第二話 『囚われの狐たち』 その14
「う、うわあああああああああああああああああッッッ!!?」
悲鳴が上がっていた、ジャン・レッドウッドの悲鳴であることは明白であったよ。レイチェルに仕掛けられた悪戯は、大きく機能したようだな……。
しばらくしていると楽しそうに鼻歌を奏でているレイチェル・ミルラが戻って来る、楽しげなリズムで長い脚を交差させていた。
そして、そのまま歩いて行く。
「どこに行くんだ?」
「お仕事ですわ。他の店でも、歌う契約がありますのよ。ああ、もちろん、『リング・マスター』の命令なら、そっちを優先しますけど?」
「……分かった。そのまま『普段通り』を実行してくれ。君の歌は、『ベイゼンハウド人』の心と魂に勇気を与えるだろう」
……冗談じゃなくて、彼女の歌は『ベイゼンハウド』に『北天騎士団』を再建させる力となりかねない。ヒトの意志を、舐めてはいけない。
人間族の酒場でも歌えばいいさ。そこにいる帝国兵に鞍替えした、元・北天騎士たち。そして、それだけじゃなく一般の『ベイゼンハウド人』の心と魂に、故郷への愛と誇りを蘇らせる力はある。
一瞬でもいい。
一瞬でもいいのだ。
閃光のように強く煌めく反抗心を、『ベイゼンハウド人』の心にもたらせばいい。そうすれば、帝国軍は怯むだろう。最強無敗の『北天騎士団』の復活につながるのではないかと、怯えるさ。
恐怖は軍隊だって狂わせる。
群れが大きい方が、恐慌状態でパニックになるヤツが生まれてくる。組織的であればあるほどに、一人の狂気が大勢を巻き込むことさえありえるのだ……。
「……君の歌で、『アルニム』のオトナの男たちに、『ベイゼンハウド人』の魂とは何たるかを知らしめて来い。庶民の力もいる。一瞬でもいい。この国にいる帝国を圧倒する力を、皆で造り上げるのだ。そうすれば……」
「ええ。帝国軍は恐怖しますわね?」
「ああ。一日でもいい。『ベイゼンハウド』が真の魂を輝かせれば、ハイランド王国軍に挑む戦列に、『北天騎士団』であった者たちが並ぶことを、帝国軍は怯えてしまうさ」
「イエス。ルード会戦で、帝国の第七師団がバルモア人部隊と対立して、自滅した。その情報を、皆が知っているであります」
「ウフフ。張り切って、歌ってきますわね」
「ああ。気をつけてな。肌一つ、傷をつけられずに帰還しろ。踊り子さんに手を触れようとするバカは、ブン殴れよ?」
「はい。『リング・マスター』のために、この肌はありますものね?」
……オレを見ているわけじゃない。
『リング・マスター』として、亡き夫の役割を果たしているオレを見ている。『人魚』のアメジスト色の瞳は、いつだって真なる恋人しか向いちゃいない。
何度、輪廻が繰り返されたとしても。
彼女はいつだって、『彼』に出逢うために生きて死ぬ。
そして。
いつだって『彼』との間に生まれて来た息子のために―――世界を変える歌と共に踊るのだろうよ。
「では、皆さま、よい夜を!」
美しい声を残して、『人魚』はマウンテン・ダルシマーを抱えたまま夜の町へと繰り出すのさ。
「……帝国軍に、いじめられないでありますか?」
「彼女をいじめた日には、暴動モンだろうな。あの歌があれば、どんなヘタレな男でも戦えるよ。しかも、ここにいるのはヘタレどもじゃなく、北天騎士の背中を見て、剣塚に捧げられる歌を聞いて育った野蛮人どもだ」
「イエス。団長、うれしそうです。『悪者フェイス』で、笑っているでありますぞ」
「『悪者フェイス』か。ククク!!魔王サンには、うってつけだぜ。まあ、彼女のことは心配しないでいい。いつでもノーギャラで戻るから、どの店だって歓迎だ」
「……あら。知っているのね、彼女がノーギャラで働いてくれるってこと」
「『リング・マスター』からもらう金じゃないと、彼女は納得しないんだよ。彼女は、いつだって死んだ夫と共に踊り、歌いたいのさ」
「……『人魚』の愛は、海よりも深そうね」
「そうだ。そして、天にも響くよ」
魔性の女さ。
そして、あれほど可愛い女もいないんじゃないかな。一生どころか、何度も生まれ変わったとしても―――ひとりの男だけを愛していくって誓っているんだからな。
……アレほど、乙女のような愛も他にあるまい。
だからこそ、彼女の歌と音楽は……ヒトの心に届くのだろう。『ベイゼンハウド人』の魂を、根底から揺さぶる、愛の物語となってな。北方野蛮人の一員としては、その気持ちはよく分かる。
オレたち古い鋼の北方野蛮人は、何と言っても単純にして明快なのだからな!……洗練だとか、合理的だとか、そんな帝国人みたいな理屈では、魂は響かんのだ。我々、北方野蛮人の魂は、物語によってのみ動くのである。
……もちろん。
策略も使うけれどね。
「彼女は、昼間も歌ってくれているわ。あの泣ける歌は、すっかりと小さな流行となっている。『女』を歌ったものだからね、『アルニム』の女たちにも、ウケているわよ」
「……『ベイゼンハウド』の流通は、海運がメインだったな……?」
「ここから広がるわ。『人魚』の歌は、北にも南にも海と共に流れていく。そして、行商人たちも、この『アルニム』には来ている……彼らもまた、いい宣伝の駒よ。ジワジワだけど、影響はあるはず」
「ああ。それだけでは、足らない。とても弱い力に過ぎない。だからこそ、総力戦で挑むぞ。あらゆる力を集めて束ねる。エド・クレイトンとルーベット・コラン、彼らの力も借りなければならん」
「……ええ。やっぱり、サー・ストラウスは……」
「スパイらしいかい?」
「いいえ。それ以上よ。大きくなっているわね。私の瞳には、魔法は宿っていないけれども……貴方の器が、つい先日、出逢った時よりも、大きくなっているのが分かるわ。本当に……『魔王』となる日も遠くないかもしれないわね」
「……ああ。ガルーナを取り戻す」
「……それだけじゃ、済まないかもね……貴方は、多分……ガルーナ以上を手中にするでしょうよ」
「……オレには、そんな器は無いんじゃないか?」
「ええ。でも。貴方は、貴方だけで器を作らないでしょうからね……あらゆる色が、あらゆる力が、あらゆる種族が貴方に集まるかも。大きな魔王の国になると思う……まあ、ずっと先のことでしょうけどね」
「そうだな。とにかく、今夜は……エド・クレイトンとルーベット・コランを救助するので手一杯だろう」
「そうね。そっちに集中しましょう」
「……む。ジャンが来たであります」
視線をジャンの気配に向ける。案の定だったようだな。大量の鼻血を噴射して、顔面から大流血しながら、ジャン・レッドウッドが階段を降りてくる。
アイリス・パナージュお姉さんが心配する。
「ちょ、ちょっと、大丈夫、『狼男』くん!?いきなり、ダメージ負ってない!?」
「だ、大丈夫。ちょっとした、鼻血で……」
「鼻血……?」
「イエス。ジャンは変態野郎であります。女体に対して、過剰な執着を抱く、邪悪な獣であります」
ヒドい言われようだった。
アイリスがドン引きしているじゃないか……。
「サー・ストラウス、貴方のところの風紀はどうなっているのかしらね?」
「あの獣の行動指針に、風紀という文字など無いであります」
「いや、ジャンはいいヤツだろ?」
地味で気弱だけど、とくに悪い面はないというか?……不器用なだけさ。
「私のシャツのにおいを、クンクンしたような獣でありますが?」
……キュレネイは、あのことを根に持っているのかもしれない。アレは、ジャンが悪いわけじゃないんだがな……。
不運。
それもまた、ジャン・レッドウッドに備わる、哀れな宿命のようなものなのである。
「……な、何か、ボクはしでかしましたか?」
「いいや。気にするな。それよりも、行けるか?」
「し、仕事ですね!?も、もちろんですよ!!」
「……マジメそうな子なのにね」
ボソリと小さな声で、アイリス・パナージュお姉さんがそう呟いていた。彼女の中で、ジャン・レッドウッドの株が暴落したのは間違いない……。
まあ、分かるよ。
だって、女子のシャツをクンクン嗅ぎましたなんてコトを聞かされた日には、そんなヤツのことを好ましく思うようなヤツなんて、いるわけがないじゃないか……?
だが。どうあれ、今夜の任務にもジャン・レッドウッドは活躍してもらうことになるのは明白だった。
ジャン・レッドウッドよ、下らぬ悪評などは仕事の出来で消せばいい。そいつが男の生きざまってもんさ。
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