第四話 『パシィ・イバルの氷剣』 その2


 ホフマン・モドリーは困ったような顔をする。どうやらオレのオーダーに応える自信が無いようだな。


「……ストラウス殿は、ワシがどれほど嫌われているか……知らんから、そんなことが言えるんだ」


「まあな。痛みというのは本人の固有感覚だ。他者の痛みや苦しみなど、ヒトは理解してやれることはない」


「……そうだろうな。あの苦しみや痛みを、ワシ以外には分からん」


 食べ終えたペスカトーレの皿を見下ろしながら、天才ホフマン・モドリーは老いた野良犬のように、みじめな表情になっていた。体が小さく見える。


「いいか、ホフマン・モドリー、アンタがどれほど苦しいとかは、もう関係ないだろ?」


「なんだと?」


「どんなに苦しかろうが、痛みを伴おうが……アンタはしたいことがある。アンタが改築してしまった『メーガル第一収容所』を壊したい」


「……そうだ」


「何のためにだ?……無私の境地にさせるほどの衝動は、何から来ている?」


「……ワシの、いや、モドリー一族の名誉のためだろう。ワシらの職人としての名誉のためだ……ワシらは、『ベイゼンハウド人』のための家を作ってきたんだ。『ベイゼンハウド人』を閉じ込めるための、施設など、作りたかったわけじゃない」


「したいことは分かっているじゃないか。一族の名誉のためさ。それなら、アンタは壊すだけじゃ足りないだろ?」


「……何だと……ッ?」


「モドリーは職人の一族だ。その名誉を取り戻すためには、仕事をしなきゃダメさ」


「ワシは、ストラウス殿に、協力をしたぞ」


「分かっているよ。収容所はオレたちが襲撃する。アンタの協力でな。でも、アンタに出来る最高の仕事ってのは、まだ他にある。建築家なんだ、『ベイゼンハウド人』のための何かを作らないと、アンタはモドリーの名誉を取り戻せない」


「……今さら、ワシに何をしろというんだ……」


「北天騎士たちはこの集落に逃げ込んでくる予定だ。敵戦力の集まっている『ノブレズ』から離れなきゃならんからな。彼らは北天騎士とはいえ、弱っているし武器がない。この土地に、彼らを守るための盾があれば、彼らに戦へ備えるための時間を与えられる」


「……ここに砦を造れか」


「そうだ。ここを守ることが出来れば、戦略面で大きく有利になる。敵に突破されないための、急ごしらえの陣地でも何でもいい。それを作ってくれ。モドリーの建築の全てを記憶しているアンタになら、やれるはずだ」


「……設計図なら、もう頭のなかにある。だがよ、そいつを実行するためには……人手がいるな」


「そうだろうな。だからこそ、アンタは大工たちの頭に戻ってもらう必要がある」


「どうやれと?……ワシは信頼を失っているのだぞ?」


「行動するのみだ。何でもしろ。お前の元・部下たちのところに怒鳴り込んで、脅してもいい。『北天騎士団』のために仕事をするぞと、真実を叫んでいいぜ」


 ロロカ先生もアイリスもオレの言葉に反論しない。そうだ。この集落はドワーフ族ばかりだ。帝国人に密通する者はいないさ。


 むしろ、そのことを知っていて備えて欲しいぐらいだ。ここに雪崩込んでくる予定の疲れ切った北天騎士たちに、食事や治療を与えて欲しいからね……。


「……ワシが叫んでも、信じてもらえんよ……」


「信じてもらえなくてもいい。全力でわめき散らして、とにかく懇願しろ。どんなみじめなことをしてもいいから、訴えてみろ。元々、アンタは尊敬されている一族の男だ。名のある男……アンタの言葉を、この集落のドワーフたちは無視することは出来ん」


「裏切り者の声を聞くと言うのかよ?」


「感情的に拒絶されるかもしれないし、聞こえないフリをされるかもしれない。それでもアンタの言葉は、アンタの元・部下たちには届くさ」


「……そんなに甘いモンかね」


 ホフマン・モドリーのプライドは、ズタズタにされているようだな。この屋敷よりも荒れ果てているらしい。集落の住民たちとの軋轢は、なかなかに深刻のようだ。


 だが、それがどうしたというのか。


「たしかに、信じてもらえないかもしれない。だとしても……ムシされ、石を投げられ、唾を吐きかけられて、罵声を浴びせられるたりするだけだ。たかが、その程度で、名誉を回復できるチャンスを作れる。やってみろ」


 しかめっ面を見られるかと予想していたのだが、ホフマン・モドリーは鮭みたいに下唇を突き出したまま、何かを考えている顔になっただけだった。分かっているのさ。もはや彼には惜しむべき名誉もない。


 どん底まで堕ちている。


 だからこそ、どんな屈辱にも耐えることが出来る。何も持たない男は、どんな恥も恐れないのさ。


 思索の沈黙が生まれた。ホフマン・モドリーは覚悟を固めようとしている。ちょっとは猶予を与えてやるべきか?……そう考えて沈黙につき合おうとしていたが、アイリス・パナージュお姉さんがその沈黙を破っていた。


「ウフフ。たしかに、『その程度のこと』で、砦を作るための労働力を動員できるかもしれないなから、やるべきね」


「……そうだ。命を捨てるような覚悟があれば、それぐらいの痛みなど許容することは難しくも何ともない行為だからな。実際、今、一人も動かせなかったとしても、構わん。北天騎士たちがここに辿り着き始めれば、集落の者たちは彼の言葉を信じる」


「……そうですね。ホフマンさんには、罵声を浴びてもらいましょう。この集落の人々に対して、今夜起きることを備えてもらいたいですもの。それに……職人たちの掌握を考えると……『この順番』の方が良いですものね」


 オレと同じコトを考えているらしい。さすがは夫婦だよな。『この順番』がいい。そうだ、『この順番』でなければ……最良の力を作れない。


 ホフマン・モドリーには犠牲を支払ってもらう必要がある。より良い砦を手にするためには、仕方のない犠牲というものさ。


「ウフフ。夫婦そろって、怖いところがあるわよね」


 『狐』さんも分かっておられるようだ。驚くべきコトじゃない。スパイは賢いからな。


「でも。そうよね。この集落を砦に変えられるのは、モドリーの職人たちだけだものね?……ホフマン・モドリーにしか、その職人たちを完璧に操ることは出来ない」


 彼以外が職人たちのリーダーになる形では、間違いなく劣る。


 天才ホフマン・モドリーに勝る人材が、この世にそう何人もいてたまるか。少なくとも、この土地に砦を作ることに関しては、どう考えても一番の男だ。他の職人では、彼ほどの能力は出せない。


「いいか、ホフマン。オレたちが欲するのは、天才の仕事だけだ。それ以下の仕事では、より多くがムダに死ぬ。この職人たちの集落で、最も優れた建築家だけが、『北天騎士団』の、最も新しい砦の設計者に相応しい」


「…………たしかに。ワシのすべき仕事のようだな。この天才ホフマン・モドリーよりも上の建築家など、この『ベイゼンハウド』には存在しない」


 ククク!……ホント、スゴい自信だな。


 こういうところも嫌われる要因なんだろうが、構わないさ。嫌われようが好かれようが、いい砦が完成するなら、何の問題もないことだ。


「集落の連中が酔っ払うよりも先に、ちょっと……恥をかいて来ようじゃないか……」


 職人は何の価値も無くなったプライドを捨てることを決めたらしい。一族の名誉を回復するためには、もはや彼自身の屈辱など小さなことだからね。


 彼は立ち上がる。


 立ち上がると、首をひねって、骨を鳴らした。


「…………殺されそうなレベルのリンチが始まったら、助けてくれるかね、ストラウス殿よ」


「もちろん。死なせはしない。だが、少しぐらい殴られても、あきらめるな。助けを呼べば、オレたちはすぐに駆けつける」


「おう。それでいい。ワシ……部下どもを、取り戻してくるぜ。肋骨、何本か折られそうだが、問題はない」


「ああ。肋骨など折られても、痛いだけだ。仕事は出来るからな」


「そうだ。それに、部下を取り戻せば、そいつらをコキ使ってやるまでさ!……ワシと違って、あいつら『アルニム』に出稼ぎの漁師とか、木こりの真似事しながら、食いつないで来た。体力は、十分だ」


「……仕事を失ったのは、アンタだけじゃなかったか」


「……そうだな。ワシは、ワシの周りの者たちからまで、職人の仕事を奪った。本来の仕事をさせなかった。罰を受ける。報いも受けよう。だが……職人は、やはり、仕事をしなければ、職人じゃねえよなあ」


 天才ホフマン・モドリーは、ニヤリとその唇を歪めていたよ。泥臭い演説が見られるかもしれないぜ。好きだぜ、オレはそういうの。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る