第三話 『燃える北海』 その15


「白い竜だったのか、ストラウス殿?」


「ああ。美しい白い尻尾だ。見えなかったのか?」


「……美しいかは分からんが、白さは見えた。全身が白いのか?」


「そうだ。白竜はそうなっている。全身が雪のように白いのさ」


「……ニヤニヤしているなぁ。竜騎士ってのは、竜を見ると、そうなるのか……」


「当然だろ?……あの竜は、本当に美しい。何よりも……この大陸で、2匹しかいない竜の1匹だからな」


「……希少な存在なんだな。どうりで、ガルーナの竜以外を、見たことがないわけだ」


 大陸を旅して回った北天騎士のフーレン族は、腰裏の鞘に大小の剣を収めてしまっていたよ。


 戦いの可能性は消えた。帝国兵も、竜も、この場所からはいなくなってしまった。


 霧が薄らぎ始めているぜ。白い竜が飛び去ってしまったから、竜の魔術が消え去ろうとしているのだ。


 ……オレたちはこの場を去らねばならない。あの仔のおかげで、オレたちは楽に撤退が出来るからな……幸運を活かすとしよう。


 甲板を探す。体格のいい兵士がいい。説得力が増すからだ。


 一人の兵士を選んだ。大柄だな。195センチはありそうだし、120キロはある。強そうな戦士だよ。その死体の腹に対して、オレはアレンの剣を深々と突き立てた。雑嚢から豚の血とワインを混ぜたモノを取り出す。


 血のりとして使うのさ。その大きな戦死者が握るサーベルに、その血のりをかけていく。


「何をしているんだ、ストラウス殿?」


「……刺し違えたように見せている。北天騎士アレンに殺されたが、深手を負わせてもいるようにな……」


「なるほど。ダメージを受けた北天騎士アレンは……」


「海にでも落ちたかもしれない。そういうストーリーを、ここを調べる男は頭に思い描くかもしれないな」


「芸が細かいな、猟兵というのは……」


「オレの性格としては、もっと豪快に行きたいところだが、攻撃的な作戦というのは緻密な設計を積み重ねて作るもんだろ?」


「だろうなぁ。相手を揺さぶるためには、リアリティーがあった方が良さそうだ」


「アレンはここで刺し違えて死んだ。セルゲイ・バシオンからしても、部下の活躍は嬉しいもんだし……こうして、アレンの剣を現場に残すことが出来た」


「……帝国兵になった人間族の北天騎士が、裏切った『証拠』の出来上がりか」


「動かぬ証拠の一つになる。セルゲイはその目で『アレン』とアンタが一緒にいる光景を見て、大勢の部下を殺されたからな」


「……ヤツを、始末するチャンスだったが……作戦としては、正しかったんだよなぁ」


「有能な戦士のようだな」


「ああ、帝国人の中では、えらく強い。弟たちも強かったが、それよりも強い。討てる時に討っておくべきだったと、少々、後悔してもいるぐらいだ」


「欲張り過ぎるな。いい勝利だ。こちらは無傷で、敵は百人以上死んだ。敵どもを仲間割れに導く罠も仕込めたんだ」


「……満足すべき戦いだな」


「……『北天騎士団』の戦い方ではないことが、不満か?」


「…………難しいことを聞くんだな」


「まあ、聞いて欲しそうな顔に見えたからな」


 オレの言葉にジグムントは下唇を突き出した。なんだか拗ねているようだ。中年のくせによ。


「……『北天騎士団』の戦いは、相手に攻撃されることから始まる。オレたちは、防衛のための戦術ばかりを取ってきた……こういう戦いは、たしかに、オレたちの戦いではないんだよ、ストラウス殿」


「だろうな……アンタの哲学が掲げる理想に沿っているとまでは言わない」


「……ああ。でも。分かってくれ。この作戦は有効だ。そうだ。オレたちだけでは、どうにもならないから、他者の手を借りたんだ」


「現状を変えるためには、大勢の力がいる。オレたちは少数で、弱い。敵は大きい。策を使い、多くの弱者たちを束ねなければ……世界は変えられない」


「……分かっている。文句はないぞ。本当だ」


「疑っちゃいない。じゃあ、霧が消えてしまう前に、とっとと撤退するとしよう」


「手漕ぎのボートでな!」


 ジグムントがそう語り、オレたちがこの軍船に乗り込むときに使ったボートへと跳んでいた。北海には珍しく、波が穏やかだったおかげで、あのボートは遠くには流れていなかった。


 オレも、彼に続いて軍船から飛び移る。


 そのままオールを漕ぎ始めるのさ……南に向かう。南に向かえば、先にこの戦場を離脱しているリエルに合流することも出来るからな。


 海中に潜み、リエルのボートとオレたちのボートを下から見守ってくれているはずの『人魚』とも、そのうちに出会えるはずだった。


 この霧は……まやかしの力もあった。深く立ち込めていた霧が晴れていくと、『ガロアス』の街並みに帝国兵たちの姿を見つけられる……角笛が鳴らされていたな。兵士が隊列を組み、港の広場に集まろうとしているが……。


 ……予定した反応が起きていた。


「喜べ、ジグムント」


「……どうした、ストラウス殿?」


「帝国軍が仲間割れをし始めている」


「……北天騎士たちが、拘束されているのか……?」


「ああ。あの霧だったからな。オレたちを追いかけることはあきらめたらしい。それよりも、森から角笛を聞いて戻って来た、騎士の剣を持つ者たちが、拘束されている。剣を取り上げられようとして、モメてるヤツもいるぞ」


 魔眼の望遠の力だからこそ、見ることが出来る距離だ。オレたちのオール漕ぎはかなりの速さだからな。


 もうかなり南にやって来ているんだ。


 その事実を理解しているはずだが、それでもジグムントは腕力を使ってボートを走らせながらも港を見た。彼の故郷である、尖った屋根の家屋が並ぶ、『ガロアス』の街並みを……。


「クソ!……また、オレの故郷で、騎士たちが帝国人どもに屈辱を強いられているのかよッ」


「……行きたいんだろ?」


「ああ」


「でも、行くな。アンタを失えば、『ベイゼンハウド』から帝国を追い払えなくなる」


「……オレにそんな力があるのだろうか?」


「力があるかどうかは関係ない」


「なに?」


「したいことがあるのなら、全霊を尽くすしかあるまい。オレたちの誰もが、小さな力しか持っていない。だからこそ、多くの者がいる。無力に見えようが、見えまいが、誰もが小さな力は持っている。それを束ねることが出来る人物は、北天騎士の伝統を持つアンタだ」


「……大役だな」


「そうかもしれん。だが、生まれた意味を存分に噛みしめられる仕事になるだろうさ」


「……たしかにな。オレが、大陸を旅したのも……『呪法大虎』殿と知り合えたことも、ユヴァリと逢えたことも…………オレの生まれた意味だった」


「アンタの生きざまで、皆を導け。どんな手を使おうとも、アンタは『ベイゼンハウド』を真の姿に戻したいんだろ?……だからこそ、今は……耐えてくれるか」


「……ああ。姪っ子殿にも、心配をかけたくないからな……」


 ……姪っ子ね。


 まあ、構わないさ。それぐらいの距離感が丁度いいんだろうからな。


「……さてと。レイチェル」


『はい。なんでしょうか、『リング・マスター』?』


 海中から美女の上半身が姿を現す。水に濡れた銀髪が、なんともセクシーだった。踊り子の衣装が水に透けて、肌に張りついて……いい意味で、エロかった。


「……レイチェル殿。本当に、『人魚』なのですな」


『ええ。『人魚』ですわ。怖いですか?』


「いいえ。不思議な妖艶さの理由が、よく分かった気がします」


「おい、ジグムント。『人魚』だからじゃないぜ?」


「え?」


『そうですわね。私が妖艶なのは、私だから。私の歌も、私の踊りも。生まれた時から持っている力ではありません。色々な方が、教えてくれて、授けてくれた。私の人生の物語が、私を妖艶にしているのですわ』


「……なるほど。たしかに、そうなのでしょう」


『では。お二人とも、ボートを押してあげますね。オールを引っ込めておいてくださいな。それで頭を叩かれると、ボートをひっくり返してやりたくなりますものね?』


「……だそうだ。冷たい北海で泳ぐには、まだ早い。オールを海から上げておこうぜ」



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