第二話 『囚われの狐たち』 その16


 『剣塚』の崖からゼファーは夜へと踊る。北海の黒い波は岩壁に衝突しては飛び散り、潮風に化けていた……。


 ゼファーは潮風を嗅ぎながら、落下で得たスピードを翼に乗せて飛翔の力に変えた。


「あ、相変わらず、スゴいわね……ッ。崖から飛んだのは、初めてよ?」


「色々とベテランなアイリス・パナージュにも、したことが無いことがあったか」


「そりゃそうよ?……竜に乗って空を飛ぶ体験なんて、そう出来ることじゃないんだからね?」


「世界には竜が足りなすぎるな。もっと、よく晴れた空には、空を埋め尽くすほどの竜が空を飛んでいるべきなんだよ」


「世界の終わりよ、そんな光景……キュレネイちゃん、あなたのご主人さま、ちょっとおかしいわよ?」


「イエス。団長は、クレイジー。でも、それでいいのであります」


「……ラブラブね?」


「特別な犬なだけであります」


「……誤解を招くだけの言葉だぜ」


「さて、団長。そんなことよりも」


「ああ、分かっているよ。赤い『糸』は追いかけられている……」


 ゼファーはオレの視界を自分の心に映しているからな。その心のなかに浮かぶ、呪いの赤い『糸』を、ゼファーは追いかけて飛んでいる。


 海岸線を沿うように走る険しい崖の下で暴れる風に乗り、十分に加速したゼファーは羽ばたいた。崖に当たる海水に混じり、ゼファーは高く空を昇る……。


 高い空のなかにいると、体と魂が解放感に包まれる。暴れる潮の音を聞きながら、踊り狂う風の渦に包まれる。


 ストラウス家の赤い髪が揺れるのさ、ああ、楽しい。空を飛ぶということは、ヒトにとって特別な出来事であるな―――だが、仕事を忘れちゃいない。


 赤い『糸』を追いかけている。


「……エド・クレイトンとルーベット・コラン、二人はどんな人物だ?」


「人間族よ。エドは30才の茶色い髪の中肉中背の男で、ルーベット・コランは黒髪の黒い瞳の細身の女、27才よ」


「……そうか。二人は、同じ場所にいると思うか?……オレは、あの手紙に呪いをかけた者しか追えていない」


「……分からないわ。二人とも死ぬ気で動いていると思う。エドは紳士だから、ルーベットを逃そうとするかもしれない。あるいは……拷問されることを考えて、ルーベットのことを楽に殺しているかもしれないわ」


「そ、そんな……」


「女の尊厳を完全否定されるほどに嬲られて、拷問されるぐらいなら?……私はそれでも生きていようと考えるけれど、その判定はヒトによるわ」


「……で、でも。そんなの…………なんか、ダメです……」


「いい子ね。ジャン・レッドウッドくん」


「……ひ、ヒトは……どんな目に遭っても生きて行かなきゃダメですよ。生きたくても生きることが出来なかった、悲しい魂たちは、いっぱいあるんです……」


 多くの子供たちを殺めてしまった男の言葉は、オレの耳には重たく響いたよ。命の重さ、それをジャンもまたよく知っている。知ってしまっているのさ。悲しいことにな。


「そうね。私は敵に捕まって、どんな辱めを受けようとも、生きていたいと考えるタイプの女なので、そういう時はすぐに助けに来るように」


「ああ。了解だ。エドとルーベットも、そういう判断をしていて欲しいものだ」


「……敵地で孤立した任務。彼らは、貴方たちの能力を知らなかった。絶望して当然よ」


「……そうだな」


「でも。貴方たちの能力を秘密にすることも、私たちルード・スパイの任務でもある。恐怖を煽る伝説は流すべきだけど……真実の能力を、より多くの人々に共有することなんてリスクにしかならないわよ……」


「クールな考え方だ」


「でも。この共有出来なかった事実こそが、私たちルード・スパイの矜持にもなる。私たちは仲間の秘密を守る。そのために命を張っているのよ。同情はしないでね?」


「ああ、それはおそらく君らのプライドを穢すことになるだろうからな」


「……ええ。それでいい。そういうところ、好ましいと思うわよ、サー・ストラウス。貴方は命よりも大切なものがあるってことを、ちゃんと知っているものね」


「知っているよ。命よりも大切なモノは、多くはないが、色々とあるってことをな……さてと……見えて来たぜ。ジャン!」


「は、はい!!……いますね!!……あそこの砦。あそこの砦に、負傷者がいます。おそらく、大きなケガをしています……っ。放っておけば、おそらく……長くは保ちません」


 深刻な言葉を聞く。スパイの一人は死にそうだ。


 さて。砦に逃げ込む。追跡する者の行動ではないのは確かだ。黒い森のあちこちに生えている、小さな灰色の砦たち。それの一つに赤い『糸』は続いている……あそこにいる。


 そいつは呪いをかけた人物。もう一人は、今のところ行方不明のままだ。


「ジャン、敵の気配はどうでありますか?」


「……た、たくさんいる。猟犬もいるし……それに、鋼の臭いが強い。帝国の重武装した歩兵たちだ……」


「軽装ではないのか?」


 あの森を進むのは、鎧はむしろ邪魔になるはずだが―――重武装を選んだ?……そうか。つまり、彼らは……。


「……元・北天騎士たちのようだな。スパイ狩りに、動員されたようだ」


「……さ、三十人近く、いますよ……」


「ムリに戦うことはない。すべきことは、スパイ二人の確保だ。敵は、『砦』にどれぐらい接近している?」


「……まだ、距離があります……でも、迷っていない。包囲を固めたまま、せ、迫っているようです」


「ふむ。ならば、すでに一戦交えた後かもしれないでありますな」


「ああ。負傷したスパイは、砦へと逃げた……おそらくは、一人は囮として別の方角に逃げたか……追跡をしていないということは、すでに捕まっている可能性があるな……」


「……サー・ストラウス。竜を、ゼファーを見られる可能性は、選んで欲しくないわ」


「……そうか。ありがとう。だが、オレはスパイなのかもしれないが、それだけじゃないんだよ」


「……いい人ね。さすがは、魔王サマよ。いいわ、貴方が選ぶなら、私は文句を言わないわ」


「気にするな。見られぬように早く、素早く、あの砦に飛び移ればいい。人間族の夜間視力ならば、そうすれば見破られる可能性は皆無だ。この黒い森に棲む、何か特殊なモンスターかもしれんと思うだろう」


「楽観的なのね」


「技巧を尽くせば、隠蔽できる。かなりの高速で、塔の頂上と交差するように飛ぶ。その瞬間、飛び移ればいい」


「……簡単に言うわね?」


「簡単なことだ。タイミングよく、飛び移るだけだ。三人の敵と戦うほうが、これよりもはるかに難しい」


「縄跳びで三重跳びをするよーなものでありますな」


「さすがに、それよりは難しいと思うけど?」


「二人ずつ飛ぶ。まずは、オレとキュレネイが飛び移り、旋回して最接近するときに、アイリスとジャンが跳ぶ。アイリス、自信がなければジャンにしがみついておけ。怪力さならば、オレよりも上だ。おそらく、この高さから落ちても死なないだろう」


「……でたらめな身体能力なのね?」


「こ、この高さから落ちるのは、イヤです。でも、アイリスさんを捕まえたまま、飛び移るのは簡単です」


「……簡単って言葉を皆に使われると、ルード・スパイとしては引き下がれないわ。『狐』と呼ばれる女の力、見せてやる。ジャン・レッドウッドくん。サポートはいりません」


「は、はい。了解です、アイリスさん……っ」


「三十路女だって、竜から塔に飛び移ることぐらい、やれるんですからね!見ていなさい三十路女の活力をね!!」


 ……ジャンに頼った方が確実なのは確実なんだが、アイリスがやるって言うんだから、やらせばいいさ。


 さてと。


 魔眼を使う―――罠がないかを調べる。砦の屋上に罠を仕掛けるスパイってのは、そういないとは思うがな。一応は、確認する……よし、罠はない。罠は無いが……呪いがある。


「スケルトンがいるかもしれん。見つけ次第、仕留めるぞ」


「イエス、では……せーの」


 オレとキュレネイは躊躇しない。竜から塔に飛び移るなんてこと、三重跳びみたいに簡単なことなんだからな。



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