第二話 『囚われの狐たち』 その34


 複数の建築哲学を持つ、そのごちゃ混ぜのオモチャ箱みたいな屋敷。かつては尊敬を向けられていたであろう古き大屋敷は、今では非難を浴びているらしい。


 美しい赤いレンガの壁には泥がベッタリと投げつけられていた。それに、屋敷の窓ガラスも何枚も割られている。石を投げ込まれたんだろうな……。


 裏切り者に対する所業とすれば、マシな方だな。オレたち北方野蛮人の感覚から言えば、そんなヤツは生皮を剥いで、木にでも吊してしまえという発想になったとしてもおかしくない。


 集落の者たちがそれを行わないのは、ホフマンに対してではなく、モドリーの一族に対するリスペクトなのだろう。


 彼らは尊敬を集めるべき集団であったのさ。だから、泥やら石を浴びせられるだけで済んでいるんだよ。


「……それで、ターゲットはどこにいるでありますか?」


「……そういうのは私じゃなくて、魔法の目玉を持っている竜騎士さんに訊くべきじゃないかしらね?……その瞳の力で、どうにかならない?」


「ジャンの方が得意だと思うんだがな……まあ、オレにもやれることはやれるぜ」


 眼帯をずらして、その屋敷を調べ上げていく―――魔力の動きを嗅ぎ取るのさ。分厚い建物じゃあるが、魔力の『影』ぐらいなら読み取れなくはない……。


「……この家の住人は……?」


「かつては多くの弟子たちがいた。でも、例の仕事に携わったせいで、皆がここから去って行ったみたいね」


「風当たりがキツいであります」


「同胞を閉じ込めるための監獄を作ったんでものね。それぐらいの目には遭うでしょう。『ベイゼンハウド』の古いヒトたちは、結束がとても強いのよ。とくにドワーフ族はね」


「……個人的にはかわいそうにも思うであります。団長、どうですか?」


「……いるぜ。一人だけだ。三階。右から四つ目に見える窓の奥だ。そこに眠っている人物がいる」


「……三階ね。屋敷の一階から入ると、ドワーフ式の罠が待ち構えていそう」


「ああ。あるな。ワイヤー式のトラップもある。庭には、大きな落とし穴もあるな」


 どうやら地域住民たちとのトラブルを、そういう手段で防ごうとしたらしい。ガンコな発想の持ち主かもしれない。粗暴なイメージが浮かぶ。


「そう。その分じゃ、一階からの侵入は愚の骨頂ね」


「……そもそも、侵入する必要があるのでありますか?」


「あら?彼みたいな、庭に罠を仕掛けるような職人が、見知らぬ私たちの言葉に呼び出されると思う?」


「……そう言われると、難しそうであります」


「オレも同感だ。ムダな時間を使うのは避けたい……あそこのベランダから侵入しよう。それが最短コースだ。魔眼で確認する分では、その道のりに罠はない」


 さすがに屋根から侵入してくる者がいるとまでは考えないようだな。というか、屋根にのぼって罠を仕掛け出していたら、精神的に病んでいると判断すべき行動かもしれない。


『じゃあ、やしきのうえにいくね!』


「頼む。ゆっくりな。ホフマン・モドリーを起こすと厄介だ。ドワーフの隠し通路でも使って逃げられるかもしれないからな」


『らじゃー……っ』


 ゼファーはモドリー邸の上空に、羽ばたきを使い陣取った。すっかりと慣れた動作だな。ロープをするすると降りていくと、ベランダに着地した。他の二人が来るよりも先に、オレは鎧窓の攻略にチャレンジする……。


 ナイフを鎧窓の隙間に突き刺して、かんぬきに刃を当てる。オレは泥棒じゃないんでね、細かな技巧は使わない。ナイフの刃に『シャープネス/硬度強化』をかけるのさ。そして、そのままかんぬきの鉄をナイフで斬り裂いた。


 鉄を鋼で断ち斬る感触は、なかなかに癖になる。鎧窓のかんぬきを全て斬り裂くと、鎧窓は簡単に開いた。ガラスの窓がある……窓を留めるためのかんぬきも見つけた。瞬間の早業だな。


 ナイフをザクと窓の木枠に突き刺して、木枠を貫いた刃先でかんぬきも破壊する。そうすると、窓も何らの抵抗もなく上に開いたよ。オレはその窓から、身をすべらせるようにして下半身からモドリー邸の4階部分の廊下に侵入してみせた。


 ……廊下には、ホコリが積もっていたよ。


 足跡が残るだろうが、別にいい。泥棒じゃないから、気にしない。ただの不法侵入者であり、オレたちの目的のために、彼に協力を強いるためにやって来ただけの存在。近未来において、彼とオレたちは友だちさ。


 足音を消して廊下を進む。


 キュレネイもアイリス・パナージュも、無音での侵入に成功する。三人とも、盗賊顔負けの技巧だな。


 足音を消して、ゆっくりと進む。


 しかし、荒れているな。廊下の途中で花瓶があったけど、その中には枯れた花があったよ。あと、壁を何かで殴ったのか、ところどころに穴が開いている。建築家なのだから、修理しようと思えば、出来ただろうにな……。


 廊下の先を進んだあとに、階段を見つけた。空気の流れから、おおよその場所を読んでいたのさ。竜騎士は、そういうのも得意だからね……盗人に向いているわけじゃない。たまたま、風の流れで空間の構造を把握する行為が得意なだけだ。


 ……階段を降りる。一階分だけな。小さなその階段は右に三度曲がるコンパクトな造りを目指したのか。ダンジョンにいるような気分だな。短躯なドワーフに合わせたサイズだから、ちょっと小さいんだよ。


 さてと、三階……もう少しだ。この廊下の先にホフマン・モドリーがいる……この辺りが彼の生活の大半を占めているのだろうか?……酒瓶が散乱しているな。幾つかは割れている……。


 世の中の風当たりは同情したくなるほどには辛いものだったらしい。高名な建築家の一族の当主殿も、落ちるところまで落ちているようだった。


 屋敷を罠で囲み、引きこもり、酒ばかり呑んで暮らして、掃除もしない……この狭い人間関係しか無さそうな集落において、孤立するということは一種の地獄でもあるのだろうな。


 あまりの哀れさに悲しくなってくる。彼は脱税の罪を帳消しにしてもらう代わりに、途方も無く大きな代償を支払ってしまったようだな……。


「……これだけ落ちぶれているのなら、食い付くわよ。何なら、亡命をちらつかせてもいい」


「……新天地で、再スタートするチャンスでありますか。実力のある建築家ならば、汚名がつきまとわない土地ならば、どうとでもなりそうであります」


「……たしかにな」


 これだけ建築に世代を捧げて来た、ドワーフの技巧と知識。大喜びして受け入れる者は多くいるだろうよ……。


 でも。この酒瓶の量を見ると、酒代渡すだけでも協力してくれるかもしれないな……安酒が入っていそうな貧相な古ガラスの瓶も転がっている。生活に困窮している可能性はあるな。


 ……名誉の回復、金銭、新天地の提供。


 どれでも彼は飛びついて来そうな気がする。超一流の職人でも、選択を誤ればこんな目に遭うということか。脱税の経緯はどういったものか分からないが……そんなことぐらいでは、この一族が崩壊することはなかっただろう。


 問題は……『メーガル第一収容所』の改築を手伝ってしまったことさ。


 廊下を歩く。散らばる酒瓶を踏んづけてしまわないように、慎重にな。その廊下は長く、壁に掛けられている彼らの華々しい肖像画を見ていると、心に重たげな悲しみがあふれたが―――すぐに、ホフマン・モドリーと思われる魔力が寝転ぶ部屋に到達する。


 ドアノブを回す。


 鍵は、かかっていなかった。


 ゆっくりとドアを押し込むと、酒の臭いが漂って来た。寝息が聞こえた。いいや、いびきだな、ごごごごご、と地の底から響くような低いいびきだ。


 ベッドがある。


 ベッドの周りには酒瓶の山だった。酒しか呑まずに暮らしているのかもしれない。堕落しきったかつての名建築家は、毛布を腕に絡めたまま、何本か抜けてしまった歯を揺らしながら、寝入っていたよ。


 老化で抜けた歯じゃないな。ブン殴られて折られてしまった。ドワーフの強い歯を折るのは難しい。棍棒なんかで、ブン殴る必要がある。


 誰にやられたのか?……逮捕された時に帝国人がブン殴って拷問したのかもしれないし、裏切り者になってから路地裏で殴られたのかもしれない。


 何であれ。


 彼のここ数年は悲惨極まりないことが、たった数分間の侵入コースを歩いただけで十分に把握することは出来た。


 オレがホフマン・モドリーの先祖だったら、悲しくて泣いちまっているところだろう。でも、オレは猟兵だし、彼とは赤の他人だから、泣くまでのことはない。


 悲しくてみじめな気持ちにはなるけどな。


 すぐ近くにテーブルがあった。建築の図面があり、難しそうな工学の書籍が積み重なっているその本……そこには、かじりかけのハムと、中身が半分ほどになったワインの瓶も置かれている。図面は、よく見ると酒を何度かかぶったのか、図面の線が融けていた……。


 ため息が出たよ。


 残念だな。


 ここまで荒れ果てるまでに、オレやルード・スパイは彼の元を訪ねてやるべきだったのかもしれない。


 でも。悔やんでも仕方がない。


 テーブルにある燭台のロウソクに、指先に読んだ『炎』で火をつける。


 そして。毛布と酒瓶を愛する女のように抱きしめたまま、眠っているドワーフの建築家に近寄る。そして、夢のなかで笑っている彼のほほを、パシパシと叩いていたよ。


「ぐん……む?……なんじゃ?……誰か、いるのか……?」


「いるぜ。アンタの名誉を回復するためのチャンスを持って来てやった、海神さまの使徒がな」



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