第二話 『囚われの狐たち』 その35
酔っ払った息を吐きながら、ホフマン・モドリーはベッドから身を起こす。ぼんやりとした表情ではあるが……彼は、オレの嘘を見破るのさ。
「……海神ザンテリオンの使徒が、ワシのところに来るわけなかろうよ?……借金取りかい?……先祖伝来の本でも何でも、好きなモンを持っていけばいい。ワシには、何もかもが、もういらないものじゃしなあ……あーあ。寝ていいか?」
「ダメよ。ホフマン・モドリー、貴方には用があるの」
「……エルフの女……?」
「灰色の血の美少女もいるであります」
「ほう。たしかにべっぴんさんじゃなあ……」
「……どうして、私はエルフの女でしかなかったのかしらね?」
どうして、そんな答えにくい言葉を彼自身じゃなくて、オレに語りかけてくるのかね?アイリスの疑問に対しては、無言を貫きながら、ただ両肩をすくめてみせたよ。深入りしたい話題でもない。真顔で見ないで欲しいぜ、アイリスお姉さんよ。
「……お前ら、何じゃ?……三人も盗人か?……ワシは落ちぶれちまったし、弟子やらヨメやら子供たちに慰謝料を支払ったら、なーんにも残らなかった、すっからかんのオッサンじゃぞ?……それからも盗むのか?」
「盗賊じゃない」
「じゃあ、なんじゃ、赤毛の人間族。しかも眼帯までしているんだ。山賊か、そうでなければ海賊の類いじゃろう。ならず者の典型みたいなファッションしやがって」
「どれでもないさ。オレはアンタを仕事に誘いに来たんだよ」
「……仕事じゃと?このワシにか?……ああ、ムリだ。ムリ。ワシに家を作れと頼んだところで、職人どもは一人も集まりゃせんぞー」
不機嫌そうな顔をしたよ。分かっていることを訊くな、そう主張したいのだろうな。
……どうやら。ホフマン・モドリーは仕事が出来なくなっているようだ。どんなに素敵な屋敷の設計図を書いたところで、それを実現するには大勢の職人たちの手がいるんだよ。
ところが、この裏切り者には職人たちが集まって来ることが無いというわけさ。設計図があっても家を建てることは出来ないからな。
ホフマン・モドリーは仕事をすることが出来なくなって、酒に溺れてしまっているようだ。
「……このまま、死ぬまで、安酒を呑んでやる。この代々の屋敷が、ワシの墓じゃ!とても素敵な墓じゃな!この、天才ホフマン・モドリーの墓には、相応しい!!」
ベッドに転がり、毛布を頭からかぶるドワーフがいた。彼は、すっかりと自暴自棄になっているようだな。
「……アンタ、どうしてこんな道を選んだ?」
「……好きで選んだわけじゃねえよ。亜人税なんて、ワケの分からんモンを拒んだら監獄に連れて行かれた。そこで、毎日拷問されながら、あの仕事を持ちかけられた……」
「『メーガル第一収容所』の仕事か」
「……違う」
「違う?」
「収容所なんて、知らなかった。ただの監獄ってハナシだった……ワシは騙されたんだ。悪人を捕まえる、デカい監獄なら……別に問題はないと思った……じゃが、出来たあれは罪人じゃなく、帝国人の都合の悪い主張をするヤツらの収容所だった」
「……帝国人に騙されたのね」
「……そうだ。ワシは、悪くない」
ホフマン・モドリーは鮭みたいにアゴをしゃくれさせながら、天井を睨みつけていた。
「オッサンは、そこそこ被害者であるようですな」
「……そこそこどころか、100%被害者じゃ。ワシに落ち度なんてあるか?……クソ。ホント、ああ……受けなきゃ良かったぜ、あんな仕事をよう……っ。おかげで、仕事も信頼も家族も、ぜーんぶ、無くなっちまったぁ……っ」
ドワーフの酔っ払った瞳から悲しみがあふれていた。どうにも、この人物は建築家の仕事が懐かしくて仕方がないようだな。
傷だらけで節くれ立った職人の指は、今はアルコールに震えてしまっているが……本来は、仕事の疲れに震えるべき指だった。
「……だがよ、オッサン」
「……何じゃ、赤毛」
「……アンタは作っちまったんだ、『メーガル第一収容所』。そこを、より多くが収容出来るように改築しちまったんだな……?」
「……結果的にな。それを……責めるのか?」
「責めるわけじゃない。帝国人にハメられただけってことは分かったしな」
「そうじゃ……ワシは…………」
「でも。アンタは職人だからよ?……自分の作っちまったモノの結果を、ムシすることなんて出来るのかね……?」
酷な言葉を使うがね。真の職人のプライドが残っているのなら、この言葉はオッサンの心に深々と突き刺さり、新鮮な苦しみを生むんじゃないだろうか。
予想は当たった。
ドワーフの建築家は、抱きしめていた空の酒瓶を、壁に向かって投げつけた。石壁にぶつかり、酒瓶が粉々になって割れていた。大きな音が立っていたよ。
……酒臭い大きな息を、何度も、ドワーフの口は吐き出していた。怒りと、屈辱と、悲しみと……色々な苦しみがごちゃ混ぜになった、苦しみの感情が彼からはあふれて来ている。
「アンタの苦しみの正体を、オレは知っているよ」
「……何だと言うんだ、赤毛。初対面の盗人風情が、何を、この天才ホフマン・モドリーに語るというのだ!?」
ガギギギギ!強い奥歯が音を立てる。噛みしめているのさ、その苦しみを。知っているとも。そいつはどうにもこうにも重たくて、寝ても覚めても追いかけて来るイヤな苦痛だ。
「教えてやるよ。アンタのそれは、罪悪感だ」
「……っ!!」
「理解している。自分の仕事を否定出来ない、本物の職人だからこそ、アンタはそれほどまでに苦しんでいる。仕事が無いことも、貧しいことも、名誉を失ったことも……全てが苦しみにつながる。だが、アンタの本当の後悔は、一つだけだろ」
「…………知った風な口を聞きやがって。ワシより20は下の若造ごときがッ」
睨みつけてくる。
睨みつけて来ても、ムダなんだよ。
脅しは猟兵には効かないし、オレは自分の人生で学んでいる。思い知らされている。男が泣きながら体を震えさせる、その死ぬほどの屈辱は……貧しさでも、みすぼらしさでも、孤独でも生まれることはない。
「アンタは、他のどの建築物に対しても誇りを抱いて作れたのかもしれない。だが、アレだけは違うんだろう?……凄まじい後悔だ。他の連中の評価なんて、どうでもいいんだ。アンタの背負ったあの業みたいな作品だけが、イヤでイヤでしょうがない」
無言が待っていた。
否定の言葉はない。
ただし、怒りに燃える深い双眸に睨まれるけどな。ドワーフの唇が引きつるように上がり、あの獣みたいに太い犬歯が現れる。
「……そうだ」
肯定の言葉を男は流し、その瞳から涙を流す。
「……他の、全ての家は、ワシの誇りだ……三百年は立ち続けているようにと祈りを込めて、作ったんだ。今も、祈っている。祈っているが……アレだけは、違う。アレは……ワシの作りたかったものじゃない。アレは……罪無き同胞を捕らえるための、悪しきモノに過ぎん」
「……オレは海神ザンテリオンの使徒だと言ったな?」
「……ああ」
「……アレは嘘なんだが、それでもアンタに力を貸すことが出来る。対価を必要とするが……アンタに道を作ってやれるぞ。このまま、ここで安酒と共に死ぬよりは、ずっといい道を歩む気はないか」
「……どんな道だ。海神の使徒じゃないなら、悪魔かな?……人間族は信じたくないが、人間族の悪魔が……亜人種のべっぴんさんどもを連れているのなら、ハナシは違う」
「ククク!オレは悪魔じゃない。ガルーナの魔王だ」
「……ガルーナの魔王?……ベリウス王は、亡くなったのだろう?」
「ああ。だが、竜騎士姫の血は生きている。オレが継ぐのさ、ガルーナの魔王を。ベリウス陛下の『正義』をな」
「……お前、誰だ?」
「我が名は、ソルジェ・ストラウス。ガルーナ最後の竜騎士、『パンジャール猟兵団』の長。次の魔王だよ」
「…………海神に顔向けも出来んような裏切り者のワシには、いいクライアントかもしれないな。で。どうすればいいってんじゃ?何を求めている、何をワシにくれる?」
「贖罪の機会だ。『メーガル』の収容所を破る。あそこの囚われになっている者たちを解放するのさ。アンタ、あそこに詳しいだろ?」
「……もちろん。ワシより詳しい者はおらん。夜ごとに夢を見るからな。構造の一つ一つまで、覚えているよ」
「……手を組まないか。アンタが情報を提供してくれたら、オレたちがアンタの作った収容所から、アンタの同胞たちを救い出す。夜ごとの悪夢を終わらすには、それが一番、手っ取り早いものじゃないか?」
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