうな貌だがね、そこに気高さを感じられて嬉しいのさ―――。


「―――ルルーシロア、分かっているな」


『…………わかっている。おまえたちは、あのごみどもをかたづければいい……そのあとだ。わたしと、おまえとくろいやつで、もういちど、たたかえ』


 瞳を開けてくれることはなかったが、ルルーシロアはそう答えてくれた。ルルーシロアは……竜という動物は、決して約束を違えることはない。ヒトとは違い、あまりにも高潔な魂を持っているのだ。


「ありがとう。必ず、お前と戦う。オレとゼファーでな」


『…………やくそくだ』


「ああ。約束だ。その戦いに、お前が勝ったなら、オレを好きに食らうといい」


 その言葉にルルーシロアは反応したよ。大きく眼を見開いて、その口元を意地悪そうにニヤリと歪めていく。銀色の牙の列が見えたよ。ドワーフに磨かれた戦前の矛のように、光を放つ……。


 戦いのためにある器官を見せつけながら、ルルーシロアはオレを食らう日を夢見ているのか。


「喜んで貰えるとはな」


『…………おまえは、かちがある。ごみどものなかでも、ちょっとだけちがうようだ。それは、わたしほどのりゅうになれば、わかる……』


 私ほどの竜か……?


 仔竜の語るセリフじゃないな。もしも、ここにアーレスがいたら、大爆笑しているのだろう。そして、きっと大喧嘩になった。アーレスは三世紀のあいだを生き抜いたジジイのくせに、大人げないところがあった。


 若者をからかうことも大好きな竜だったな。オレは、どれほどオモチャにされていたことか……。


『……どうか、したか?』


「いいや。何でも無い。ちょっと、他の竜のことを思い出していた」


『しつれいなやつだな』


「そうだな。お前と話しているのに、失礼だったよ」


『…………どうしてだ?』


「ん?」


「……どうして、わらっている?……あたまがおかしいのか?……おまえをくらうことをよろこんでいるのだぞ、わたしは?……それでも、どうして、わらう?』


「竜ってのは、今、この大陸には少なくてな。オレが知っている限り、ゼファーと、ルルーシロア。お前たちの二匹だけしかいない」


『…………われらがしゅぞくは、ほろびようとしているのか……?』


「滅びないさ。お前たちは強い。生態系の頂点だし―――オレが、そんなことはさせないぞ」


『おまえに、なにができる……?』


「知っているだろう?……竜を、お前たちを、より強い存在にしてやることが出来る。共に在ることでな……」


『…………いっしょにいれば、つよくなるのか……?』


「……ああ。お前よりも、速く飛ばせてみせたじゃないか。オレたち四人を背負っているゼファーのことを」


『…………たしかに。じじつだ、みとめよう……』


「なあ。ルルーシロア。この戦いが終わり、オレとゼファーと、お前が戦って……オレとゼファーが勝ったなら……お前、オレたちと一緒に生きてみないか?」



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