第三話 『燃える北海』 その16
『人魚』に押されて、オレたちのボートは進む。恐ろしいまでの速さを帯びてね。あっという間に先行していたリエルのボートと合流することが出来たよ、リエルのボートはすでに陸に戻ろうとしていた。
丸い石ばかりの転がる、砂の海岸にその漁民の舟は上陸していく。オレたちも彼女にならって、海岸へと向かった。
二隻のボートが海岸に乗り上げて、そこからオレたちは上陸した。リエルは花売りの衣装を脱いで、いつもの身軽なエルフの弓姫の服に戻っていたよ。オレとジグムントも返り血に汚れた帝国兵の装備を脱いで、海に捨ててしまう。
海岸から濡れた色っぽい姿で、レイチェルが上がってくる。でも、不思議なことにしばらく歩いているあいだに服がほとんど乾いてしまう。『人魚』の特権なのかもしれない。
オレは部下のレディーたちを労うために声を使った。
「おつかれさま、いい仕事だったぜ、二人とも」
「うむ。そちらもな」
「お褒めにあずかり光栄ですわ、『リング・マスター』」
「ああ。作戦は成功だ。とにかく、今は移動しようぜ」
レイチェルのおかげで、帝国軍の包囲からは抜け出してはいるが、念には念を押しておきたいところだからな……せっかくの幸運も重なった。これを台無しにするのはマズい。
南に向かって歩きながら、オレはあの霧の中で出逢った白い竜について語り始めていた。リエルもレイチェルも、あの突然の不思議な霧には、何か異常を嗅ぎつけていただろうし、気になるだろうからね。
「……ふむ。竜がいたのか。しかも、霧を操るとはな」
「何かが海にいるような気がしてはいましたが、並みの怪物ではなかったようですわね」
「白い竜だ。おそらく、オレの中にあるアーレスや、ゼファーの痕跡を追いかけて来たのだろう」
「仲間に出来るか?……ゼファーにも同種の友がいた方が良かろう?」
「そうだな。戦って、力を証明することが出来たなら、あの仔もオレたちと共に在ることを認めてくれるような気がしている……だが、今はそっちよりも優先すべきことがある」
「……そうだったな。『ベイゼンハウド』から、帝国の影響力を削ぎ落とす」
「ハイランド王国軍のサポートも、しなければなりませんものね」
「やることは多くある。あの仔のことは、残念ながら後回しだ」
南に向かって歩いたよ。一時間ほど海岸沿いの道を歩いていると、『アルニム』が見下ろせる小高い丘に辿り着く。行商人たちが休息に使う場所なのだろう。ベンチが置かれていたな。
景色が良い。風景を楽しめるし……ここからなら3キロ先の敵の動きも気取ることが出来るというのも、コソコソしたいオレたちには好都合の条件だよ。
オレたちはその場にしゃがみ込み、アイリスが持たせてくれた昼食を食べることにしたのさ。卵とハムのサンドイッチを食べる。水筒に入ったコーヒーも味わいながらね。
……『剛の太刀』はいい技巧だが、慣れぬためだろうな。脚に負担が出ているのさ。カッコ悪いことにね。今夜の戦いに備えて、脚を休ませたいところだった。昨夜は『熊神の落胤』とも戦ったから……かなり疲れている。
そんなことを語ると、リエルが脚をマッサージしてくれると言い出した。だから、ベンチに横たわってみた。
リエルの指が、オレの疲れたふくらはぎを揉んでくれる。ちょっと痛みもあるが、癒やされる時間だったよ。10分足らずの時間だったが、かなり効果があったような気持ちになる。
細かなケアも大事だな。ということで、交替する。
「……ふえ?わ、私の脚も揉んでくれるのか?」
「ああ。リエルも疲れているだろ?」
「私は若いから平気だ」
「……あら。リエル。まるで、私が若くないみたいな言葉ですわね?」
レイチェルがニコニコしながら語った。リエルがビクリと体を揺らす。
「そ、そうじゃないぞ、レイチェル?レイチェルは若くてピチピチではないか!」
「そうですわよね?ウフフ」
……笑顔から感じる圧がスゴいな。文句を言えばブン殴られそうな気がした。
子持ちの『人魚』サンは、年齢のことを微妙に気にしているトコロがある。リエルは年上の女猟兵たちには、基本的に『姉さま』と呼ぶのだが、レイチェルは例外である。
なぜなら?
レイチェルが年上扱いされることを気にしているからだ。リエルは、あはは……と、取り繕うための弱い笑い声を使いながら、ブーツを脱いでいった。
オレのマッサージをレイチェルから逃れるためのダシに使うつもりらしいな。
「わ、私もふくらはぎが疲れておるのだ。だから、揉んでくれるか?」
「わかったよ。ベンチに横になれ」
「う、うむ」
エルフさんはその体をベンチに横たえる。オレは素手になって、彼女の細くてしなやかな脚に触る。
「ふにゃ!?」
少女が変な声を発していた。
「痛かったか?」
「い、いや。ちょっとだけ、くすぐったいのだ……っ」
「変に緊張しているからですわ」
「そ、そうなのだろーか……?」
「ええ。リラックスして、『リング・マスター』に身を委ねるのです」
……なんか、スケベなことをしている気分になるんだが?……オレの気のせいである。オレは気を取り直して、指を使ってリエルのふくらはぎを揉んでみる。
指の腹に彼女の陶器みたいなつるつるとした肌触りを得る。若さを感じる。そして、何故だか知らんが、罪悪感みたいな感情も心に発生していたよ。
触れちゃいけないほどに尊いものに触っているような感覚だった。
リエルの美肌っぷりは夫であるオレは知っていたんだがな。ふくらはぎまも、こんなにすべすべでつるつるしているとはな……あと、敏感なのか、リエルの体が揺れている。
「く、くすぐったいのだあ……っ」
「……そうか。マッサージでくすぐったいと、健康な証らしいぜ」
「む、むう。それならば、くすぐったくないソルジェの脚は、不健康なのだな……?」
「ああ。そうなのかも」
「酒を控えるべきだ」
「……以前ほどじゃない」
ヨメたちとの夜のために、飲み明かす日も減っているもんね。この陶器みたいな肌を全身で味わう幸せは、酒では生み出せないからな……。
スケベ心もわくが、まあ、戦いの日々を過ごしている。リエルの脚にもダメージは蓄積しているだろう。足先から、胴体に向かって揉めばいいんだったな?
静脈の流れを促進するのがいいらしいと、いつか小耳に挟んだことがある。くすぐったそうに小刻みに震えているリエルを目で楽しみながら、オレはしばらくその行動を続けていたよ。
10分ほどな。リエルも何だか段々と慣れて来たのか、あまり震えなくなっていた。のんびりモードになるエルフさんがそこにいたよ。ちょっとリラックスしているようだ。はふう。という心地よさそうなため息を、彼女の唇は吐いていた。
……手の指は、もっとリエルのふくらはぎを楽しんでいたいと考えていたが、10分後にはリエルは、もう十分だと言ってきた。
「……そうなのか?」
「うむ。なかなか心地よいような気もしてきたが、あまりノンビリしていると、穏やかな日差しと重なって、眠ってしまいそうだからな。それに、食休みも十分だ」
「まあな」
「そろそろ移動を開始するとしよう、休むのならば、『スタンチク』に戻り、そこで休んだ方が良いだろう?」
「……たしかにな。ベッドで休みたい。大ケガ人のジグムントもだろ?」
「……オレは大丈夫だよ……と、言いたいが……今夜に備えて、仮眠を取っておきたくもあるのは事実だなぁ」
「そうだ。休むのも仕事の内だからな、オレたち戦士は」
「では、移動を開始するのだ!」
靴下をはいて、ブーツに脚を突っ込みながら、リエルはそう宣言する。ちょっとだけ元気になっているような気もするな。やはり、ふくらはぎのマッサージは健康にいいようだぜ。
昼食も食べたし、我々に足取りは元気なものさ。
『アルニム』に辿り着く。
この町ではすっかりと有名人となっている、踊り子レイチェルと、その護衛の戦士たちはアッサリと『アルニム』の城塞を通過することが出来たよ。衛兵たちからさえも、オレたちのレイチェルは挨拶されていた。
……アーティストってのは、スゴいよな。舞いと歌声で、すっかりと『アルニム』の町の名士みたいな地位を築いているのだから……。
路地裏にいるガキでさえも、レイチェルのことを見て、わーわー言っている。とんでもない人気だぜ。
フードを被って顔を隠しているジグムントが、少し遠くに離れなければならないほどの人気だったよ。戦いだけじゃなく、歌の力で人心を動かすか。なかなか侮れない力がありそうだ。
まあ、芸術の力を思い知らされながら、オレたちは拠点である『音楽酒場スタンチク』へと無事に帰還を果たしていた。
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