第二話 『囚われの狐たち』 その20


「いいかしら、作戦を説明するわね?」


「頼む」


「頼むであります」


「……アイリス、一体、何を……?」


「ルーベット、私があなたに『なりすます』わ」


 そう言いながら、アイリスは上着を脱ぎ捨て、ルーベット・コランの血まみれの上着を身につける。


 ルーベットは不安げな表情をしていた。血の気が足りずに、頭の回転が少しは遅くなっているのかもしれないが、彼女は理解したのさ。アイリス・パナージュが一体、何を始めようとしているのかを。


「……危険だわ。私を、使って欲しい……」


「ダメね。あなたは死にかけている。ムダに動けば、傷口が開いてしまう。あいつらは北天騎士だった連中よ。重傷過ぎるあなたを見れば、助からないと判断して殺すかもしれないわ。命に対して、無頓着なところがあるからね、彼らは」


「……でも……」


「途中で死ねば、あんたの死体は捨て置かれるかもしれない。森に死体を遺棄することを北天騎士たちは名誉だと考えている。味方だけでなく、敵の死体も放置する。死ねば回収されることもない……『交渉現場』に近づけなくなる」


「イエス。アイリスの作戦は、生きているルード・スパイでなければ、成立しません」


 戦術理解力の高いキュレネイ・ザトーも悟ったようだ。アイリスの作戦がどんなものなのかをな……。


「いいわね、『パンジャール猟兵団』の皆さん。今から私は『ルーベット・コラン』に化けます。この上着を着て……黒髪の奥に、こうしてエルフの耳を隠します!はい、黒髪の人間族に見える女の完成!」


 そうだ。彼女は……いや、彼女たちは、こういうときのために同じ黒髪にしていたわけだな。種族を偽ることは、容易い。とくにエルフと人間族の差なんて、耳が長いかどうかだけだ。


 状況次第では、アイリスとルーベットは入れ替わることもあった。戦場やら、こういう急場においては髪の色が同じ女ってことと、状況証拠がそらえば『本人』だと認定されるさ。


 ……ルーベット・コランを観察し続けている人物がいるとすれば別だが、この敵の中には、そういう人物はいないだろう。それに、今は夜。さらに言えば、アイリスはルーベットの血を顔に塗っているな……。


「はい!どこからどう見ても、ルーベットね」


「……ああ、それだけ顔が隠れたら……女であること、黒髪であることぐらいしか分からん。それと―――」


 十才ぐらい『若くない』ことも、バレたりはしないだろうさ。うむ……この言葉は口に出さないほうがいいだろう。


「―――それと?何か、問題がありそう?」


「いや。たとえエルフ族だとバレたとしても、人間族に化けていたエルフ族だったと言えば通るわけだ」


「そうね」


「……ですが、傷はどうするでありますか?……ヤツらはここに集まって来ている。犬に血のにおいを追跡させているからであります」


「このルーベットの血が染み込んだ上着があれば、猟犬を誘導することは出来る……敵に捕らえられた後は、豚の血でも使って誘ったことにするわよ」


 ……アイリス・パナージュお姉さんの作戦は、つまりはこういうことだ。敵が追跡している『ルーベット・コラン』に化けて、あえて『敵に捕まる』。


 ジークハルト・ギーオルガの部下たちは、彼女が降伏すれば、彼女を殺さないだろう。帝国のスパイとの『交渉材料』に使おうと考えているはずだからな……。


 まあ。状況証拠頼みの『推理』だ。確実にそうなるとは言えない。問答無用で彼女のことを殺す可能性もあるが―――試してみればいいことだ。


「……とにかく、猟犬どもの追跡を、ここから遠ざけてやることにするわ。このまま、この砦から離れて、猟犬どもを私に引き寄せる。そうすれば、この砦に敵は来ないでしょうからね」


「……アイリス、すみません」


「気にすることはないわ。これも仕事の内なんだから。ルーベットが斬られてまで得た情報を分析した結果。斬られたことにも、敵に囲まれたことも……いろいろ込みで、好都合にもなった」


「……はい。だから、お願いします」


「ええ。任されたわ。サー・ストラウス」


「オレはどんな持ち場だ?」


「……竜の背から監視してくれるかしらね?……敵に接触する。彼らは二人ずつで行動をしているみたいだから……私は二対一を演じるわ。そこで追い詰められたフリをするの」


「……敵に君を捕獲する意思があるのかを、確認するわけだな?」


「そうよ。もし、『スパイ』を殺すつもりだけなら、私も連中に捕まったりはしない。合図をするから、敵を殺してくれる?……その後は、犬と敵兵を誘導して、移動する」


「分かった。空から監視している。敵が君に殺意を向けたら、殺す。いいか?……君の価値を忘れるな。オレからすれば、帝国のスパイどもを狩ることよりも、君の命の方を優先したい」


「あら、うれしいわね」


「君には友情を持っている。それに、君がいれば、何度でも帝国のスパイとやらを捕捉する機会に恵まれるからだ」


「……スパイとしては最高の評価ね。期待に応えるわ。ムチャしないし、可能なら仕事もこなす。旦那を残して死ぬ気も、まだないから、危ない時は貴方に頼る」


「分かった。そうしてくれ。上空から君を監視して、つけていく……」


「そうして。じゃあ……私は先行するわ。森を駆けて、西へと敵を誘導する……スケルトンと戦っているフリでもするか、実際に戦って騒ぎを起こす。サー・ストラウスたちは上から見守って」


「了解した」


「それで、この場はどうするでありますか?」


 キュレネイがアイリスに質問する。ルーベット・コランは申し訳なさそうな顔をしていたよ。


「……私、自力でサバイバルしていますから、どうか放置して下さい」


「そういうわけにはいかない。ジャン!」


『は、はい!』


「この場を任せるぞ。スケルトンは潰せ。だが、北天騎士団が近づいて来て、この場所を囲むようなら……ルーベットを連れて移動しろ。例の剣塚に向かえ」


『りょ、了解です!』


 ジャンなら彼女をお姫さま抱っこにした状態でも、森のなかを走れるだろうからな。それにゼファーのサポートが無くても、敵兵の接近と数に気づけるさ。


「可能な限りは、ここで待機しておくんだ。彼女の傷に、エルフの秘薬が効果を発揮し始めるまでは動かしたくない」


「……すみません、頼みます」


「容態は安定はしている。大丈夫だと思うが、もしもの時は、秘薬を使え。ガルフから習った通りに動けば、大丈夫だ」


『りょ、了解です!』


「じゃあ、私は先に行っているわね」


「イエス。私と団長も、ゼファーと一緒に追いかけるであります。なぜならば、アイリスだけでなく、エド・クレイトンを回収する可能性もあるであります。両者が行動不能となっている場合は、団長だけでは二人同時に素早く運べないでありますからな」


「そうして!じゃあね!」


 勇敢なアイリス・パナージュお姉さんは、夜の闇に沈む、黒い森へと向かって鼻歌まじりに走っていったよ。


 その上司の姿を見ながら、ルーベット・コランはため息を吐いていた。


「……ああ、エド。彼も、生きていてくれたらいいのだけど……」


「……彼も捕まるつもりだった。偽情報を流して、敵を混乱するために」


「イエス。死ぬつもりはなかったはずであります。おそらく、敵に捕らえられているであります」


「……そうね。期待したい。彼にも、生き残って欲しい」


「希望を捨てるな。オレとキュレネイ、そしてゼファーがいれば、君のパートナーもアイリスも、無事に連れ戻すことが可能なはずだ」


「……はい。そうしておきます。私も、彼に返さなければならない借りがある……それと、サー・ストラウス」


「どうした?」


「……帝国のスパイに引き渡す……その場所には、帝国スパイがいますよね?」


「当然、そうだな」


「……高度な戦闘能力を保持しているかもしれません。もしも、戦闘が起きて、アイリスや、エドの生命を守ることが難しい場合は……そのスパイの排除にだけ、徹して下さい」


「安心しろ。猟兵は強い」


「イエス。帝国のスパイどもを、八つ裂きにしてやるであります」


「……分かりました。どうか、ご武運を」



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