第二話 『囚われの狐たち』 その19


「……『狼男』、スゴい力ね。桁違いというか……」


「イエス。身体能力だけなら。それだけなら、ジャンは桁違いの強さでありますな」


 身体能力だけ、その言葉をキュレネイは強調しているようだったな。女子のシャツを嗅いでしまうことは、何と罪深く許されないことなのか。


 それはともかく、彼女の容態だ。


 ルーベット・コランの表情を見る。顔色は……さっきよりはマシだ。エルフの秘薬が効いてきているな……出血も収まりつつある。


「……問題は、どうやって搬送するかだな。荷車あたりで、ゆっくりと運ぶのが最適ではあるのだが……」


「……難しいでしょうね」


「イエス。ゼファーで無理やり運ぶと、容態が急変するかもしれないであります」


 そうだ。衝撃を加えることは、良くない。


 魔眼をまぶた越しに押して、上空のゼファーと心をつないだ。敵の数を訊くのさ。


 ―――さんじゅうに、それだけ。やれないことはないよ!


「……32人の、元・北天騎士か。厄介な相手ではあるが、各個撃破すれば問題はない」


「イエス。この砦は、小高く、防衛戦闘には向くでありますからな……」


 32人の使い手たちか。まあ、この砦を利用すれば楽に戦える―――。


「―――反対ね」


 戦う気になっていたところに、水を差された気持ちになるな。オレとキュレネイはアイリスを見た。


「戦闘に反対するのか?……勝てる戦だぜ」


「そうね。そして、得られることが少ない戦でもある」


「彼女の命が助かり、敵が32人減るであります」


「そして、敵を警戒させてしまうでしょうね……敵は、この場所を囲むように近づいて来ているのよね?……その意味を考えたのよ」


「……連携しているな。彼らの個々の強さと傾向を読めば……少人数のチームを、各所に配置して待ち伏せしていた……」


「あなたたちは捕まる気だったのね?」


「……ええ、あえて……敵の待ち伏せに捕まる気ではいました……でも、想定よりも早く見つかった……」


「つまり、エドとルーベットの想定よりも早い段階で、敵は協力者を自白させていて、作戦をデザインしていていのね……」


「……私たちは、罠に追い込まれていた……誘ったつもりが、また、失点が見つかってしまったわ……なんて、マヌケなのかしら……私たち……っ」


 口惜しそうに顔を歪めるルーベット・コランがいた。だが、彼女の上司であるアイリスの言葉は止まらない。


「……敵は、この周囲にあなたたちが逃げてくる可能性を把握していた。南に逃げるのは当然ね。港は守りが強いわ。海上に逃げる可能性はない。あとは……南に向かって陸路で逃げるしかないから」


「……ということは、泳がすつもりは無かったわけか」


「ええ。彼らは、シロウトね。ただの兵士だわ……エドとルーベットの予想の通り、帝国軍のスパイは存在しているかもしれないし、そういった存在こそが敵の情報源なんだろうけれど……この作戦そのものを指揮しているのは、そのスパイたちじゃない」


「……スパイと元・北天騎士たちは、完全な協力関係ではない?」


「スパイなら……もっと情報を掴みたがるはずね。具体的にどの町に、どうやって逃げ込んで誰と接触するのか……それぐらいの情報は手に入れておきたいはずよ」


「だが、それをしない……?」


「実行部隊が足りないのかもしれない。『ゴルゴホ』は医療部隊らしいからね……ルーベット、敵の……帝国情報機関と思しき連中の戦力は……?」


「…………『ゴルゴホ』は、錬金術師や薬草医たちの集まり……呪術医もいるのかもしれません……総数は、50から60ほどだと、考えています…………」


「実行部隊は?」


「……戦闘能力の高い、エージェントが、おそらく数名……十名以下だと思っていました……」


「人手不足でありますな。それゆえに、敵スパイは帝国兵を頼ったのであります」


「そうね。そして……この連中が、元・北天騎士だというのならば……」


「ジークハルト・ギーオルガ。ヤツの直属の部下だな。帝国スパイと『ゴルゴホ』どもが陣取っているらしい『メーガル』の『分離派収容所』、そこを仕切っているのもギーオルガだ」


 少なくとも、ジグムント・ラーズウェルの認識の中では、そうなっている。そして、この現状を鑑みると、それは正しい認識であったようだ。さらに言えば―――。


「―――帝国のスパイあるいは『ゴルゴホ』は、ギーオルガとその配下の元・北天騎士たちの実力を高く評価している。セルゲイ・バシオンの海兵隊どもより、戦力としては使えるとな」


「ええ、だからこそ、重要なスパイ狩りに、雑魚ではなく元・北天騎士たちを使おうとしたのね」


「しかし、ギーオルガは利用されるだけのつもりではないようだな」


「そうね……スパイが欲しがる情報を、壊している。ここまで準備するだけの期間があった……つまり、二人を泳がすことも出来たはずなのに、それをしなかったもの」


「二人を捕らえて、『取引材料』として使いたいのかもしれない……」


「『取引材料』でありますか?」


「そうだ。『ゴルゴホ』は、帝国軍兵士の不評を買うような実験もしていた……ギーオルガは、帝国スパイと『ゴルゴホ』を脅すに足る情報を持っているかもしれない」


「……なるほど。ギーオルガの『交渉相手』は……帝国スパイ」


「そうだと思うわ。交渉のカードが複数あれば、あちらさんのスパイどもに、ギーオルガにとって都合の良い仕事をさせることも出来そうよね」


「彼は出世したいらしいからな。戦に出たがっている……可能であれば、数日以内には必ず起きるであろう、ハイランド王国軍と帝国軍との戦にも、強い仲間たちと共に出陣したいと願っているさ。戦功を上げなければ、名誉を得られぬことを理解している」


 『剣塚』があり、それを羨むあまりに死霊となって黒い森を這いずり回る『悔恨の鬼火騎士/ソード・ゴースト』。そんなものがいる土地だからな……。


 このまま戦から切り離されていては、出世は出来ない。それどころか、落ちぶれてしまうと焦っているのさ―――だから、利用出来そうなものは何でも利用しようと必死になっている。


「帝国のスパイと交渉したがっているんだろう。帝国スパイの口添えがあれば、彼らもハイランド王国軍との戦場に行けるかもしれない。能力はあるが、セルゲイ・バシオンの抱く復讐心のせいで、この国から出られずにいるだけだからな」


 帝国スパイの言葉が、どれだけの政治力を持っているのかは分からないが、無力ではないだろう。少なくとも、若く、帝国とのあいだに有力なパイプを持たないギーオルガにとって、他に利用するための力はない。


「……チャンスではあるわよね。ヤツら、身内同士で敵対しまくっている。まあ、元々からして敵同士だけどね……接触することが出来そうね、帝国のスパイどもに……」


 『ルードの狐』が本領を発揮しようとしているな。止めるべきだろうか?……いいや、蛇の道は蛇だ。帝国スパイの情報を得るには……これは絶好の機会でもある。


 ……ハイランドでは、帝国スパイも大いに暗躍していた。『白虎』と協力して、囚われの身であったハント大佐を国外に連れ去ろうとまでしていたな。


 かなり大きく強い力を有している組織だということさ……打撃しておかなければ、今後の大きな災いにつながるだろう。


「……釣れそうだな。ギーオルガの部下たちは……ルード・スパイのどちらか一人、あるいは二人を『交渉材料』として、帝国のスパイに渡すさ……ルーベットの腹の傷が、浅かったのは彼女の技巧のおかげだけじゃないな」


「……手加減、されていた……?」


「君が斬られて、数時間経っている。移動距離も大きかった……動かなければ、即死しない傷……それを与えようとしていたのかもしれない」


「深手で致命傷ではありましたが、わずかに浅い。連中は命がけで、死なない程度の傷を負わせようとしていたと考える方が、納得することが出来るであります」


「……なんとも、情けないハナシだわ……ッ」


「いいや。使える情報だぞ。ルーベット、君はいい情報を手に入れている。君の傷からオレたちは納得することが出来た。よく情報を持って、生き延びてくれたな」


「……サー・ストラウス……」


「笑え。いい仕事をしたときのオトナは、笑うもんだぜ」


「……はい。エドと一緒に、作った功績ですから」


「そうだ。それでいいんだよ……さてと。アイリス。どうする?……オレは、君が黒髪にしていた理由に対して、見当がついているんだが……?」


「……フフフ。バレていた?……いい策があるわ。リスクはあるけど。ルーベットも死なないし……帝国のスパイと接触する方法があるの……」


 『ルードの狐』は笑っている。スパイの矜持を見せつける、獣みたいな貌だったよ。



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