第二話 『囚われの狐たち』 その17


 夜の闇へと跳ぶのさ。ゼファーの背を蹴り、暴れる風と一つとなって。


 ああ、空に我が身だけで飛ぶときの、あらゆる束縛から解放された自由な快感というものは他にはない。あまりにも自由だな。


 オレの隣りにキュレネイ・ザトーがいた。相変わらず、誰かの動きに合わせることが得意と来ているな……。


 ……集中力のせいなのか、飛翔時間が伸びる錯覚を手にしている。数秒の時間が、もっと長く感じた。


 しかし、永遠ではない。


 オレとキュレネイがその塔の上に着地していたよ。ゼファーが上手く飛んでくれたおかげで、オレたちの脚は大して衝撃を浴びることなく着地に成功していたな。


「……いいジャンプだった」


「団長も、であります」


 しかし、無音とはいかなかった。衝撃は音に変わったはずだ。スケルトンが動き始めるかもしれないし、負傷者が無意味に逃げだそうとするかもしれない……。


 オレが声をかけてもダメだろう。


 唯一、このスパイに効果がある声は……上司である、アイリス・パナージュの声だけに違いない。


 ゼファーが上空を旋回している。


 再びこの砦の頂上に接近をはかる。さっきよりもスピードは緩めているな。さすがはアーレスの血。女性に対してやさしいな。


 ゼファーが近づき、ジャンとアイリスがその背から跳んできた。二人とも、さすがに完璧なタイミングだった。


 ジャンはあの細身に宿る、やたらと強靭な筋力で無理やりに着地を成功させ。アイリス・パナージュお姉さんは、オレの上半身が抱き止めるようにして捕獲していた。


「なかなか、紳士的な行動じゃないかしら?」


「……まあな。いいジャンプだった」


「と、当然ね。三重跳びより、軽いわよ?」


 声とか顔が引きつっているが、問題はない。


「それより、アイリス?」


「ええ。声をかける。自決するには、まだ早いって教えてあげなくちゃね」


「……そうしてやれ」


 アイリスは砦の内側に続く縦穴に、大きな声を注ぐように放っていた。


「おーい!『狐』が竜に乗って来たわよ!!死ぬのは、待ちなさいな!!」


 ……返事が戻って来ることはない。


 アイリスの声を忘れているわけじゃないだろう。


「返事するほど、体力が残っていないのか」


「そうかもね。ジャンくんの鼻によれば……瀕死なんでしょ?」


「……は、はい……かなりの大ケガだと思います」


「ならば、急ぐであります」


 その言葉を残して、キュレネイは砦の屋上に開いた穴から内部へと飛び降りる。『風隠れ/インビジブル』で体重を消しているからな、そういうダイブをしても無音であり、その上……脚を痛めることなく飛び降りられる。


 オレも同じことが出来るが―――アイリスは、難しいかもしれない。『風』の補助魔術が使えたかどうかが分からない。『炎』の攻撃術は使えるがな。


「ジャン、アイリスをお姫さま抱っこして飛び降りろ」


「は、はい!!」


「……たしかに、その方が手っ取り早いわ。急いでくれる!」


「は、はい……」


 人生で初めてかも知れないお姫さま抱っこ。それの相手が三十路も半ばを過ぎた女だったからといって、ジャンは悲しい顔なんてしない。


 オレは飛び降りる。『風隠れ』の力を頼りにしてな。すぐに着地した。そして、その場を離れた直後、アイリスをお姫さま抱っこしたジャンが飛び降りてきた。大きな音がしたが、『狼男』の体はこんなムチャしても壊れることはない。


 『パンジャール猟兵団』における、最強のフィジカルの保持者。それは間違いなくジャン・レッドウッドそのヒトであるな……。


 ……とはいえ、それでも脚は痺れていたらしい。強くて壊れないからといって、痛くもないとは限らない。


 そんなジャンの腕から素早くアイリスは飛び降りる、そして、部下を探して歩き始めるのだ。エルフの彼女ならば、魔力と聴覚で部下の居場所をこの狭い砦の中に感じ取ることも可能だろう。


 ……オレとキュレネイも、彼女の後ろを素早く追いかける。スケルトンの気配が動き始めていた。下の階にいるな。一つか二つ下の階だ。その辺りに、おそらく探している者たちの一人はいるようだった。


 痺れた脚を引きずりながら、ジャンが背後から追いかけて来る―――オレたちはジャンに構わずに先に進んだ。


 二つの階を降りたとき、赤い『糸』がその女性を見つけることに成功していた。暗がりのなかに隠れるようにして、腹を押さえている女性がいたよ。


 アイリスが彼女に向かって駆け寄っていった。


「ルーベット、生きているわね!?」


「……は、はい。しかし……アイリス、どうして、ここに……?」


「救助しに来たのよ。竜騎士ソルジェ・ストラウスと合流することが出来た。私たちは敵の囲みを突破して、この砦の上から入って来たのよ……」


「……竜騎士……そんな力があるんですね……そうか、空を、自在に飛べるのか……考えもしなかったなぁ……っ」


 オレは彼女の側にしゃがむ。黒髪に黒い瞳の若い女。


「はじめまして、ルーベット・コラン。オレの名前は、ソルジェ・ストラウス。ガルーナ最後の竜騎士にして、『パンジャール猟兵団』の団長だ」


「……ええ。よろしく……短いあいだになりそうだけど……」


「いや。死なせない。キュレネイ」


「イエス。団長、緊急処置を開始するであります」


 オレはルーベット・コランの体を支えてやりながら、ゆっくりと体を横たえらせる。彼女は腹に深手を負わされている……。


「騎士の剣に斬り裂かれたか……」


「ええ……エド・クレイトンが、その騎士の首にナイフを突き立てくれた……仇はもう取ってあるから……大丈夫……」


「クレイトンが包帯を巻いてくれたわけだな」


「ええ。彼は……やさしいの。私にいらない処置をした」


「そんなことはないぞ。オレたちに君を生きたまま合流させた。情報があれば、話せよ」


 その方が、意識を長く保つだろうからな。


 キュレネイとアイリスはルーベット・コランの服を脱がして、その傷口を確認する。


「……傷が深いであります」


「……包帯を切るぞ、縫うしかない」


「了解」


 キュレネイがナイフで包帯を切り裂き、彼女の傷口を露出させる。腹の筋肉が深く斬り裂かれている。腹を横一文字に斬られているな……。


 包帯の圧から解放された瞬間に、出血が強くなる。


 だが、数秒すると血が収まっていく。


「良かったな。動脈は切断されていない」


「……本当?」


「いい反応をしたな。斬られる方向に合わせて身を捻った。そのおかげで切っ先は腹の奥の動脈には当たらなかった。むろん深手だが、どうにかなる」


「……じゃあ、たのみます……サー・ストラウス」


「ああ。任せろ」


 オレも傷口を縫うのは得意だ。釣りが趣味だった時もあるし、一人で長年戦場を彷徨った身分だからな。傷を自分で縫ったり、服の穴をふさぐことぐらいは、やれる。


 だから、外科手術も行ける。同じことだからな。


 すばやく傷を縫い合わせるだけさ。パッチワークの方が難しい。オレは傷口を消毒するために、霊酒を取り出す。そして、無遠慮にドバドバと彼女の傷口にそれをかけていった。


「あ、つう……ッ」


「痛いのは生きている証拠だ。さてと、消毒はした。あとは斬られた腹を縫い合わせるだけでいい。痛むぞ。キュレネイ、彼女が暴れないように抑えておけ」


「イエス。アイリス、話しかけていて」


「ええ。死なないでね、ルーベット。あなたには、まだまだ働いてもらうわ。これだけの傷を生き延びた猛者ならば……より良い仕事が出来る。これで懲りたなら、陛下に申し出れば、引退だってさせてもらえるわよ」


「…………そ、そうです、ね……い、生きていたら……いろいろと、考え、ま、すッッッ!!!」


 彼女の傷口を素早く糸で縫い合わせていく。かなりの激痛だが、しなければ死ぬんだ。オレは怯まない。こんな傷を縫うのには30秒もかからんさ。指の中で針と糸を踊らせながら、オレはまたたく間に彼女の傷を縫い合わせていた。


「終わったぞ!キュレネイ、造血の秘薬と止血の秘薬を追加で注射するぞ!!」


「イエス」


「ジャン、スケルトンが来た。戦って殺せ!!」


「い、イエス・サー・ストラウス!!」



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