第四話 『パシィ・イバルの氷剣』 その3
「おーい、ソルジェ、ゼファーの治療は終わったぞ!……っと。ああ、すまない、ぶつかるところだったな」
勢いよくこの部屋に飛び込んできたリエル・ハーヴェルは、天才建築家に衝突寸前で、その身を軽やかに急停止させていたよ。いい動き。体調は万全そうだ。
「いいや、エルフのべっぴんさんにぶつかられても、ワシは平気さ。殴られなれているからな」
「う、うむ。そうか……?」
「じゃあ。ちょっと行ってくるぜ、ストラウス殿」
「おう。がんばって来い」
「……ああ。ヤツらにも、そろそろ、本当の仕事をさせてやらなくちゃあなぁ」
ホフマン・モドリーはそうつぶやきながら、応接間から出て行った。状況を察することの出来ないリエルは、ちょっとポカンとしていたな。
「どうしたのだ?」
「職人の仕事に出かけたのさ」
「……ふむ。よく分からんが、よい集中力を感じたぞ」
そうだな。まるで矢を射るときのような目をしていたよ。
「さてと、ゼファーの手当は終わったんだな」
「ああ。幸い深い傷ではななかった。鎧は台無しにされてしまって、ゼファーはショックを受けているようだが……」
「ルルーシロアとの戦いで、大きな経験値を獲得した。体がすぐに成長するから、どうせ鎧は合わなくなる」
竜は年齢というよりは、経験値に合わせて肉体を再構築する種族だ。ルルーシロアとの戦いは、間違いなくゼファーの肉体をより強靭にするだろう。音を消して横にスライドするような飛び方や……尻尾の『斬撃』。それを放てるように、肉体は変化する。
ルルーシロアの体格に合わせて、大きさも変わるさ。筋力と体重で負けていたからな。同じサイズであれば、首に噛みついたとき、勝負はついていたことを、ゼファーの本能は悟っているし、悔やんでもいるだろう。
「ルルーシロアを恨んでやるなよ?……あの仔は、いいライバルなんだ。ゼファーを、より高みに導いてくれる存在でもある」
「……ふむ。そうか、同種のライバルもいた方が、より成長できるというのは、分かるような気がするぞ」
「そうだ。竜同士の決闘は、痛ましい傷痕が残るだけではないのさ」
「……竜か。勇ましい種族であるな」
『マージェ』が口にしたその感想に、ロロカ先生もアイリス・パナージュお姉さんもうなずいていたよ。
「……戦闘経験に応じて、体を変えるってことなのよね?」
「……戦いに特化した生物ですね。竜は、無限に成長することが出来るのかもしれませんね……それゆえに、『耐久卵の仔』という……一種の『リセット』が用意されているのかもしれません。全てを滅ぼし、全ての祖になる……」
「あら。ロロカさん、面白い考え方ね。進化の袋小路に陥る前に、竜たちは自分たちの種族の若返りを実行するということ?」
「はい。仮説ですけれど……外れてはいない気がします。戦闘に特化し過ぎた種族は、むしろ生存に危うさを孕むことになるでしょうから」
「楽しい考察ね」
「竜の生息数や縄張りの範囲を、伝承などから紐解くことで、それなりの信用がおける論文を書くことも出来そうです」
「まあ、是非とも目を通したい論文よね!……個体の強さが、種族の淘汰圧として跳ね返るなんて、他の種族ではそうあることじゃないもの。なんて、興味深い種族なのかしら。進化を戦略的に管理している……彼らの『祖』は、どれほどの多様性を秘めていたのか」
……なんか、難しいコトを言っているな。
オレとかリエルのアホ級の賢さじゃ、その議論に参加することは許されないだろう。今度、ロロカ先生に膝枕してもらいながら解説してもらうとして、今は……ホフマン・モドリーの覚悟を見届けに行くとしよう。
「では、ちょっくら見学に行こうぜ。ケンカじゃなくて、殺す勢いのリンチが始まるとマズいからな」
「……ほう。職人の仕事とは、苛烈なようだな」
「ああ。ちょっと大変だろうよ。さて、ロロカ、『彼』に事情を伝えて来てくれるか?」
「わかりました。『タイミング』を、合わせます……そろそろ、『岸壁城』の方に対する計画も大まかには出来ているはず。キュレネイも、それを訊いていてくれているハズですから、あの子の目線での評価も得られる……」
キュレネイ・ザトーの知性を買っているのは、オレだけじゃなくロロカ・シャーネルも同じらしい。そう、キュレネイは頭の出来が違う。オレやリエルよりも、一つか二つほどのレベルで、ロロカ先生やガンダラなどに近い。
……いいスパイ候補だ、オレたちのキュレネイ・ザトーはね。
「……じゃあ。そっちは任せたぜ」
「はい。あ。ソルジェさん。ジャンくんとピアノさんは先行して『メーガル』への偵察に派遣しています。事後報告となってしまい、申し訳ありません」
「いい判断だ。侵入経路に対する疑問を減らすためだな」
「ええ。ホフマンさんと偵察して得た情報を照らし合わせることで、彼の考察も手に入りました。それらを洗練するためにも……やはり地上からの目線での確認も重要となりますから」
上空からの偵察では、分からないところもあるからな。作戦地域に対する偵察ってのは、敵に見つからないことに注意しなければならいことを前提にした上で、より多く多角的に行うべきだった。
それに、この集落へ解放した北天騎士たちをどういうルートで移動させるのかも、重要な任務となるからな……その下調べは日中の内にしているが、やはりこれも地上からの再確認が重要だ。
ジャン・レッドウッドの偵察能力を、十分に活かす見せ場じゃあるのさ。
「いい指示を出してくれた。さすがは、オレのロロカ・シャーネルだ」
「……お褒めにあずかり光栄ですわ、ソルジェさん」
「じゃあ、ちょっと行ってくる……アイリスはどうする?」
「お皿を洗った後で、顔を出すとしましょう」
ペスカトーレが盛られていた皿を持ち上げながら、酒場の女将モードな『狐』さんはそう語ったよ。
……四者がそれぞれすべきことを選んだ。
オレとリエルは、集落へと向かう。
ホフマン・モドリーは、ちょうどこの小さな集落の真ん中にある広場に辿り着いていた。丘の上から、我々は見守ることにした。
ドワーフの天才建築家は、その体に思いっきり空気を吸い込んでいくことが、オレには分かった。おそらく、リエルにもだろう。
夕闇に沈む、この山間の小さなドワーフ職人たちの集落。その中心で、かつて裏切り者の烙印を押された天才が、大きな声で歌うのさ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいッッッ!!!ワシのハナシを、聞け!!『ベイゼンハウド』の職人どもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
黒々として木々が立ち並ぶ、急峻な山肌にホフマン・モドリーの叫びがやまびことなって反響していく。長く響く歌だ。まるで、彼の長い苦しみと屈辱の時間を、反映しているかのようだ。
……闇と静寂と、暖炉の灯りしかなかった、このドワーフたちの集落に……人々の気配が蘇る。全ての者たちを呼べてはいなかったが……それでも、集落の一割近い連中がやって来たようには見える。
あの声は、何とも大きかったからな。
だが、友好的な態度であるとは限らない。
……むしろ、その一割の連中は、戦場で見かけるような面構えをしていたな。頼りがいがある仲間としてではなく、泥沼の殺し合いを続けた、三日目の戦場で、相対する敵軍の兵士たちが見せる貌によく似ている。
彼らは不機嫌だということが、よく分かった。
「……殺気立っているぞ。武器を持ちだしている者もいるが……?」
「構わん。ホフマン・モドリーが殴られても、手を出すな。殺されそうな時は別だが、棍棒でブン殴られるレベルなら、スルーしろ」
「……団長命令なら従うが、それで良いのだな」
「ああ。ちょっとぐらい争わないと、彼があのブチ切れしている職人どものリーダーに戻りにくいんだ」
「何か考えがあるようだな。ならば、従う。でも、判断を見誤るなよ?……あのホフマンという男は、どこか自暴自棄になっている」
「……考慮しているよ。だが、信じろ。アレでもとんでもない大天才なんだ。この『ベイゼンハウド』で一番の建築家……才能と血筋での信頼があった。だから、嫌われていても殺されなかったし、屋敷に火をつけられることもなかった」
敬意の全てが失われているわけじゃない。どうにか部下を取り戻せ、ホフマン・モドリー。取り戻せなくてもいいから、根性と覚悟を示してくれよ。
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